「大阪府 大阪市 中央区 南久宝寺町」について
| 郵便番号 | 〒541-0058 |
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| 住所 | 大阪府 大阪市 中央区 南久宝寺町 |
| 読み方 | おおさかふ おおさかしちゅうおうく みなみきゅうほうじまち |
| この地域の 公式HP |
※「大阪市」は、政令指定都市です。
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| 地図 | |
| 地方公共 団体コード |
27128 |
| 最寄り駅 (基準:地域中心部) |
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| 周辺の施設、 ランドマーク等 |
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- 「大阪府 大阪市 中央区 南久宝寺町」の読み方は「おおさかふ おおさかしちゅうおうく みなみきゅうほうじまち」です。
- 「大阪府 大阪市 中央区 南久宝寺町」の郵便番号は「〒541-0058」です。
- 「大阪府 大阪市中央区」の地方公共団体コードは「27128」です。
- ■f03: 丁目を有する町域。
- 郵便番号を設定した町域(大字)が複数の小字を有しており、各小字毎に番地が起番されているため、町域(郵便番号)と番地だけでは住所が特定できない町域。
「南久宝寺町」の概要 from Wikipedia
南久宝寺町(みなみきゅうほうじまち)は、大阪府大阪市中央区の町名。現行行政地名は南久宝寺町一丁目から南久宝寺町四丁目。
地理
北は北久宝寺町、南は博労町、東は東横堀川久宝寺橋を挟んで材木町・松屋町住吉、西は西横堀川跡の阪神高速1号環状線北行きを挟んで西区立売堀・新町にそれぞれ接する。
大阪では有数の問屋街の一つ。南久宝寺町1丁目から3丁目まではアーケードが設置されている。また、南久宝寺町通として大阪市内を東西に走る道路の名称にも使われている。河川
東横堀川
南久宝寺町通
中央大通から数えて3本南側の通り。東行きの一方通行。阪神高速1号環状線の長堀入口に接続している(接続部の地名は松屋町住吉)。
歴史
1872年(明治5年)まで、現在の3丁目と4丁目のうち御堂筋沿いは北久宝寺町5丁目、佐野屋橋筋沿いと渡辺筋沿いは上難波町、西横堀川沿いは西笹町という町名だった。
江戸時代から小間物問屋が集積した問屋街としての歴史を持ち、戦後は衣料品や服飾雑貨(カバン・袋物・傘・靴など)を扱う現金問屋街となった。バブル崩壊頃より閉店する問屋が増え、かつての活気は失われつつあるが、いまなお大阪では有数の問屋街の一つ。
明治以降、南北久宝寺町は秋の誓文払いの売出しで盛大を極めた。
南久宝寺町を含む中船場は、日常使う言葉や商家の風習なども「戦前までの船場的スタンダード」といった雰囲気をよく醸し出していた。
1962年(昭和37年)に埋め立てられた西横堀川には助右衛門橋が架橋されていた。地名の由来
当地に久宝寺という寺院があったことに由来するという説と、道頓堀川が開削された際に河内国渋川郡久宝寺村(顕証寺の寺内町)から多くの人夫が来て、当地を住地にしていたことに由来するという説の2つがある。
南久宝寺町問屋街
南久宝寺町の問屋街としての歴史は古く、江戸中期にさかのぼるという。管などの日本髪用の頭飾品を中心とした小間物に始まり、その後洋装用装身具に変化しながら、粧装品卸商の町として栄えてきた。小間物商はその種類は雑多であるが、南北久宝寺町を第一として、南北久太郎町・唐物町・博労町に多かった。明治元年、三休橋筋南久宝寺町通下る東側に大阪小間物卸商同業組合の事務所が置かれるなど、南北久宝寺町は小間物商の中心的地域であった。明治、大正、昭和と時代の変わるうちに、各問屋も化粧専門の店、或いは小間物専門の店へと専業化の道をたどった。特に戦時中小間物も、簪、櫛と言ったものがネックレス、手袋、下着といった風に婦人の装粧品を中心とするものになった。アクセサリー、化粧用具、身辺雑貨(婦人下着、その他)、ブラシ、理容用品、頭飾品、室内アクセサリー(人形、オルゴールなど)、婦人衛生用品、袋物等と商品の種類も非常に多くなっていった。1930年代後半から統制経済によって商業活動は困難になり、1945年3月の大空襲によって壊滅した。しかし、戦後の1946年春頃から営業を再開する店や新たに開業する店が出始め、1948年 には昔日の久宝寺間屋街を偲ばせる迄に復興開店した。戦後の立直りが早かったのは、他の商品に較べて統制が割に少なかったから。高度成長期には建物のビル化も進んだ。1958年に大阪久宝寺町問屋連盟が発足し、1963年には堺筋に久宝寺卸連盟会館が完成。2014年に板屋橋筋に新館が建てられた。かつての南久宝寺町通は狭い道幅であったが、都市計画により八間道路となった。戦後、通りの歩道地下に塵芥容器を設置し、上部にはアーケードが1970年に完成。50年を迎えた2020年にアーケードを撤去し、オープンモールの通りとなった。
世帯数と人口
2019年(平成31年)3月31日現在の世帯数と人口は以下の通り。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
事業所
2016年(平成28年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通り。
施設
久宝寺橋 - 東横堀川/難波神社 - 敷地は博労町四丁目と南久宝寺町四丁目。
太閤路地の碑 - 堺筋南久宝寺町通下る西側/南久宝寺町の歴史の碑 - 南久宝寺町通堺筋南西角/萬栄/御堂筋ダイビル - 4丁目、御堂筋沿い/クツワ文具店 - 南久宝寺町通東横堀筋西入る南側。元西村福松商店。本社ビルは1938年竣工。
旧西海商店ビル - 南久宝寺町通心斎橋筋東南角。西海商店はステッキ・洋装付属品雑貨などを取り扱っていた。
羽岡絲店 - 心斎橋筋南久宝寺町通上る西側。創業明治10年。鉄道
地内に駅はなく、地下鉄堺筋線の堺筋本町駅および本町駅が最寄り駅。
道路
高速道路/阪神高速1号環状線/国道/国道25号(御堂筋)/主要地方道/大阪府道102号恵美須南森町線(堺筋)
日本郵便
〒541-0058(集配局:大阪東郵便局)
関連項目
問屋街/船場/久宝寺橋/佐野繁次郎 - 洋画家。生家は南久宝寺町心斎橋筋の筆墨・硯店「古梅園」。
平尾賛平商店 - 南久宝寺町四丁目に大阪支店があった。
石原時計店 - 当初は楽器店と共に心斎橋筋南久宝寺町通下る西側にあり、後に心斎橋南詰に洋館建てのビルを構える。
前川善兵衛 - 伊丹屋系書肆「文栄堂」。心斎橋筋南久宝寺町通上る東側に書店および楽器店・教育器械店を併設。類焼後、塩町通に移り前川合名会社を設立。参考文献
宮本⼜次『船場』ミネルヴァ書房(⾵⼟記⼤阪第1集)1960年/⾹村菊雄『⼤阪慕情 船場ものがたり』神⼾新聞出版センター 1976年/橋⽖節也『モダン⼼斎橋コレクション ─メトロポリスの時代と記憶─』国書刊⾏会 2005年/前川佳⼦、近江晴⼦『船場⼤阪を語りつぐ 明治⼤正昭和の⼤阪⼈、ことばと暮らし』和泉書院 2016年
外部リンク
中央区/協同組合大阪久宝寺町卸連盟