「東京都 新宿区 市谷甲良町」について
郵便番号 | 〒162-0856 |
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住所 | 東京都 新宿区 市谷甲良町 |
読み方 | とうきょうと しんじゅくく いちがやこうらちょう |
この地域の 公式HP |
※「東京都新宿区」は、東京特別区です。
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地図 | |
地方公共 団体コード |
13104 |
最寄り駅 (基準:地域中心部) |
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周辺の施設、 ランドマーク等 |
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- 「東京都 新宿区 市谷甲良町」の読み方は「とうきょうと しんじゅくく いちがやこうらちょう」です。
- 「東京都 新宿区 市谷甲良町」の郵便番号は「〒162-0856」です。
- 「東京都 新宿区」の地方公共団体コードは「13104」です。
「市谷甲良町」の概要 from Wikipedia
市谷甲良町(いちがやこうらちょう)は、東京都新宿区の町名。住居表示実施済み区域であり、「丁目」の設定がない単独町名。
地理
新宿区の東部に位置する。北は大久保通りを境に市谷山伏町に接し、北東の大久保通り上の一点で北山伏町、東は南山伏町及び二十騎町、南は市谷加賀町二丁目、南西から西にかけては市谷柳町にそれぞれ接する。町域内はマンションを含む住宅地として利用されているが、大久保通り沿いについては商業地と混在している。
地価
住宅地の地価は、2024年(令和6年)7月1日の地価調査によれば、市谷甲良町1-5の地点で120万円/m2となっている。
歴史
江戸時代初期に幕府の武家地として成立。北側を旗本地として、南側は御先手組同心大縄地とされた。
先手組同心大縄地はのちに医師などに地貸しされ、田安家医師吉野元順が回春塾を開業している。
明治2年(1869年)、当時町屋であった市谷甲良屋敷を合併し、旧幕府時代大棟梁だった甲良氏の由来を採り、市谷甲良町が誕生した。のち、1878年(明治11年)、旧市谷甲良屋敷~当時の1番地を市谷柳町に編入した。近隣の5か町とともに、1990年(平成2年)に住居表示が実施され、実施後も旧来の町名・町域が引き継がれた。地名の由来
市谷甲良屋敷に住み江戸時代大棟梁だった甲良氏を由来とする。この旧市谷甲良屋敷は1878年(明治11年)に市谷柳町に編入されたため、現在の町域内に市谷甲良町の由来に関わるものは残存しない。
世帯数と人口
2023年(令和5年)1月1日現在(東京都発表)の世帯数と人口は以下の通り。
世帯数 : 476世帯/人口 : 853人人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2018年8月時点)。
区域 : 全域/小学校 : 新宿区立市谷小学校/中学校 : 新宿区立牛込第一中学校交通
町域内に鉄道駅はないが、都営大江戸線の牛込柳町駅が至近にある。
事業所
2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通り。
事業所数 : 20事業所/従業員数 : 112人事業者数の変遷
経済センサスによる事業所数の推移。
従業員数の変遷
経済センサスによる従業員数の推移。
施設
医療法人社団鉄友会 柳町病院 - 敷地の一部が市谷甲良町にあたる。
試衛館跡 - 新選組局長、近藤勇が開いていた道場の跡地/茶道裏千家東京茶道会館/ソアールタワー市ヶ谷の丘日本郵便
郵便番号 : 162-0856(集配局 : 牛込郵便局)。
外部リンク
新宿区/
※道路上の一点で接する。