「東京都 大田区 本羽田」について
郵便番号 | 〒144-0044 |
---|---|
住所 | 東京都 大田区 本羽田 |
読み方 | とうきょうと おおたく ほんはねだ |
この地域の 公式HP |
※「東京都大田区」は、東京特別区です。
|
地図 | |
地方公共 団体コード |
13111 |
最寄り駅 (基準:地域中心部) |
|
周辺の施設、 ランドマーク等 |
|
- 「東京都 大田区 本羽田」の読み方は「とうきょうと おおたく ほんはねだ」です。
- 「東京都 大田区 本羽田」の郵便番号は「〒144-0044」です。
- 「東京都 大田区」の地方公共団体コードは「13111」です。
- ■f03: 丁目を有する町域。
- 郵便番号を設定した町域(大字)が複数の小字を有しており、各小字毎に番地が起番されているため、町域(郵便番号)と番地だけでは住所が特定できない町域。
「本羽田」の概要 from Wikipedia
本羽田(ほんはねだ)は、東京都大田区の町名。現行行政地名は本羽田一丁目から本羽田三丁目。住居表示実施済区域。
概要
大田区の南東部に位置する。町域の北部は大田区萩中に接する。東部は東京都道・神奈川県道6号東京大師横浜線(産業道路)に接し、これを境に大田区羽田に接する。南部一帯は多摩川を境に神奈川県川崎市川崎区に接する。西部は大田区南六郷に接する。
町域のほとんどは多摩川の左岸にあるが、右岸(川崎市側)の一部に飛び地が存在する。これは、明治時代まで蛇行していた多摩川の流路の痕跡。
当町域の用途地域はほとんどが準工業地域のため、住宅と工場が混在した地域になっているが、近年は工場の閉鎖廃業に伴い集合住宅の建設が急増している。歴史
「羽田郷土史」では、羽田村は源義朝が平清盛に敗れた平治の乱の後、源氏の落武者7人が羽田浦に漂着して開村したと伝えているという。(よく似た話は琵琶湖の沖島などにもある。)/羽田村は中世以来漁村だったが、比較的早い段階で現在の東糀谷辺りが干拓され、六郷領用水が羽田地区まで引かれたこともあり、農村として発達した側面ももっていた。
1693年(元禄6年)頃、多摩川に面した一帯の漁村部が農村部と分かれる形で羽田猟師町が分村、当初その境界はあいまいだったとされる。同年に萩中村も分村された。
1829年(文政12年)、現在の羽田空港にあたる開墾地が、羽田猟師町から分かれて「鈴木新田」と名付けられた。その後、羽田村・羽田猟師町・鈴木新田の三集落を合わせて「羽田三ヶ村」といわれるようになった。
1889年(明治22年)5月1日、町村制の施行に伴い、東京府荏原郡麹谷村・萩中村・鈴木新田・羽田猟師町・羽田村の全域が合併し、東京府荏原郡羽田村が発足。現・本羽田にあたる地域は、東京府荏原郡羽田村大字羽田となる。
1907年(明治40年)10月4日、羽田村が町制施行して東京府荏原郡羽田町大字羽田となる。
1932年(昭和7年)10月1日、荏原郡全域が東京市に編入。東京府東京市蒲田区羽田本町と改称された。同時に東側が大字羽田猟師町と合わさって、羽田一丁目および三丁目として分離した。1943年(昭和18年)7月1日 、東京都制により東京府と統合されて東京市は廃止。東京都蒲田区羽田本町となる。
1947年(昭和22年)3月15日、蒲田区が大森区と合併し、東京都大田区羽田本町となる。
1964年(昭和39年)4月1日、住居表示により萩中町・羽田本町などの一部から本羽田一丁目から三丁目が成立した。世帯数と人口
2023年(令和5年)1月1日現在(東京都発表)の世帯数と人口は以下の通り。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2023年3月時点)。
事業所
2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通り。
事業者数の変遷
経済センサスによる事業所数の推移。
従業員数の変遷
経済センサスによる従業員数の推移。
交通
当地域内に鉄道駅はないが、北部方向にある京急空港線糀谷駅や大鳥居駅、穴守稲荷駅、西部方向にある京急本線雑色駅へは概ね徒歩15分程度の距離で、蒲田駅と川崎駅からのバス路線の利用もある。
日本郵便
郵便番号 : 144-0044(集配局 : 蒲田郵便局)。
外部リンク
大田区