郵便番号 252-0012
住所 神奈川県 座間市 広野台
読み方 かながわけん ざまし ひろのだい
この地域の
公式HP
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地方公共
団体コード
14216
最寄り駅
(基準:地域中心部)
  • 相武台前駅(小田急電鉄)
     …距離:1.2km(徒歩14分)
  • 小田急相模原駅(小田急電鉄)
     …距離:1.3km(徒歩16分)
  • 東林間駅(小田急電鉄)
     …距離:2.9km(徒歩36分)
周辺の施設、
ランドマーク等
  • ダイエー相武台店《総合スーパー(GMS)》
  • 昌栄会相武台病院《病院》
  • ファッションセンターしまむら相武台店《大型専門店(衣料品)》
  • 相武台新日本保育園《保育所》
  • ロイヤルホスト座間店《レストラン・食堂》
  • 和食レストランとんでん相模が丘店《レストラン・食堂》
  • 安楽亭座間店《ファミリーレストラン》
  • クリエイトエス・ディー座間広野台店《ドラッグストア》
  • ファミリーマート座間郵便局前店《コンビニ》
  • 神奈川県 座間市 広野台」の読み方は「かながわけん ざまし ひろのだい」です。
  • 神奈川県 座間市 広野台」の郵便番号は「252-0012」です。
  • 神奈川県 座間市」の地方公共団体コードは「14216」です。
補足事項
■f03: 丁目を有する町域。
郵便番号を設定した町域(大字)が複数の小字を有しており、各小字毎に番地が起番されているため、町域(郵便番号)と番地だけでは住所が特定できない町域。

「広野台」の概要 from Wikipedia

…(3,320文字)

広野台(ひろのだい)は、神奈川県座間市の町名。現行行政地名は広野台一丁目から広野台二丁目。住居表示実施済み区域。

地理

座間市の北部に位置し、一丁目北部に1927年(昭和2年)、小田急小田原線が敷設され運行しているが最寄り駅はなく、小田急相模原駅と相武台前駅の中間にあり、どちらの駅からも徒歩20分未満。

年表

1927年(昭和2年)4月1日:小田原急行鐵道小田原線開通、/1955年(昭和30年):町営水道給水開始。
1962年(昭和37年):高座郡座間町大字座間字元広野5054番地に座間町立座間第三小学校開校。
1964年(昭和39年):高座郡座間町大字座間字元広野5000番地に日産自動車座間工場が一部竣工・稼働開始。
1965年(昭和40年):日産自動車座間工場完成。
1965年(昭和40年)5月30日:座間電報電話局管内の電話、全国ダイヤル自動即時化(市外局番0462・市内局番51 例 旧表記・座間xx番→新表記・0462-51-00xx)。
1967年(昭和42年)7月22日:座間町立広野プール開設。
1968年(昭和43年):町内の郵便番号が付与される。(〒228)/1971年(昭和46年)11月1日:市制施行。
1974年(昭和49年)11月1日 - 当該地域の大字小字を統合し広野台1・2丁目を新設。住所の表記は従来からの地番を使用(例・広野台1丁目5○○○番地の1)。
1979年(昭和54年):大字相模台1382番地に座間市立相模中学校開校。
1999年(平成11年)9月13日 - 住居表示実施。(例・広野台一丁目○番1号)。
2001年(平成13年):電話番号逼迫に伴い市内の市外局番(0462地域)が046へ3桁化。
2010年(平成22年)4月1日:相模原市が政令指定都市移行に伴い郵便番号を変更、相模原市一部地域と上3桁「228」を共用していた座間市内も228-00xxから252-00xxに変更。この地域は、1960年代まで、相模が丘・小松原・ひばりが丘・東原同様、芝原(しばあら)と言い、座間宿村・座間入谷村の人々の所有地で耕作地であり、狭義には「元広野」と座間宿・座間入谷の本村の人々は呼んでいた。座間宿・座間入谷の本村から、皆一同毎日鍬を担ぎ弁当持参わらじ履きで、府中みち、江戸街道、鶴間街道を歩いて通い、クワ・麦・陸稲の耕作をした。現・座間市相武台二丁目との境界に目久尻川が流れ谷崖が多く森林であったため、耕作は座間街道沿い段上の、土地が平坦なところで行われた。
1927年(昭和2年)に小田原急行鉄道小田原線が敷かれ、字元広野久保北部を電車が走るようになった。
町内を縦貫する座間街道は、農道であったが、太平洋戦争終戦直後GHQにより突貫工事で逐次整備拡張され、1947年(昭和22年)に全面開通し幹線道路となった。当初は「行政道路」が通称であったが日産自動車座間工場ができてからは「座間日産通り」と呼んでいて、知らぬ間に「座間県道」やがて「座間街道」と呼ぶようになった。座間街道は相武台団地入口の信号で行幸道路までで突き当り。その先の村富線は相武台団地竣工時までなかった。この座間街道沿いが宅地化となるのは昭和40年代。
この広野台地区は座間市内で人が住み着いたのが最も遅かった。1955年(昭和30年)に座間町営水道が完成すると翌1956年(昭和31年)、広野台で最初の住居であるキャンプ座間在勤職員家族専用アパートメント「座間コート」が竣工し、キャンプ座間在勤職員家族が入居し始めた。相武台団地入口信号の所には小佐野賢治創業の国際興業が経営する米軍大型バスの洗車場ができ、1960年代に入るとボウリングブーム到来とともに、多目的遊技場も兼ねた相武台ボウル(ボウリング場)も営業開始した。相武台ボウルはボウリングブーム終焉とベトナム戦争終戦の1975年(昭和50年)にその役目を終え、スーパー忠実屋〜ディスカウントストア・サンエムとなりその後パチンコ店になり漏電による火災で全焼し、ダイエー相武台店になった。
畑一面と目久尻川流域の谷崖森林だったこの地域も、1962年(昭和37年)座間町立座間第三小学校が開校、1964年(昭和39年)に日産自動車座間工場が一部竣工・稼働を始めると町役場はこの地の各小字を一括りに「元広野」、行政上の扱いは相武台地区とした。同時期に宅地開発が始まり、座間街道沿いの平坦な耕作地であったところは早期に宅地化したが、元広野久保の目久尻川沿いは谷崖森林になっており宅地造成工事は困難を極めるも、1965年(昭和40年)2月には電柱の建柱工事も終わり全域が宅地化。しかし小田急線相武台前駅や小田急相模原駅から遠いこともあり、そのため開発開始から数年間は戸数が微増散見する程度で発展する兆しが全くなかったが/、1968年(昭和43年)・1969年(昭和44年)に戸数が急増し、新住民達がこの地を、座間街道を境界に隣接する大字相模台に倣い「広野台」と”通称”した。1974年(昭和49年)11月1日、各大字小字を統合し、正式に行政上の町名として広野台1・2丁目を新設し、1999年(平成11年)9月13日には住居表示を実施した。
町内を流れる目久尻川の源流は、大字栗原字小池谷の白髪弁財天が通説となっているがそうではなく、行幸道路に面する旧大字座間字上小池と字元広野久保の境、現・広野台一丁目1番にあるロイヤルホストの公道を抜けた相模原市南区相武台三丁目と相武台団地の一番低い窪地にある遊水地付近が元々の源流。
相模原市南区相武台三丁目と相武台団地遊水地付近窪地の元源流から、その近くの行幸道路のドコモショップ・ロイヤルホスト周辺、行幸道路を挟んで反対側の住宅地になっている窪地付近はホタルが自生繁殖するほど清水が多量に湧き、美しい湿地であったが、戦時中に臨時東京第三陸軍病院の病院地下から元広野久保の小田急線線路下まで地下下水道として整備され、病院の汚染水を排水する所謂「ドブ川」化されてしまい、元の源流から清水が湧き流れる、ホタルが自生繁殖するほど美しい川の源流は枯れてしまった。現況の目久尻川は公共下水道の整備により汚染水や生活排水を放出しておらず、溜まった雨水を放流している。

世帯数と人口

2023年(令和5年)8月1日現在(座間市発表)の世帯数と人口は以下の通り。

人口の変遷

国勢調査による人口の推移。

世帯数の変遷

国勢調査による世帯数の推移。

学区

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2022年12月時点)。

事業所

2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は、以下の通り。

事業者数の変遷

経済センサスによる事業所数の推移。

従業員数の変遷

経済センサスによる従業員数の推移。

鉄道

一丁目北部に1927年(昭和2年)小田急小田原線が敷設され運行しているが、町内に鉄道駅はない。

乗り合いバス

神奈川中央交通東の路線/(台01)相武台前駅 - 相武台団地循環 - 相武台前駅/(台13)相武台前駅 - 総合体育館前 - 北里大学病院・北里大学/(相27)相模原駅南口 - 北里大学病院・北里大学 - 相武台前駅/座間市コミュニティバス(ザマフレンド号)の路線/(B)小松原・病院経由コース/(C)相模が丘コース/廃止路線/神奈中バス/相武台前駅〜座間日産正門/座間四ツ谷〜相武台前駅経由〜行幸道路~座間街道〜旧国道16号の「亀の甲山」(横浜市旭区上川井町)経由、鶴ヶ峰駅経由、横浜駅西口行き(平日昼間週一本)。

道路

神奈川県道50号座間大和線 終戦直後GHQにより従来の農道を突貫工事で逐次整備拡張、1947年(昭和22年)に全面開通し幹線道路となった。通称・行政道路→座間日産通り→座間県道→座間街道。
東京都道・神奈川県道51号町田厚木線 通称・府中みち→行幸道路。

施設

イオンモール座間/座間市立相模野小学校

日本郵便

郵便番号 : 252-0012(集配局 : 座間郵便局)。

脚注

関連ページ