「東京都 足立区 千住柳町」について
| 郵便番号 | 〒120-0032 |
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| 住所 | 東京都 足立区 千住柳町 |
| 読み方 | とうきょうと あだちく せんじゅやなぎちょう |
| この地域の 公式HP |
※「東京都足立区」は、東京特別区です。
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| 地図 | |
| 地方公共 団体コード |
13121 |
| 最寄り駅 (基準:地域中心部) |
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| 周辺の施設、 ランドマーク等 |
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- 「東京都 足立区 千住柳町」の読み方は「とうきょうと あだちく せんじゅやなぎちょう」です。
- 「東京都 足立区 千住柳町」の郵便番号は「〒120-0032」です。
- 「東京都 足立区」の地方公共団体コードは「13121」です。
「千住柳町」の概要 from Wikipedia
千住柳町(せんじゅやなぎちょう)は、東京都足立区の町名。丁目の設定のない単独町名。住居表示実施済区域。
地理
足立区の南部に位置する。千住地区(旧千住町)の中では西部にあたる。北千住駅からも近く、主に住宅地となっている。
地価
住宅地の地価は、2026年(令和8年)1月1日の地価調査によれば、千住柳町6-12の地点で59万円/m2となっている。
歴史
千住柳町は、江戸時代の宿場町「千住宿」の西側に位置する。この地の歴史を大きく特徴づけているのは、かつて存在した新柳町遊郭(しんやなぎまちゆうかく、一般に千住遊郭とも呼ばれる)。
明治時代中期、千住宿の各所に点在していた飯盛旅籠(遊女屋)を、内務省の「貸座敷指定地」として一箇所に集約する計画が立てられた。これに伴い、1886年(明治19年)頃に現在の千住柳町にあたる湿地帯が埋め立てられ、遊郭が移転・開設された。
大正・昭和初期には東京近郊の代表的な歓楽街として賑わい、「北の吉原、南の品川、東の玉の井、西の千住」と並び称されることもあったが、戦後の売春防止法施行(1958年)によりその歴史を閉じた。現在は、当時の名残を留める建築物も一部に残るが、主に閑静な住宅地となっている。沿革
1886年(明治19年)頃 - 千住各地の遊女屋が集約され、新柳町遊郭が形成される。
1889年(明治22年)5月1日 - 町村制施行により、南足立郡千住町大字柳町となる。
1932年(昭和7年)10月1日 - 千住町が東京市へ編入され、足立区が発足。千住町大字柳町から足立区千住柳町に変更される。
1945年(昭和20年) - 東京大空襲の被害を受ける。
1958年(昭和33年)4月1日 - 売春防止法の完全施行により、遊郭としての歴史が幕を閉じる。
1970年(昭和45年)4月1日 - 住居表示が実施される。世帯数と人口
2025年(令和7年)1月1日現在(足立区発表)の世帯数と人口は以下の通り。
世帯数 : 1,081世帯/人口 : 1,821人人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2023年4月時点)。なお、足立区では学校選択制度を導入しており、区内全域から選択することが可能。ただし、小学校に関しては、2018年(平成30年)度から学区域または学区域に隣接する学校のみの選択になる。
区域 : 全域/小学校 : 足立区立千寿双葉小学校/中学校 : 足立区立千寿青葉中学校事業所
2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通り。
事業所数 : 72事業所/従業員数 : 525人事業者数の変遷
経済センサスによる事業所数の推移。
従業員数の変遷
経済センサスによる従業員数の推移。
鉄道
地区内に鉄道駅は無い。最寄り駅は北千住駅となっている。
施設
勝楽堂病院/足立成和信用金庫 柳町支店
日本郵便
郵便番号 : 120-0032(集配局 : 足立郵便局)。
参考文献
角川日本地名大辞典 13 東京都
脚注