「北海道 札幌市 手稲区 手稲山口」について
郵便番号 | 〒006-0860 |
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住所 | 北海道 札幌市 手稲区 手稲山口 |
読み方 | ほっかいどう さっぽろしていねく ていねやまぐち |
この地域の 公式HP |
※「札幌市」は、政令指定都市です。
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地図 | |
地方公共 団体コード |
01109 |
最寄り駅 (基準:地域中心部) |
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周辺の施設、 ランドマーク等 |
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- 「北海道 札幌市 手稲区 手稲山口」の読み方は「ほっかいどう さっぽろしていねく ていねやまぐち」です。
- 「北海道 札幌市 手稲区 手稲山口」の郵便番号は「〒006-0860」です。
- 「北海道 札幌市手稲区」の地方公共団体コードは「01109」です。
「手稲山口」の概要 from Wikipedia
手稲山口(ていねやまぐち)は北海道札幌市手稲区の地名。条丁目の設定や住居表示は未実施。
地理
札幌市西北部、手稲区北部にあり小樽市(銭函地区)に隣接する。小樽市との地区北東の境界は新川、北西の境界は清川。南は星置、南東は曙及び明日風と接する。
地区南部の一部を除く地区の大半が市街化調整区域であり、畑地として利用されている他、ごみ処理場(山口処理場)等が立地している。河川
新川、星置川、清川、濁川、山口運河(手稲山口川)
歴史
その名の通り山口県出身者によって開拓された一帯。1881年(明治14年)に最初の入植者が移住し、その開拓地を故郷の地名にちなんで山口村と名づけた。1882年(明治15年)12月21日に正式に山口村となった。山口村の範囲は、現在の手稲山口の他、曙の北部、明日風、星置を含む範囲にあたる。
山口地区は元来砂地であり、開拓には相当な苦労があった。しかも不運なことに同時期にバッタが大量発生し、数少ない作物を食い荒らされた。それでも開拓を進めた結果、いくつかの作物が取れるようになり、さらに明治末期には稲が取れるようになった。
1916年以降はスイカの栽培を試みたところ成功を収め、これはのちに「山口スイカ」という呼称で知られるようになる。2006年現在では社会情勢の変化により水田は見られなくなったが、それでも山口地区は農業地帯であり山口スイカ改め「サッポロスイカ」は、昭和50年代から栽培されたカボチャ「大浜みやこ」とともに特産品として知られている。年表
1881年(明治14年):山口県人宮崎源次右エ門らが入植/1882年(明治15年):山口村開村。上手稲、下手稲、山口三村戸長役場を置く。バッタの大量発生により農作物に大きな被害が出る。
1885年(明治18年):山口村戸長役場派出所を設置。
1888年(明治21年):山口村戸長役場派出所を廃止。
1892年(明治25年):山口村立山口尋常小学校(現:札幌市立手稲北小学校)が開校。
1897年(明治30年):山口運河(花畔の石狩川(現:茨戸川)から銭函に至る「花畔・銭函間運河」の一部)が完成。
1902年(明治35年):北海道二級町村制施行に伴い、山口村、上手稲村、下手稲村が合併し手稲村となる。山口村は大字として残る。
1942年(昭和17年):大字山口村が廃止され、字山口・星置の2つに再編される。
1951年(昭和26年):手稲村が町制施行し手稲町となる。
1967年(昭和42年):手稲町が札幌市に編入合併。町名が手稲山口となる。
1972年(昭和47年):札幌市が政令指定都市となり、西区の一部となる。
1975年(昭和50年):山口本通が国道337号に指定される。
1983年(昭和58年):北海道札幌稲西高等学校と北海道札幌稲北高等学校(現:北海道札幌あすかぜ高等学校)が開校。
1989年(平成元年):西区から手稲区が分区。
2006年(平成18年):南西部の一部が曙に編入される。
2007年(平成19年):南西部の一部が新規町名整備に伴い明日風2、3、6丁目となる。
2012年(平成24年)12月17日:南部の一部が新規町名整備に伴い星置3条1丁目となる。路線バス
ジェイ・アール北海道バス札樽線が手稲駅、宮の沢駅方面への路線を運行する。
道路
国道337号(山口村時代から村の中心となってきた道路であり「山口本通」と呼ばれていた)/下手稲通
施設
北海道札幌あすかぜ高等学校/北海道星置養護学校ほしみ高等学園(旧北海道札幌稲西高等学校(2013年閉校))/札幌市立手稲北小学校/札幌市山口斎場/札幌市手稲水再生プラザ/札幌市山口処理場/山口緑地/パストラル星置
史跡
手稲山口バッタ塚
関連項目
生田春正
外部リンク
公式/札幌市手稲区役所/手稲のまちの案内板 山口