郵便番号 252-0001
住所 神奈川県 座間市 相模が丘
読み方 かながわけん ざまし さがみがおか
この地域の
公式HP
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地方公共
団体コード
14216
最寄り駅
(基準:地域中心部)
  • 小田急相模原駅(小田急電鉄)
     …距離:1.4km(徒歩18分)
  • 相武台前駅(小田急電鉄)
     …距離:1.9km(徒歩23分)
  • 中央林間駅(東急電鉄)
     …距離:2.2km(徒歩26分)
周辺の施設、
ランドマーク等
  • 紀伊國屋書店イオンモール座間店《書店》
  • 丸亀製麺イオンモール座間店《丸亀製麺》
  • リンガーハットイオンモール座間店《レストラン・食堂》
  • 銀だこイオンモール座間店《ファーストフード》
  • ぎをん椿庵イオンモール座間店《ファミリーレストラン》
  • 無添くら寿司座間店《ファミリーレストラン》
  • エネオスDr.Drive相模が丘SS《ガソリンスタンド》
  • 神奈川県 座間市 相模が丘」の読み方は「かながわけん ざまし さがみがおか」です。
  • 神奈川県 座間市 相模が丘」の郵便番号は「252-0001」です。
  • 神奈川県 座間市」の地方公共団体コードは「14216」です。
補足事項
■f03: 丁目を有する町域。
郵便番号を設定した町域(大字)が複数の小字を有しており、各小字毎に番地が起番されているため、町域(郵便番号)と番地だけでは住所が特定できない町域。

「相模が丘」の概要 from Wikipedia

…(4,103文字)

相模が丘(さがみがおか)は、神奈川県座間市の町名。現行行政地名は相模が丘一丁目から相模が丘六丁目。住居表示実施済み区域。

地理

神奈川県座間市の北部に位置し、小田急小田原線小田急相模原駅を最寄とする。区域は同駅に近いことから、最北部から順次市街化が進行し、1960年代までにほぼ全域が宅地市街化している。元の開墾農地の地割を反映し街路網自体は直線的。

町名の紆余曲折

この地域は1889年(明治22年)の明治の大合併以前の座間宿村北部、そして新田宿村・四ツ谷村各小字飛び地で形成され、秣場(まぐさば)、かつ、永らく本村の人々の耕作地であり芝原(しばあら)と呼ばれた地であった。
旧地籍は高座郡座間町大字座間字北広野・字中広野の各小字全域と・字南広野・字元広野・字元広野久保の座間街道以北(現・相模が丘一丁目〜四丁目)、辰街道を境界に大字新田宿飛び地字見分塚の大部分(現・相模が丘五丁目)、同飛び地字見分塚の残り部分と字新畑全域・大字四ツ谷飛び地字二ツ塚の座間街道以北(現・相模が丘六丁目)の各大字小字・飛び地。
終戦直後から小田急相模原駅周辺の高座郡座間町大字座間、大字新田宿の小字飛び地である現地域での市街地化の進行とともに救急や郵便等で該当地番を探すのが困難になってきたことから(新田宿違いなど)、1959年(昭和34年)4月20日にこれらの各大字小字を統合し、高座郡座間町大字相模台として新しい大字を新設し、新たに地番の付け直し(不動産登記法に基づく地番整理)を実施した。
その一方で、相模原市は1957年(昭和32年)8月1日に国立病院前分室(「国病前分室」と略する)と言う相模原市役所の出張所を新規開設し、小田急相模原駅付近から大字新磯野、大字麻溝台の各東半部を管轄区域とした。ところが、この「国病前分室」を1959年(昭和34年)に相模台分室と改称、同年1959年(昭和34年)5月1日に相模原市立相模台小学校が開校、神奈川県立相原高等学校の化学工業科が分離独立する形で、1963年(昭和38年)に、のちに全国高校ラグビー大会を1993年と1994年に2連覇し「台工」の愛称で親しまれた神奈川県立相模台工業高等学校が開校し、1966年(昭和41年)には国立相模原病院の南に隣接して日本住宅公団相模台団地が建設され入居が開始、翌1967年(昭和42年)4月1日に相模原市立相模台中学校が開校されるなど、相模原市側で「相模台」の地名を多用するようになった。
相模原市は1969年(昭和44年)7月1日に、小田急相模原駅周辺で住居表示を実施した際に大字新磯野および大字磯部の各一部から相模台一丁目〜相模台四丁目を編成し、翌1970年(昭和45年)7月1日には相模台五丁目〜相模台七丁目および相模台団地の各町が編成されたが、このことがきっかけで高座郡座間町大字相模台と相模原市相模台とが隣接して併存することとなり、混乱をきたした。
行政上、大字名または町名として「相模台」を先に施行していたのは高座郡座間町、座間市であるのは史実として明確。1971年(昭和46年)11月1日に市制施行した座間市が、相模原市に遅れて1981年(昭和56年)6月1日に大字相模台地区で住居表示を実施した際、先行した相模原市側の相模台一丁目〜七丁目との同名回避のために町名を相模が丘一丁目〜相模が丘六丁目とした。

歴史の時系列と詳細

この地は既に1880年(明治13年)、高座郡座間宿村、新田宿村飛び地字見分塚、上鶴間村、新戸村、各村の境界域(現・小田急相模原駅北口付近)に中和田新開が開墾され上鶴間村分(現・相模原市南区南台五丁目)には人が住み着いて耕作していたが、各村の境界域ということもあり、市街地を形成することは困難を極めた。
その後、1894年(明治27年)になって開拓者たちは次々と府中みち(現・行幸道路)に沿った本家隣地に分家し、新たな入植者も加った。その人中の内、中和田新開の座間分に最初に住み着いたのは座間上宿出身の耕作者たった一軒だけであった。1919年(大正8年)には14戸にまでなった中和田新開は府中みち(現・行幸道路)と辰街道。の交差する未開地のなかに小さな集落が出来上がり、これが小田急相模原駅北口周辺発展の「原点」となった。
大きな転換点となったのは、1938年(昭和13年)の臨時東京第三陸軍病院の進出。新磯村大字磯部字大野に同病院が開設されるのに合わせて、小田原急行鐵道が、同年1938年(昭和13年)3月1日に付近を通過していた小田原線上の座間町と大野村との境界付近に病院前驛を開業し、後に同駅と同病院を結ぶ街路周辺が市街化する契機となった。
そののち戦時色が濃くなった1943年(昭和18年)に座間分の新田宿飛び地である、当時の高座郡相模原町大字新田宿飛び地字見分塚(現・座間市相模が丘五丁目)に本格的に人が住み着いた。大部分が東京市内から移り住んだ人たち。皆、昭和十八年にこの地に移住してきたので「十八の会(とわのかい)」という親睦会を作った。
当時のこの地は一面、クワ・ムギ・陸稲を栽培する耕作地であったが、段上の地であることが災いし「水」がなく苦労した。太平洋戦争の終戦後しばらく経って、畑地灌漑用水路西幹線(現・相模が丘仲よし小道 さくら百華の道)が1953年(昭和28年)に通水開始したが、相模が丘の元の大字である座間と新田宿は畑地灌漑用水組合に加入しなかったため、用水の恩恵を受けることができなかった。1955年(昭和30年)には町営水道が完成するとともに宅地化され、1960年(昭和35年)には現・六丁目に小田急住宅が完成し、全域で宅地市街化。畑地灌漑用水路西幹線は、その役目を終え1970年(昭和45年)に通水終了。

年表

1938年(昭和13年)3月1日:小田原急行鐵道小田原線・病院前驛開業。
1953年(昭和28年):畑地灌漑用水路西幹線(現・相模が丘仲よし小道 さくら百華の道)通水開始。
1955年(昭和30年):町営水道給水開始。
1959年(昭和34年)4月20日:当該地域の各大字小字を統合し、高座郡座間町大字相模台として新しい大字を新設し、新たに地番の付け直し(不動産登記法に基づく地番整理)を実施した。
1960年(昭和35年)6月19日:大字相模台の町田電報電話局管内の電話、東京23区・八王子局・武蔵野三鷹局・立川局・調布局・武蔵府中局・青梅局間、同年7月31日相模原橋本局間でダイヤル自動即時化市外局番02744、市内局番なし 例 旧表記・町田xx番→新表記・02744-00xx⇒1961年(昭和36年)11月5日・全国ダイヤル自動即時化 市外局番0427、市内局番22⇒1964年(昭和39年)1月30日 市外局番0427、市内局番42・44。
1965年(昭和40年)5月30日:座間電報電話局管内の電話、全国ダイヤル自動即時化(市外局番0462・市内局番51 例 旧表記・座間xx番→新表記・0462-51-00xx)。
1966年(昭和41年):座間郵便局(現・座間中宿郵便局)が相模台256番地(現在地)に移転開設し集配局となる。
1968年(昭和43年):町内の郵便番号が付与される。(〒228)/1970年(昭和45年):畑地灌漑用水路西幹線(現・相模が丘仲よし小道 さくら百華の道)通水終了。
1971年(昭和46年)11月1日:市制施行。
1972年(昭和47年):相模台出張所(現、相模が丘コミュニティーセンター)開設。
1976年(昭和51年):座間市立相模が丘小学校開校。
1977年(昭和52年):北地区文化センター開設。
1979年(昭和54年):座間市立相模中学校開校。
1981年(昭和56年)6月1日:住居表示実施。
1982年(昭和57年):座間市立相模が丘プール開設。
1983年(昭和58年):座間市消防署北分署開設。
2000年(平成12年):電話番号逼迫に伴い相模が丘の一部、市外局番(0427地域)が042へ3桁化。
2001年(平成13年):電話番号逼迫に伴い市内の市外局番(0462地域)が046へ3桁化。
2010年(平成22年)4月1日:相模原市が政令指定都市移行に伴い郵便番号を変更、相模原市一部地域と上3桁「228」を共用していた座間市内も228-00xxから252-00xxに変更。

世帯数と人口

2023年(令和5年)8月1日現在(座間市発表)の世帯数と人口は以下の通り。

人口の変遷

国勢調査による人口の推移。

世帯数の変遷

国勢調査による世帯数の推移。

学区

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2022年12月時点)。

事業所

2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通り。

事業者数の変遷

経済センサスによる事業所数の推移。

従業員数の変遷

経済センサスによる従業員数の推移。

鉄道

町内に鉄道駅はない。

バス

神奈川中央交通東の路線/(小02)小田急相模原駅 - 小松原入口 - ひばりが丘一丁目 - 南林間駅/(小03)小田急相模原駅 - 小松原入口 - イオンモール座間 - 小松原入口 - ひばりが丘一丁目 - 南林間駅/(小05)小田急相模原駅 -(直行)- イオンモール座間座間市コミュニティバス(ザマフレンド号)の路線/Bコース(小松原・病院経由コース)/Cコース(相模が丘コース)

道路

神奈川県道50号座間大和線/東京都道・神奈川県道51号町田厚木線/神奈川県道507号相武台相模原線

施設

座間市立相模が丘小学校/座間市立相模中学校/座間市民球場/相模台病院/座間郵便局/コジマ×ビックカメラ 座間店/相模が丘コミュニティセンター/座間市役所 北地区文化センター/座間市消防本部 座間市消防署北分署/座間市立北地区児童ホーム

日本郵便

郵便番号 : 252-0001(集配局 : 座間郵便局)。

脚注

関連ページ