「神奈川県 座間市 広野台」について
郵便番号 | 〒252-0012 |
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住所 | 神奈川県 座間市 広野台 |
読み方 | かながわけん ざまし ひろのだい |
この地域の 公式HP |
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地図 | |
地方公共 団体コード |
14216 |
最寄り駅 (基準:地域中心部) |
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周辺の施設、 ランドマーク等 |
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- 「神奈川県 座間市 広野台」の読み方は「かながわけん ざまし ひろのだい」です。
- 「神奈川県 座間市 広野台」の郵便番号は「〒252-0012」です。
- 「神奈川県 座間市」の地方公共団体コードは「14216」です。
- ■f03: 丁目を有する町域。
- 郵便番号を設定した町域(大字)が複数の小字を有しており、各小字毎に番地が起番されているため、町域(郵便番号)と番地だけでは住所が特定できない町域。
「広野台」の概要 from Wikipedia
広野台(ひろのだい)は、神奈川県座間市の町名。現行行政地名は広野台一丁目から広野台二丁目。住居表示実施済み区域。
地理
座間市の北部に位置し、一丁目北部に1927年4月1日、小田急小田原線が開通、運行しているが最寄り駅はなく、小田急相模原駅と相武台前駅の中間にあり、どちらの駅からも徒歩20分未満。
概略
旧地籍は、現一丁目が大字座間字元広野の大部分・元広野窪全域・上小池・南広野の各一部。
現二丁目が大字座間字元広野残り分・南広野一部、大字座間入谷飛び地の向長窪の西半分・東長久保・長久保・長久保中通。
広野(ひろの)と呼ばれたこの地域は、厚木から武蔵国国府が置かれていた府中に通じる府中みち、大山道と神奈川往還(国道16号線旧道)が交差する下鶴間宿へ通ずる鶴間街道、遠くは江戸三宅坂へ通ずる江戸街道、これらの古街道が通っており、座間宿や座間入谷の人々が芝原(しばあら)へ耕作に通う往来の地であり、集落は往古から形成されず畑・荒地・雑木林が混在していた。
1974年11月1日、座間市は当該地域の各大字小字を統合し広野台1・2丁目を新設、1999年9月13日には住居表示を実施した。年表
江戸時代/慶長年間 - 領主内藤清成は八王子往来に座間新宿を設けようとして住民を誘致し、慶安の頃に至って整備が成ったことから座間村から座間新宿を分村する気運が生まれた。
寛文2年(1662年) - 領主久世大和守の検地の際から、高座郡座間村は座間新宿の地域を分村し座間宿村と座間入谷村が起立。
嘉永6年(1853年)- 芝原(しばあら)と呼ばれた相模が丘から小松原・ひばりが丘・さがみ野・東原にかけて開墾がはじまり、文久年間には地割が完成し耕作が始まった。
1868年(明治元年)- 座間入谷村・座間宿村、神奈川府を経て神奈川県に所属。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により高座郡座間村大字座間・大字座間入谷飛び地となる。
1927年(昭和2年)4月1日 - 小田原急行鉄道小田原線開通。
昭和12年(1937年)9月30日 - 市ヶ谷より陸軍士官学校が現在のキャンプ座間にのところに移転。 /昭和12年(1937年)12月20日 - 陸軍士官学校の卒業式(同12月20日挙行)昭和天皇行幸につき、府中みちが改修整備拡張され、行幸道路として原町田駅~士官学校正門まで完成(未完の士官学校正門~座間上宿ほか全面完成は翌年11月)。
1937年(昭和12年)12月20日 - 座間村が町制施行し高座郡座間町となった。人口約7千人。
1941年(昭和16年)4月29日 - この当時、人口約7千6百人の座間町は大野村、新磯村、上溝町、麻溝村、大沢村、田名村、相原村と合併し、人口4万人を超える高座郡相模原町が誕生。座間町の区域は相模原町の一部となる。
1945年(昭和20年)9月2日 - 敗戦により陸軍士官学校が進駐軍に接収されキャンプ座間となる。キャンプ座間⇔横浜間の進駐軍車両往来の為、既存の町道を県道座間下鶴間線として運用開始。
1947年(昭和22年) - 進駐軍の命により「相武台新道」(現在の座間街道)整備拡幅幹線道路化工事始まる。
1948年(昭和23年)9月1日 - 旧座間町域(現在の座間市域)が相模原町から分離独立し、高座郡座間町が再置される。人口約1万1千人。
1954年(昭和29年)10月15日 - 県道座間下鶴間線廃止、神奈川県から座間町へ移管。
1954年(昭和29年)10月26日 - 神奈川県道座間大和線(座間街道)全面開通。
1955年(昭和30年) - 座間町営水道給水開始。
1957年(昭和32年) - 座間町が企業誘致を開始。
1962年(昭和37年)4月1日 - 高座郡座間町立座間第三小学校創立(座間中学校体育館内に併設開校)。同年11月19日、本館完成により、現在地の高座郡座間町座間字元広野5054番地に移転、新校舎に全児童入校式。11月25日竣工式、開校記念日とす。
1964年(昭和39年)12月 - 高座郡座間町座間字元広野5000番地に日産自動車座間工場が一部竣工・稼働開始。
1965年(昭和40年) - 日産自動車座間工場完成。
1965年(昭和40年)5月30日 - 座間電報電話局管内の電話、全国ダイヤル自動即時化。市外局番0462・市内局番51。
1966年(昭和41年)4月4日 - 相武台歩道橋竣工(座間町内初の歩道橋)。
1967年(昭和42年)7月22日 - 座間町立広野プール開設。
1968年(昭和43年)7月1日 - 町内の郵便番号が付与される。(〒228)/1971年(昭和46年)11月1日 - 高座郡座間町、市制施行し座間市となる。人口約6万2千人。
1974年(昭和49年)11月1日 - 当該地域の大字小字を統合し広野台1・2丁目を新設。住所の表記は従来からの地番を使用(例・広野台1丁目xxxx番地の1)。
1999年(平成11年)9月13日 - 住居表示実施(例・広野台一丁目x番1号)。
2001年(平成13年) - 電話番号逼迫に伴い市内の市外局番(0462地域)が046へ3桁化。
2010年(平成22年)4月1日 - 相模原市が政令指定都市移行に伴い郵便番号を変更、相模原市一部地域と上3桁「228」を共用していた座間市内も228-00xxから252-00xxに変更。世帯数と人口
2023年(令和5年)8月1日現在(座間市発表)の世帯数と人口は以下の通り。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2022年12月時点)。
事業所
2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は、以下の通り。
事業者数の変遷
経済センサスによる事業所数の推移。
従業員数の変遷
経済センサスによる従業員数の推移。
鉄道
一丁目北部に1927年小田急小田原線が敷設され運行しているが、町内に鉄道駅はない。
乗り合いバス
神奈川中央交通東の路線 - 北相武台バス停/(台01)相武台前駅 - 相武台団地循環 - 相武台前駅/(台13)相武台前駅 - 総合体育館前 - 北里大学病院・北里大学/(相27)相模原駅南口 - 北里大学病院・北里大学 - 相武台前駅/座間市コミュニティバス(ザマフレンド号)の路線/(B)小松原・病院経由コース/(C)相模が丘コース/廃止路線/神奈中バス/相武台前駅 - 座間日産正門/座間四ツ谷 - 相武台前駅経由 - 行幸道路 - 北相武台バス停 - 座間街道 - 旧国道16号の「亀の甲山」(横浜市旭区上川井町)経由 - 鶴ヶ峰駅経由 - 横浜駅西口行き(平日昼間週一本往復)。
道路
神奈川県道50号座間大和線 - 1947年(昭和22年)進駐軍の命により既存の農道を整備拡張工事着工、1954年(昭和29年)10月26日に幹線道路として全面開通した。通称、相武台新道・行政道路→座間日産通り→座間県道→座間街道。
東京都道・神奈川県道51号町田厚木線 - 通称、府中みち・町田街道→行幸道路。昭和12年(1937年)9月30日、市ヶ谷より現在のキャンプ座間に移転した陸軍士官学校の卒業式(同12月20日挙行)昭和天皇行幸につき、府中みちが改修整備拡張され、行幸道路として原町田駅~士官学校正門まで完成(未完の士官学校正門~座間上宿ほか全面完成は翌年11月)。施設
イオンモール座間/座間市立相模野小学校
日本郵便
郵便番号 : 252-0012(集配局 : 座間郵便局)。
脚注