「奈良県 生駒市 壱分町」について
郵便番号 | 〒630-0222 |
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住所 | 奈良県 生駒市 壱分町 |
読み方 | ならけん いこまし いちぶちょう |
この地域の 公式HP |
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地図 | |
地方公共 団体コード |
29209 |
最寄り駅 (基準:地域中心部) |
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周辺の施設、 ランドマーク等 |
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- 「奈良県 生駒市 壱分町」の読み方は「ならけん いこまし いちぶちょう」です。
- 「奈良県 生駒市 壱分町」の郵便番号は「〒630-0222」です。
- 「奈良県 生駒市」の地方公共団体コードは「29209」です。
「壱分町」の概要 from Wikipedia
壱分町(いちぶちょう)は、奈良県生駒市の町名。郵便番号は630-0222。
地理
生駒市南部に位置し、北に東生駒、さつき台、東菜畑、中菜畑、西菜畑町、西に菜畑町、小倉寺町、南に有里町、小瀬町、東に奈良市と隣接する。また周囲を取り囲む形で翠光台とも接している。
河川
竜田川/別院川 - 竜田川支流。
歴史
室町時代には平群郡生馬荘に属する地名として「一分」が見える。江戸時代の村名は壱分村だが、「一分村」「一部村」とも書いた。江戸時代初めは幕府領、元和元年(1615年)からは郡山藩領となる。
明治22年(1889年)に南生駒村の大字となり、昭和元年(1926年)には信貴生駒電鉄が壱分を通った。壱分の東部では、昭和38年(1963年)に生駒高校が開設され、水道の便にあやかりその周辺に住宅が増えた。また東生駒からの延長となる形で、近鉄不動産によってさつき台住宅地が造成された。壱分西部では、往馬大社の神域の一部が解放されるとその地に南風台が開発され、その西南には晴光台が開発された。地名の由来
以下の由来が考えられる。
くまかし(いちいがし)が生えた里として「櫟生」(いちふ)と呼ばれたという説。
『日本書紀』に有間皇子が「市経」(いちぶ)に居を構えたとあり、その市経をこの地とする説。
平安時代の下級官吏「一分官」が住んでいたことによるという説。
中世末期、興福寺一乗院領の生馬庄が一分と二分に分かれており、この地が一分に属していたことによるという説。沿革
1889年(明治22年) - 萩原村・藤尾村・西畑村・鬼取村・小倉寺村・大門村・有里村・小瀬村・乙田村・小平尾村と合併して南生駒村が発足。南生駒村大字壱分となる。
1955年(昭和30年) - 生駒町の大字となる。
1971年(昭和46年) - 生駒市壱分町となる。
1983年(昭和58年) - さつき台が分離。
2018年(平成30年) - 翠光台が分離。世帯数と人口
2020年(令和2年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通り。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
事業所
2016年(平成28年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通り。
鉄道
近鉄生駒線/一分駅
バス
奈良交通/東生駒団地線
道路
国道168号/第二阪奈道路
施設
生駒市立壱分小学校/奈良県立生駒高等学校/往馬大社/無量寺/スーパー中村屋 東生駒店
参考文献
生駒市誌編纂委員会 編『生駒市誌(通史・地誌編)V』生駒市役所、1985年。 /「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 29 奈良県』角川書店、1990年。ISBN 4-04-001290-9。