「青森県 弘前市 下白銀町」について
郵便番号 | 〒036-8356 |
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住所 | 青森県 弘前市 下白銀町 |
読み方 | あおもりけん ひろさきし しもしろがねちょう |
この地域の 公式HP |
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地図 | |
地方公共 団体コード |
02202 |
最寄り駅 (基準:地域中心部) |
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周辺の施設、 ランドマーク等 |
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- 「青森県 弘前市 下白銀町」の読み方は「あおもりけん ひろさきし しもしろがねちょう」です。
- 「青森県 弘前市 下白銀町」の郵便番号は「〒036-8356」です。
- 「青森県 弘前市」の地方公共団体コードは「02202」です。
「下白銀町」の概要 from Wikipedia
下白銀町(しもしろがねちょう)は、江戸期から現在にかけての青森県弘前市の地名。郵便番号は036-8356。2017年6月1日現在の人口は241人、世帯数は139世帯。
地理
当地の中心部に弘前城が位置し、主に弘前公園と文化・観光施設で構成される。町域の北部は亀甲町、東部は大浦町・蔵主町・元寺町、南東部は元長町、南東部から南部にかけて元大工町、南部は上白銀町、南西部は馬屋町、西部は五十石町・紺屋町に接する。
歴史
寛永末年頃 - 追手門の東部が片原町、北部の外東門までが下片原町と見える。この時点での町名である片原町の由来は、町域の一方が堀の片端にあることからとおもわれる(津軽弘前城之絵図)。
正保2年 - 町屋とある(津軽弘前城之絵図)。
慶安2年 - 銀町と見え、30軒余りの屋敷割りがされ、町屋と武家屋敷が混在している。このうち町屋には商家である宮崎屋・田村屋のほかに檜物屋・煙草作り・索麺屋・居鯖・鍔職人・箔屋・鉄砲師・藩医も居住(弘前古御絵図)。
慶安2年 - 寺町(現:元寺町)の大火後、当地は武家地となり、銀町の町名は百石町と本寺町を結ぶ鉄砲町が白銀町となる。
寛文13年 - 武家屋敷のみで22軒(空屋敷1軒)ある(弘前中惣屋敷絵図)。
天和3年 - 町内の一部が召し上げられ、町名が下白銀町になる(国日記)。
元禄年間 - 武家屋敷の郭外移転により、外堀沿いの当地は中・下級武士の屋敷街から大身の屋敷街に変わる。
元禄12年 - 家老津軽靭負・大道寺隼人などの屋敷地が配置される(国日記)。
元禄13年 - 追手門前に江戸衆屋敷が設置され、町年寄の屋敷も見える(津軽史)。
亨和3年 - 寛政7年開設の稽古館が追手門前に見える(御家中町割)。
文久2年 - 兵性改革により、稽古館跡地には修武堂が設置される(津軽歴代記類)。
1870年(明治3年) - 修武堂のほかに津軽右近らの重臣の屋敷地がある(弘前図)。
1872年(明治5年) - 藩校跡に市立東奥義塾が開校。
1877年(明治10年)3月29日 - 当地に地方裁判所が弘前裁判所として移転(現:青森地方裁判所弘前支部・弘前簡易裁判所)。沿革
江戸期 - 弘前城下の一町。
寛永末年頃 - 片原町・下片原町と称される。
慶安2年 - 銀町と称される。
天和3年 - 下白銀町と称される。
明治初年~明治22年 - 弘前を冠称。
1899年(明治22年) - 弘前市に所属。教育
学校法人白銀学園サンモードスクールオブデザイン
医療
松枝歯科
商業
ローソン弘前公園前店
通信
NTT東日本弘前支店
メディア
NHK弘前支局/陸奥新報社本社
文化施設
弘前市立博物館/弘前市立郷土文学館/弘前市立弘前図書館/弘前市立観光館/笹森記念体育館
ホール
弘前市民会館/弘前文化センター
旧跡
弘前城/弘前公園/弘前城植物園/護国神社
行政
青森地方裁判所弘前支部/弘前簡易裁判所/中南地域県民局地域農林水産部
重要文化財
旧弘前市立図書館/旧東奥義塾外人教師館
かつて存在した施設
東奥義塾高等学校 - 1987年に石川へ移転。
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。
交通
弘南バス/陸奥新報前、文化センター前(土手町循環100円バス)停留所。
文化センター停留所はNHK弘前支局側に位置。
文化センター前(ためのぶ号 津軽藩ねぷた村経由 - りんご公園線、他)停留所。
文化センター側に位置。
文化センター前(石渡 - 弘前駅線、他)停留所。
文化センター駐車場側に位置。参考文献
角川日本地名大辞典 2 青森県(角川書店)