「宮崎県 都城市 安久町」について
郵便番号 | 〒885-0044 |
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住所 | 宮崎県 都城市 安久町 |
読み方 | みやざきけん みやこのじょうし やすひさちょう |
この地域の 公式HP |
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地図 | |
地方公共 団体コード |
45202 |
最寄り駅 (基準:地域中心部) |
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周辺の施設、 ランドマーク等 |
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- 「宮崎県 都城市 安久町」の読み方は「みやざきけん みやこのじょうし やすひさちょう」です。
- 「宮崎県 都城市 安久町」の郵便番号は「〒885-0044」です。
- 「宮崎県 都城市」の地方公共団体コードは「45202」です。
「安久町」の概要 from Wikipedia
安久町(やすひさちょう)は、宮崎県都城市の町丁。郵便番号は885-0044。人口は3,827人、世帯数は1,561世帯。
地理
市の南部に位置し、日南市(東部)、梅北町(西部)、鹿児島県曽於市末吉町(南部)、串間市(南東部)、上長飯町(北部)、豊満町・三股町(北東部)、下長飯町(北西部)と隣接する。
河川
安久川/萩原川/鍋の谷川/安楽川
中世
日向國諸縣郡に属し、地名は南北朝期の名田名に因む。応安(1375年)8年3月23日の島津氏久書状によれば、氏久は日向国の富山彦五郎義弘が「島津御庄日向方中郷富山・安久名・和里木名・同秋永等」を相伝していることを主張し、室町幕府の安堵を求めたため、斎藤六郎左衛門入道を通してその推挙を求めている。
近世
江戸時代は薩摩藩都城島津氏私領地。都城郷(外城)に属す。「三国名勝図会」によれば、寺社は、鶴岡八幡宮、医王山知足院正応寺がある。鶴岡八幡宮は文明17年(1485年)出水城主島津国久の発起で、北郷義久・島津忠廉とともに勧請したものと伝わる。
鉄道
最寄駅は西都城駅(JR日豊本線・きりしま)が挙げられる。
道路
国道222号/宮崎県道12号都城東環状線/宮崎県道34号都城串間線/宮崎県道108号財部庄内安久線/都城盆地朝霧道路
バス
宮崎交通33・34系統
学区
小学校は都城市立安久小学校に、中学校は都城市立中郷中学校に進学する。
施設
中郷地区公民館/都城市立安久小学校/中郷郵便局/都城警察署中郷駐在所
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
金御岳/安久温泉/興玉神社/尾平野洞窟/薩摩藩 石原番所跡/六ヶ城跡/古城跡/池平城跡/正応寺跡/堀之内御所跡/安久節/正応寺大太鼓踊
人口
都城市ホームページによると、2023年(令和5年)9月1日時点での域内の人口は以下の通り。
沿革
明治4年(1871年) ― 廃藩置県により、当初は鹿児島県の管轄となり、後に都城県へ移管される。
明治6年(1873年) ― 宮崎県(第1次)の管轄となる。
明治9年(1876年) ― 第2次府県統合により鹿児島県の管轄となる。
明治16年(1883年) ― 宮崎県(第2次)の管轄となり、同年発足の北諸県郡に属す。
明治17年(1884年) ― 安久・豊満・梅北の3ヵ村が連合して上安久に戸長役場を置く。
明治22年(1889年) ― 町村制の施行により、中郷村が発足し同村の大字となる。中郷村役場を当地に設置。
昭和42年(1967年) ― 中郷村が都城市に編入。以後、中郷地区安久町となる。中郷地区安久町
上安久/下安久/一本杉/藤田/後久/高野原/長谷谷/正応寺/北條/建立寺/湯之元/笠岩/鹿ノ川内/石原/中原/鍋谷/猪之谷/御所谷/尾平野/内木谷
参考文献
角川日本地名大辞典編纂委員会 『角川日本地名大辞典 45 宮崎県』 角川書店、1979年。
脚注