郵便番号 010-1105
住所 秋田県 秋田市 太平黒沢
読み方 あきたけん あきたし たいへいくろさわ
この地域の
公式HP
地図

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地方公共
団体コード
05201
最寄り駅
(基準:地域中心部)
  • 秋田県 秋田市 太平黒沢」の読み方は「あきたけん あきたし たいへいくろさわ」です。
  • 秋田県 秋田市 太平黒沢」の郵便番号は「010-1105」です。
  • 秋田県 秋田市」の地方公共団体コードは「05201」です。
補足事項
■f02: 小字毎に番地が起番されている町域。

「太平黒沢」の概要 from Wikipedia

…(1,637文字)

太平黒沢(たいへいくろさわ)は秋田県秋田市にある大字。郵便番号は010-1105。住居表示未実施地区。

地理

秋田市の東部、太平地区の中では中央南から北東にかけて位置する。平成の大合併で河辺郡河辺町を編入するまで、越家森(おっけさ、標高827m)南方の稜線部が秋田市の最東端であった(現在の最東端は河辺岩見の丹波森東)。
南部を太平川が東西に横断し、南西部の太平寺庭との境で小黒沢川(こぐろさわがわ)が合流する。太平川流域が平野部で、並行して秋田県道28号秋田岩見船岡線及びその旧道(太平街道)が走り、県道・街道の周辺に集落が集中している。集落周辺と太平川支流の谷底に農地がある他は山林地帯。字払川に勝手神社が鎮座する。
北は仁別、東は河辺三内、南東は太平山谷、南は太平中関、西は太平寺庭、北西は太平八田に隣接する。

小字

20の小字が現存する。
字稲荷(いなり)/字牛舞沢(うしまいざわ)/字大蛇沢(おおへびざわ)/字大屋木(おおやぎ)/字岡畑(おかばた)/字葛原(くぞはら)/字子田(こだ)/字砂子沢(さこざわ)/字館越(たてこし)/字野崎(のざき)/字払川(はらいかわ)/字東又(ひがしまた)/字蛭田(ひるた)/字二タ又(ふたまた)/字舟津田(ふなつだ)/字平沢(へいざわ)/字平速沢(へいそくざわ)/字堀田(ほった)/字真木(まぎ)/字矢櫃(やびつ)

河川

太平川/小黒沢川/(支流多数)

歴史

中世には大江氏(永井氏)の支配下にあり、館腰(館越、たてのこし)は家臣の嵯峨氏が居館を構えていた土地であるという(秋田風土記)。文禄元年8月22日(1592年9月27日)の「秋田家分限帳写」に館岡半兵衛代官所の中で「黒沢村 583石余」とあるのが初見資料である(秋田図書館所蔵文書)。
江戸時代を通じて久保田藩領で、「正保国絵図」では寺庭村と合わせて石高を表記されている。「享保郡邑記」では37軒あって、うち枝郷の台菅野(だいすがの)村・稲荷村の2ヶ村分が9軒となっている。台菅野村は元は小田と呼ばれ、若宮八幡社のための寄進田があった。「寛政村附帳」では親郷目長崎村の寄郷とされ、当高225石余(うち蔵分211、給分14)。「天保郷帳」では296石余で、「羽陰温故誌」によるこの頃の人口は186、馬30であった。

沿革

1873年(明治6年)3月 - 大区小区制の改正に伴い、秋田郡黒沢村は秋田県第1大区6小区に属した。
1878年(明治11年)5月20日 - 東嶺学校が開校する。
1884年(明治17年)頃 - 郡区町村編制法の下で、南秋田郡目長崎村・八田村・中関村・寺庭村・黒沢村・山谷村が連合。戸長役場は目長崎村に設置される。
1887年(明治20年) - 連合6ヶ村の戸数491、人口3,095(地方行政区画便覧)。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、連合6ヶ村が合併し南秋田郡太平村が発足。太平村大字黒沢となる。
1954年(昭和29年)10月1日 - 太平村が秋田市へ編入されたことに伴い、名称に「太平」を冠した上で秋田市の大字となる。

字域の変遷

地区内で町名整理・住居表示実施その他に伴う区画変更は行われていない。

世帯数と人口

2016年(平成28年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通り。

鉄道

地区内に鉄道路線・駅は無い。最寄り駅はJR東日本奥羽本線・羽越本線・秋田新幹線の秋田駅。

バス

秋田中央交通/《太平線》 - 稲荷 - 稲荷上丁 - 館越 - 黒沢下丁 - 黒沢上丁 - 勝手神社前 - 寿橋 -

道路

秋田県道28号秋田岩見船岡線/太平街道

字稲荷

稲荷公民館

字葛原

秋田市上下水道局太平黒沢ポンプ場

字砂子沢

砂子沢館越町内会館

字払川

勝手神社

参考文献

「角川日本地名大辞典 5 秋田県」1980年/「秋田市史 第四巻 近現代I 通史編」秋田市編、2004年/秋田市 地名小辞典

外部リンク

秋田市

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