郵便番号 846-0001
住所 佐賀県 多久市 北多久町
読み方 さがけん たくし きたたくまち
この地域の
公式HP
地図

地図を表示

地方公共
団体コード
41204
最寄り駅
(基準:地域中心部)
  • 中多久駅(JR在来線)
     …距離:672m(徒歩8分)
  • 多久駅(JR在来線)
     …距離:1.4km(徒歩18分)
  • 東多久駅(JR在来線)
     …距離:3.5km(徒歩44分)
周辺の施設、
ランドマーク等
  • 佐賀県立多久高校《高校》
  • 中多久駅(JR)《駅(JR在来線)》
  • JAさが多久中央支所《銀行その他》
  • 唐津線《鉄道路線名》
  • 多久郵便局《郵便局》
  • 剛友会諸隈病院《病院》
  • 高仁会中多久病院《病院》
  • 多久消防署《消防署》
  • 佐賀新聞社多久・小城支局《新聞社》
  • 多久市役所《市役所・東京23区の区役所》
  • 多久市立図書館《公共図書館》
  • 多久市中央公民館《ホール・会館》
  • 佐賀県 多久市 北多久町」の読み方は「さがけん たくし きたたくまち」です。
  • 佐賀県 多久市 北多久町」の郵便番号は「846-0001」です。
  • 佐賀県 多久市」の地方公共団体コードは「41204」です。

「北多久町」の概要 from Wikipedia

…(983文字)

北多久町(きたたくまち)は、佐賀県小城郡にあった町。現在の多久市の一部にあたる。

地理

多久盆地の北西部に位置していた。
河川:今出川、牛津川、山犬原川、小侍川/山岳:天山、笠頭山、女山(船山)

歴史

1889年(明治22年)4月1日、町村制の施行により、小城郡多久原村、小侍村が合併して村制施行し、北多久村(きたたくむら)が発足。旧村名を継承した多久原、小侍の2大字を編成。
1902年(明治35年)莇原郵便局開設/1913年(大正2年)電気点灯/1930年(昭和5年)多久原郵便局開設/1949年(昭和24年)4月1日、町制施行し北多久町となる。
1954年(昭和29年)10月1日、小城郡東多久村、南多久村、多久村、西多久村と合併し、市制施行し多久市を新設して廃止された。合併後、多久市北多久町多久原・北多久町小侍となる。

産業

農業、商業、工業/産物:米、麦、クリ、ソバ、切干大根、石炭/番所では1908年(明治41年)産業組合を設立し、原野を開墾してミカン栽培を進めた。
養蚕は1930年(昭和5年)に最盛期を迎えた。

鉱山

柚木原炭鉱/多久炭鉱(のち立山炭鉱)/正院谷炭鉱/坂口炭鉱/茂平炭鉱/伝原炭鉱/上の原炭鉱/蜂の巣炭鉱/以上の中小炭鉱が存在したが、1931年(昭和6年)には柚木原炭鉱、蜂の巣炭鉱のみが出炭を継続していた。その後、1936年(昭和11年)多久炭鉱、1941年(昭和16年)柚木原炭鉱、1943年(昭和18年)立山鉱業所、1948年(昭和23年)古賀山鉱業所が設立され、再び石炭産業が発展した。

鉄道

1899年(明治32年)唐津興業鉄道(唐津鉄道)厳木駅 - 莇原駅(現多久駅)間が開通。
1903年(明治36年)九州鉄道唐津線莇原駅 - 久保田駅間が開通して国有鉄道長崎本線と連絡し別府駅(東多久駅)開設。

乗合馬車・自動車

1915年(大正4年)多久西町 - 莇原間に6人乗り高等馬車運行。
1919年(大正8年)西多久 - 莇原間に乗合自動車を運行し、さらに武雄 - 莇原間の運行を行う。

教育

1895年(明治28年)多久原尋常高等小学校、小侍尋常高等小学校が合併し、北多久尋常高等小学校となる。

参考文献

角川日本地名大辞典 41 佐賀県/『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。

関連項目

佐賀県の廃止市町村一覧

関連ページ

【参考】
町域名に「北多久町」が含まれている住所一覧

検索ヒット数:7件
都道府県 市区町村 町域.
41佐賀県 たくし多久市 きたたくまち北多久町
41佐賀県 たくし多久市 きたたくまちめいぷるたうん北多久町メイプルタウン
41佐賀県 たくし多久市 きたたくまちなかたく北多久町中多久
41佐賀県 たくし多久市 きたたくまちたくばる北多久町多久原
41佐賀県 たくし多久市 きたたくまちこさむらい北多久町小侍
41佐賀県 たくし多久市 きたたくまちすなはら北多久町砂原
41佐賀県 たくし多久市 きたたくまちあざみばる北多久町莇原
  • 同じ町域内で複数の郵便番号がある場合、別々にリスト表示しています。