郵便番号 030-0902
住所 青森県 青森市 合浦
読み方 あおもりけん あおもりし がっぽ
この地域の
公式HP
地図

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地方公共
団体コード
02201
最寄り駅
(基準:地域中心部)
  • 東青森駅(青い森鉄道)
     …距離:2.5km(徒歩31分)
  • 筒井(青森県)駅(青い森鉄道)
     …距離:2.8km(徒歩35分)
  • 青森駅(JR在来線/青い森鉄道)
     …距離:3.1km(徒歩39分)
周辺の施設、
ランドマーク等
  • 青森栄町郵便局《郵便局》
  • 浪打公園《近隣公園》
  • 東消防署《消防署》
  • 青森市立合浦小学校《小学校》
  • みちのく銀行栄町支店《地方銀行》
  • 青森銀行青森東支店《地方銀行》
  • 佃福祉会合浦保育園《保育所》
  • 青森市立浪打中学校《中学校》
  • ツルハドラッグ青森港町店《ドラッグストア》
  • スーパーふじわら栄町本店《スーパーマーケット》
  • みちぎんドリームスタジアム多目的広場《スポーツ施設(小規模)》
  • 青森県 青森市 合浦」の読み方は「あおもりけん あおもりし がっぽ」です。
  • 青森県 青森市 合浦」の郵便番号は「030-0902」です。
  • 青森県 青森市」の地方公共団体コードは「02201」です。
補足事項
■f03: 丁目を有する町域。
郵便番号を設定した町域(大字)が複数の小字を有しており、各小字毎に番地が起番されているため、町域(郵便番号)と番地だけでは住所が特定できない町域。

「合浦」の概要 from Wikipedia

…(2,411文字)

合浦(がっぽ)は青森県青森市の地名。現行行政地名は合浦一丁目及び合浦二丁目。郵便番号は030-0902。

地理

青森市中心部からみて東に位置し、北は青森湾に面する。東で造道、南で浪打、南の道路上の一点で花園、南西で栄町、西で茶屋町・港町と接する。
一丁目西端の道路その道路沿いには商店や事務所等がみられる。それらの裏にあたる一丁目の中部は戦前以来の住宅地であるが、タクシー会社等の事業所もみられる。さらにその道路を南下すると、国道4号と交わる栄町交差点に出て、通称「東青森駅通り」と呼ばれる道路につながる。
二丁目の大半は合浦公園が占めるが、北西端には造船所があり、西に隣接する港町とともに、準工業地域の一角を形成する。南端の国道沿いは、商店が事務所等が多い。それ以外の場所では一般の住宅が多い。

河川

根子堰 - 町の東端を流れる。

海洋

青森湾 - 陸奥湾の支湾

通学区域

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。

交通

現在、地域内に鉄道駅はないが、下記のバス停留所は存在する。

バス停留所

青森市営バス - 合浦公園前(東部営業所・県立中央病院方面行き)、岡造道一丁目(沢田橋方面行き)/弘南バス - 合浦公園前(青森営業所方面行き)/
※ なお、上記の反対方向に向かう停留所は、国道4号をはさんで向かい側にあるが、その所在地は浪打。
青森市市民バス - 合浦小学校通り、合浦公園西口、スポーツ会館前、合浦町(県立中央病院方面行き)

道路

国道4号 - 町の南端を通過/青森市都市計画道路3・3・1石森橋通り線 - 合浦公園西口から西に向かっている。
青森市都市計画道路3・3・2青森駅通り合浦線 - 町の西端付近から青森駅前広場につながる。途中から、本町通り、新町通りと呼ばれるようになる。

歴史

元々は水田の多い場所であったが、明治に入って合浦公園が建設され、明治の末から地域内に学校が移転し、また、青森市の人口が増加したことから住宅地として発展し、交通も整備され始めた。区画整理が行われ、「合浦町」・「西門町」と呼ばれるようになる。戦後は競輪場・野球場が作られ、学校・公園の存在も相まって、大いににぎわった。その後、浪打駅が廃止され、学校も他の地域に移転して数を減らしていったが、体育館、室内プールなど、スポーツ施設は徐々に充実していった。

地名の由来

合浦とは戦国期から見える地名。かつて、現在の津軽地方の北部海岸を外浜(そとがはま)と呼んだ。その外浜を北部を上磯、東部を下磯と2つに区分したときの接合点が合浦と呼ばれたのだという。

沿革

1894年(明治27年)- 合浦公園が完成。
1911年 (明治44年) - 青森商業学校(現在の青森県立青森商業高等学校)が造道字浪打に移転(後の青森市民体育館の場所)。【盛衰記】/1912年(明治45年) - 青森県立青森中学校(現在の青森県立青森高等学校)が造道字浪打の合浦公園南側に移転。現在の青森市営球場の場所。【盛衰記】/1924年(大正13年) - 附近に東北本線浪打駅が開業する。
同年 - 篠原喜次郎がここから青森駅前までの路線バスの運行を始める。この事業は、翌々年、青森市に買収され、青森市営バスの基礎となる。
1931年(昭和6年)9月 - 青森市浪打第一区画整理組合が設立された。組合長は大坂金助。【盛衰記】/1932~1934年 (昭和7~9年) - 浪打第一地区区画整理が行われた。(https://www.city.aomori.aomori.jp/jutaku-machizukuri/shiseijouhou/matidukuri/toshidukuri/kakutiku-seibi/toshiseibi.html )/青森市 「土地区画整理事業による面的な都市整備」/2019年5月8日閲覧)その後、その地区は「造道字合浦町」となった。現在の合浦一丁目付近。
1935年(昭和10年) - 青森市立第一中学校(現在の青森県立青森北高等学校)が造道字合浦町に設置された。
1945年(昭和20年)7月 - 青森空襲により、青森中学校・青森商業学校の校舎が焼失した。
1950年(昭和25年)6月 - 合浦公園内のグラウンドに青森競輪場が建設されたため、その代替として、現在の青森市スポーツ会館、浪打公園附近に青森市営陸上競技場が建設された。なお、ここはもともと忠魂塔建設予定地であった。同年、青森市営球場が青森中学校跡地に建設された。【盛衰記】/1966年(昭和41年)6月1日 - 青森市東部地区住居表示実施により、造道字浪打および造道字合浦町の各一部が、合浦一丁目、同二丁目となる。
1968年(昭和43年)- 国鉄東北本線の南方移転に伴い、浪打駅が廃止。
1971年(昭和46年) - 青森県立青森商業高等学校が同市造道字磯野(のちの東造道)に移転。
1977年(昭和52年) - 青森商業高等学校跡地に青森市民体育館が設置。同年開催の第32回国民体育大会(あすなろ国体)の会場として使われた。
1982年(昭和57年) - 合浦公園内の青森競輪場が青森市新城に移転。跡地は多目的広場となる。
1984年(昭和59年) - 青森県立青森北高等学校が同市羽白に移転。(校舎は青森市立浪打中学校に転用された後に解体。敷地は同中学校に取り込まれた。)/2002年(平成14年) - 青森市スポーツ会館が完成する。
2024年(令和6年)6月30日 - 青森市民体育館が閉館。

施設

合浦公園/青森市営野球場/青森市民室内プール/青森市立浪打中学校/青森市スポーツ会館/浪打公園/青森合浦郵便局/合浦保育園/青森警察署浪打交番

関連項目

青森市地区一覧

外部リンク

青森市公式サイト/
※花園とは道路上の一点で接する。

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