「奈良県 生駒市 俵口町」について
郵便番号 | 〒630-0243 |
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住所 | 奈良県 生駒市 俵口町 |
読み方 | ならけん いこまし たわらぐちちょう |
この地域の 公式HP |
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地図 | |
地方公共 団体コード |
29209 |
最寄り駅 (基準:地域中心部) |
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周辺の施設、 ランドマーク等 |
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- 「奈良県 生駒市 俵口町」の読み方は「ならけん いこまし たわらぐちちょう」です。
- 「奈良県 生駒市 俵口町」の郵便番号は「〒630-0243」です。
- 「奈良県 生駒市」の地方公共団体コードは「29209」です。
「俵口町」の概要 from Wikipedia
俵口町(たわらぐちちょう)は、奈良県生駒市の町名。郵便番号は630-0243。
地理
生駒市中部に位置し、北に新生駒台、松美台、南田原町、喜里が丘、西に大阪府四條畷市、大東市、東大阪市、南から東にかけて門前町、北新町、光陽台、西松ケ丘、東松ケ丘、谷田町、桜ケ丘、生駒台南、生駒台北、小明町と接する。
河川
竜田川/薬師堂川 - 竜田川に合流する。
歴史
俵口の名は戦国時代には見え、大和国平群郡生馬荘に属していた。江戸時代の村名としては俵口村と言い、田原口村とも書いた。江戸時代の領主ははじめ竜田藩、寛永16年(1639年)からは郡山藩、延宝7年(1679年)からは旗本の松平氏へと移り変わる。
明治22年(1889年)に北生駒村の一部となり、大正3年(1914年)に大軌電車が開通しても人口はあまり増えなかったが、戦後、住宅が増加し都市化が進んでいった。地名の由来
早くから開けていた北隣の田原谷への入口という意味で「田原口」になったとみられ、その後「俵」の文字が用いられるようになったと考えられる。
沿革
1889年(明治22年) - 山崎村・谷田村・小明村・辻村・菜畑村と合併して北生駒村が発足。北生駒村大字俵口となる。
1921年(大正10年) - 生駒町の大字となる。
1962年(昭和37年) - 生駒台北が分離。
1968年(昭和43年) - 新生駒台・東松ケ丘・西松ケ丘・北新町が分離。
1970年(昭和45年) - 松美台・門前町が分離。
1971年(昭和46年) - 生駒市俵口町となる。
1975年(昭和50年) - 光陽台が分離。世帯数と人口
2020年(令和2年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通り。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
事業所
2016年(平成28年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通り。
バス
奈良交通/生駒台循環線/北田原線/上町生駒線/パークヒルズ田原線/生駒山麓公園ふれあいセンター線
道路
信貴生駒スカイライン/阪奈道路/奈良県道142号生駒停車場宛木線
施設
生駒市立俵口小学校/生駒台郵便局/阪奈中央病院/コーナン 生駒店/ディアーズコープいこま/長福寺/生駒山麓公園/生駒聖書学院
史跡
俵口北窯跡 - 奈良時代後半(8世紀後半)のものとみられる須恵器の窯跡。俵口から谷田地域にわたって発見されている。
田原口城跡 - 田原口氏(俵口氏)がいたとみられる中世の城跡。長福寺の本堂北側の裏山が主郭部と考えられる。参考文献
生駒市誌編纂委員会 編『生駒市誌(通史・地誌編)V』生駒市役所、1985年。 /「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 29 奈良県』角川書店、1990年。ISBN 4-04-001290-9。