郵便番号 981-3103
住所 宮城県 仙台市 泉区 山の寺
読み方 みやぎけん せんだいしいずみく やまのてら
この地域の
公式HP
※「仙台市」は、政令指定都市です。
地図

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地方公共
団体コード
04105
最寄り駅
(基準:地域中心部)
  • 泉中央駅(仙台市地下鉄南北線)
     …距離:2.4km(徒歩30分)
  • 八乙女駅(仙台市地下鉄南北線)
     …距離:2.9km(徒歩36分)
  • 黒松(宮城県)駅(仙台市地下鉄南北線)
     …距離:4.2km(徒歩52分)
周辺の施設、
ランドマーク等
  • 私立東北学院榴ケ岡高校《高校》
  • 向陽台五丁目緑地《都市緑地・緑道》
  • 仙台市立向陽台小学校《小学校》
  • 宮城県 仙台市 泉区 山の寺」の読み方は「みやぎけん せんだいしいずみく やまのてら」です。
  • 宮城県 仙台市 泉区 山の寺」の郵便番号は「981-3103」です。
  • 宮城県 仙台市泉区」の地方公共団体コードは「04105」です。
補足事項
■f03: 丁目を有する町域。
郵便番号を設定した町域(大字)が複数の小字を有しており、各小字毎に番地が起番されているため、町域(郵便番号)と番地だけでは住所が特定できない町域。

「山の寺」の概要 from Wikipedia

…(4,114文字)

山の寺(やまのてら)は、宮城県仙台市泉区の町丁。郵便番号は981-3103。住民基本台帳に基づく人口は3,951人、世帯数は1,957世帯(2025年4月1日現在)。現行行政地名は山の寺一丁目から山の寺三丁目であり、全域で住居表示が実施されている。旧泉市七北田字山の寺・市名坂字天神沢・字馬沢・字寺下・字新門前の各一部、泉市山の寺、仙台市山の寺。

地理

宮城県仙台市泉区の東部、要害川左岸の河岸段丘に位置し、標高25メートルから80メートルの比高差のある谷部には「日本三山寺」の一つに数えられる洞雲寺が存在する。
都市計画法上の用途地域では第一種低層住居専用地域、第一種住居地域(宮城県道56号仙台三本木線の沿道)、準工業地域(国道4号仙台バイパスの沿道)に指定されている。
河川:要害川

地名の由来

平安時代初期に慈覚大師が円通寺(洞雲寺の前身)を中興した際、この寺を「山ノ寺」と名付け、一帯の地名が山ノ寺と称されるようになった。また、住居表示実施前も七北田の小字として字山の寺が存在していた。

奈良時代まで

現在の山の寺では、慶雲元年(704年)に藤原鎌足の長男である定恵が巡錫中に蓮葉山円通寺を開基したと伝えられており、俗に佐賀野寺と称していた。定恵による寺の創建にあたっては、以下のような伝承が存在する。
上記に登場する大菅谷・佐賀野夫妻の伝承は根白石にも存在し、根白石から野村・古内・上谷刈にかけての地域一帯で称された萱野平という地名の由来としても伝えられている。また、根白石では夫妻が蝦夷とされている。
円通寺には坂上田村麻呂と阿久玉に関する伝承も残されている。これは利府本郷の阿久玉という女性と坂上苅田麻呂の間に生まれた田村麻呂が、宝亀年間に円通寺で学問を修めていた、若しくは育てられたという内容。
当時の山の寺から根白石にかけての地域は大菅谷と呼ばれ、後に大菅谷保と称されるようになった。大菅谷が文献上に初めて登場したのは、奈良時代末期である宝亀11年12月庚子(781年1月9日)の征東使の奏言であり、以下の記述が続日本紀に記録されている。
この記述は宝亀の乱直後、多賀城付近の山間部に拠点を置いていた蝦夷に反乱の兆候がみられたため、2,000人の兵士を従えて鷲座・楯座・石沢・大菅谷・柳沢の5道を討伐し、防御線を確保しようとしたもの。5道のうち鷲座は現在の根白石、楯座は大倉、大菅谷は七北田、柳沢は上谷刈と考えられており、旧七北田村域で歴史に現れた最初の地名とされている。

平安時代

弘仁に入ると、慈覚大師が円通寺を中興し毘盧遮那仏を安置、山ノ寺と名付けたものの、寺は間もなく荒廃した。寺の荒廃については以下のような伝承が残されている。
奈良時代末期から平安時代初期にかけて起こった蝦夷の動乱が平定すると、宮城郡内でも郷が編成されるようになり、和名類聚抄には赤瀬・磐城・科上・丸子・大村・白川・宮城・余戸・多賀・柄屋の10郷が掲載された。このうち柄屋郷は延喜式の兵部省諸国駅伝馬条の駅家として記載されている「栖屋駅」と同一で、栖屋の誤記と考えられており、郷土史家の藤原相之助は『奥羽古史考証』において大菅谷を柄屋郷に比定した。また、藤原は古駅路の駅家だった大菅谷駅が現在の山の寺付近に存在し、これを延喜式の栖屋駅とした。一方で、邨岡良弼の『日本地理志料』では栖屋駅の場所を現在の利府町菅谷としており、日本歴史地名大系では利府町菅谷に比定するのが通説として解説されている。

中世・近世

暦応3年(1340年)には加賀国大乗寺の明峰素哲が、当時山の寺を治めていた国分盛胤の招請に応じ、竜門山洞雲寺として山ノ寺を再興させた。寺の再興については、天長年間に大蛇となったとされる竹阿と普美子に関連して以下の伝承が残されている。

近代以降

行政区画としては陸奥国宮城郡国分七北田村および国分市名坂村の一部にあたり、明治4年7月14日(1871年8月19日)に廃藩置県によって仙台県の管轄に、明治5年1月8日(1872年2月16日)に宮城県へ改称された。同年4月9日(6月10日)には大区小区制の施行により七北田村は宮城県第2大区小7区、市名坂村は宮城県第2大区小8区となり、その後の1874年(明治7年)4月に両村が第2大区小3区、1876年(明治9年)11月に第2大区小14区にそれぞれ変更された。大区小区制は1878年(明治11年)10月21日に廃止され、1889年(明治22年)4月1日には新たに町村制が施行、全域が七北田村となった。
現在の山の寺付近には90町5反2畝20歩(約0.90平方キロメートル)の国有林が存在し、七北田村は薪材の払い下げを受けていた。この国有林はもともと洞雲寺の所有する土地であったため、1896年(明治29年)に洞雲寺は下戻の申請を行ったものの、不成立に終わっていた。1909年(明治42年)になるとこの国有林は不要在置林野として処分されることになり、所有権を巡って洞雲寺と七北田村が対立したが、最終的には七北田村が6,700円で払い下げを受けることに決定した。払い下げ金の財源は同山林の立木を3年間に渡って売却することで充当し、同時に大久保山と長者堀の2か所(約40町歩)に植林を行った。このとき植林した杉は、後に七北田中学校新築の際の財源として利用された。
1943年(昭和18年)4月20日、仙台鉄道の蒸気機関車から出た飛び火によって七北田村の村有林(元国有林)が山火事となり、延焼した洞雲寺は全焼する被害に遭った。これにより伽藍はすべて焼失したものの、洞雲寺の歴史が記された古碑(重興洞雲寺碑)のみが被害を逃れ現存しており、焼失した寺の跡地は「山の寺廃寺」として遺跡に登録されている。
1976年(昭和51年)5月1日、向陽台地区の住居表示実施に伴い、七北田および市名坂の一部をもって山の寺が誕生した。

年表

1976年(昭和51年)5月1日 - 向陽台地区の住居表示実施に伴い、七北田および市名坂の一部をもって山の寺一丁目・山の寺二丁目・山の寺三丁目が誕生する。なお、告示は昭和51年自治省告示第101号として同年6月14日に行われた。
1988年(昭和63年)3月1日 - 泉市が仙台市へ編入され、仙台市山の寺となる。
1989年(平成元年)4月1日 - 仙台市が政令指定都市に移行し、泉区が誕生。仙台市泉区山の寺となる。

町名の変遷

町名の変遷は以下の通り。

世帯数と人口

2025年(令和7年)4月1日現在の世帯数と人口は以下の通り。

世帯数と人口の推移

国勢調査による1995年(平成7年)以降の世帯数と人口の推移は以下の通り。

小・中学校の学区

小・中学校の学区は以下の通りとなる。

寺社

洞雲寺(山の寺二丁目)

公園

山の寺一丁目南公園(山の寺一丁目16-21)/山の寺一丁目東公園(山の寺一丁目45-455)/山の寺一丁目緑地(山の寺一丁目45-456外)/山の寺一丁目公園(山の寺一丁目45-457)/馬沢公園(山の寺一丁目48-7)/山の寺二丁目公園(山の寺二丁目29-10)/山の寺二丁目東公園(山の寺二丁目29-772外)/山の寺三丁目緑地(山の寺三丁目45-475外)/山の寺三丁目公園(山の寺三丁目45-476)/山の寺三丁目北公園(山の寺三丁目45-487)

企業・店舗

?野家 4号線仙台山の寺店(山の寺一丁目1-3)/セブン-イレブン 仙台山の寺1丁目店(山の寺一丁目1-10)/ローソン 仙台山の寺一丁目店(山の寺一丁目39-31)

鉄道

鉄道駅はない。最寄り駅は■仙台市地下鉄南北線の泉中央駅。かつては仙台鉄道山ノ寺駅が存在していた。

バス

2025年(令和7年)4月1日改正時点のバス停留所は以下の通り。
宮城交通/山の寺洞雲寺前(27/45/46系統)/山の寺一丁目南(26/29/31系統)/山の寺一丁目南 - 山の寺一丁目公園前 - 山の寺一丁目北 - 山の寺三丁目南 - 山の寺三丁目北(26/28系統)

一般国道

国道4号(仙台バイパス)

一般県道

宮城県道56号仙台三本木線

参考文献

藤原相之助『奥羽古史考証』友文堂書房、1932年4月23日。doi:10.11501/1174020。 /七北田村 著、七北田村誌編纂委員會 編『七北田村誌』宮城縣宮城郡七北田村、1953年3月20日。doi:10.11501/3005516。 /宮城縣 著、宮城縣史編纂委員会 編『宮城縣史 3(近代史)』財団法人宮城縣史刊行会、1964年3月31日。doi:10.11501/3005482。 /菊地勝之助『宮城県地名考』宝文堂、1970年5月15日。doi:10.11501/9569219。 /宮城縣 著、宮城縣史編纂委員会 編『宮城縣史 21(民俗III)』財団法人宮城縣史刊行会、1973年3月31日。doi:10.11501/2992711。 /仙台市民図書館 著、種部金蔵 編『要説 宮城の郷土誌(続)』(PDF)宝文堂、1992年7月13日。ISBN 4-8323-0056-3。https://lib-www.smt.city.sendai.jp/wysiwyg/file/download/1/728。2025年5月7日閲覧。 /福田一「自治省告示第101号」『官報』14829号、大蔵省印刷局、1976年6月14日。https://search.kanpoo.jp/r/19760614h14829p14-16。2025年5月11日閲覧。 /仙台市泉区建設部公園課『泉区公園一覧』(PDF)仙台市建設局公園管理課、2025年4月11日。https://www.city.sendai.jp/shisetsukanri/kurashi/shizen/midori/koen/shokai/ichiran/documents/izumiku.pdf。2025年5月11日閲覧。

関連項目

仙台市の町・字一覧/洞雲寺

関連ページ