「埼玉県 川越市 下広谷」について
| 郵便番号 | 〒350-0804 |
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| 住所 | 埼玉県 川越市 下広谷 |
| 読み方 | さいたまけん かわごえし しもひろや |
| この地域の 公式HP |
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| 地図 | |
| 地方公共 団体コード |
11201 |
| 最寄り駅 (基準:地域中心部) |
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| 周辺の施設、 ランドマーク等 |
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- 「埼玉県 川越市 下広谷」の読み方は「さいたまけん かわごえし しもひろや」です。
- 「埼玉県 川越市 下広谷」の郵便番号は「〒350-0804」です。
- 「埼玉県 川越市」の地方公共団体コードは「11201」です。
「下広谷」の概要 from Wikipedia
下広谷(しもひろや)は、埼玉県川越市の大字。郵便番号は350-0804。
地理
川越市北西部の入間台地上に位置する、川越市が隣接する坂戸市や鶴ヶ島市に鍵の字型に突き出た地域。川越市の最北端に位置する。
東側で坂戸市大字紺屋や同東坂戸や同大字中小坂、南側で大字小堤や大字鯨井や大字小堤の飛地、西側で鶴ヶ島市大字五味ヶ谷や広谷新町や大字竹野、北側で坂戸市大字戸宮や同大字青木や同大字横沼と隣接する。北側の大字青木や同大字横沼付近の境界線はやや錯綜している。
地内は川越坂戸毛呂山線の南側に三角形にはみ出た区域が市街化区域で、第一種住居地域や第二種住居地域に指定された住宅地。
川越坂戸毛呂山線の北側となる地区の殆どが市街化調整区域に指定されているが、地内を東西に通る大谷川の南側は、市街化調整区域でありながら戸建ての住宅が多く、雑木林や農地は少ない。
大谷川の北側は住宅が少なくなり、水田や畑などの耕地整理されていない農地が多い。
北端部には坂戸市に跨る広い雑木林があり、その中央部を首都圏中央連絡自動車道(圏央道)が環境保全型シェルター(オオタカシェルター)で通過している。その雑木林には中世館跡が三箇所あり、鎌倉期構築の大堀山城跡などがある。
大谷川にバス停の名前にもなっている鎌倉橋が架かる南北に通る市道は、旧鎌倉街道と云われる。河川
大谷川
地価
住宅地の地価は、2004年(平成16年)の公示地価によれば、大字大字下広谷字笊田833番地91の地点で11万5,000円/m2となっている。近年は当地における地価の公表はない。
歴史
もとは江戸期より存在した武蔵国高麗郡に属する下広谷村であった。古くは勝呂郷に属したと云う。1648年(慶安元年)ごろ広谷村から上広谷村(現、鶴ヶ島市大字上広谷)や五味ケ谷村(現、鶴ヶ島市大字五味ケ谷)と共に分村したと云う。
村高は『元禄郷帳』によると405石余、『天保郷帳』によると545石余であった。検地は1648年(慶安元年)に実施。村の東部に幕府領の持添新田があり、検地は1744年(延享元年)に実施された。
化政期の戸数は96軒で、村の規模は東西30町、南北7町であった。鶏卵、繭、米、大麦、桑などを産出していた。上広谷村と五味ケ谷村の間や戸宮村(現、坂戸市大字戸宮)に飛地を領していた。村の東に秩父辺より川越や江戸に通じる、中世の鎌倉街道が通っていた。
はじめは川越藩領で以降変遷なし。
幕末の時点では高麗郡に属し、明治初年の『旧高旧領取調帳』の記載によると、前橋藩領および代官松村忠四郎支配所が管轄する幕府領であった。
1868年(慶応4年)6月20日 - 旧幕府領が武蔵知県事・松村長為(忠四郎)の管轄となる。
1869年(明治2年)/2月9日 - 武蔵知県事・古賀定雄の管轄区域に品川県を設置、旧幕府領が同県の管轄となる。
4月10日 - 管轄地域の交換が行われたため、一部が品川県から韮山県に移管となり(実際の実施は同年8月7日)、同県の管轄となる。
1871年(明治4年)/7月14日 - 廃藩置県を迎え、前橋藩領分が前橋県の管轄となる。
11月14日 - 第1次府県統合により、前橋県および韮山県が廃止され、入間県の管轄となる/1873年(明治6年)/6月15日 - 入間県が群馬県(第1期)と合併し、熊谷県の管轄となる。
1874年(明治7年)12月 - 下広谷村ほか鯨井村、吉田村、平塚村、小堤村に名細北小学校(現、川越市立名細小学校)を設置、合併して二校となる1883年(明治16年)3月まで設かれる。生徒数55人。
1876年(明治9年)8月21日 - 第2次府県統合により、埼玉県の管轄となる。
1879年(明治12年)3月17日 - 郡区町村編制法により成立した高麗郡に属す。郡役所は川越町に設置(入間郡役所を入間郡と共同で使用)。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、下広谷村が 、鯨井村、上戸村、小堤村、下小坂村、平塚村、平塚新田、吉田村、天沼新田と合併して名細村となり、名細村の大字下広谷となる。
1896年(明治29年)4月1日 - 郡制の施行により高麗郡が入間郡に編入、入間郡名細村の大字となる。
1951年(昭和26年) 大字下広谷の一部が分離され、新たに成立した入間郡名細村大字竹野の一部となる。また、大字下広谷の一部が鶴ヶ島村に編入され、大字五味ケ谷の一部が名細村(大字下広谷)に編入される。
1955年(昭和30年)4月1日 - 名細村が川越市に編入され、川越市の大字となる。
1981年(昭和56年)4月1日 - 地内に川越市立広谷小学校が開校する。
2006年(平成16年)1月26日 - 町名地番整理事業を実施。大字下広谷の一部が分離され、広谷新町の一部となる。世帯数と人口
2026年(令和8年)1月1日現在の世帯数と人口は以下の通り。
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。
交通
地内に鉄道は敷設されていない。最寄り駅は東武鉄道東上本線鶴ヶ島駅で、大字鯨井新田字新田後21番地60の地点より1.7 km離れている。
道路
首都圏中央連絡自動車道/埼玉県道39号川越坂戸毛呂山線 - 南部でかすめる。
埼玉県道256号片柳川越線バス
東武バスウエスト坂戸営業所/若02系統・東坂03系統(若葉駅 - 東坂戸団地 - 川越駅線)の路線バスが運行され、「下広谷」、「観音堂」バス停留所が設置されている。
市内循環バス「川越シャトル」(運行:東武バス)/10系統のコミュニティバスが設定され、「下広谷北自治会館前」、「鎌倉橋」、「下広谷南」、「白山西原公園入口」バス停留所が設置されている。寺社・史跡
諏訪神社/白山神社/本応寺別院/大堀山館跡 - 土塁・空堀、神明社(小祠)がある/広谷北城跡/広谷宮前館
公園
子ノ神前公園/下広谷南公園/団地内児童遊園/寺林公園/下広谷健康ふれあいの森/下広谷古海道公園/下広谷古海道第二公園/往還上公園/下広谷在家公園
施設
川越市立広谷小学校/下広谷南自治会館 - 下広谷南公民館とも/下広谷北自治会第二集会所(旧観音堂) - 近くに「観音堂」バス停留所がある。
若葉霊園/過去の施設/鶴ケ島幼稚園 - 下広谷898の辺りに所在した。建物は現存するが、荒廃してしまっている。参考文献
「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県(増補版)』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104。 /旧高旧領取調帳データベース
関連項目
川越市の町名/川越市内の通り/埼玉県第7区/中福 - 川越市における最南端に位置する町・字
外部リンク
川越市公式ホームページ/小江戸川越マップ/今昔マップ on the web