「富山県 富山市 東岩瀬町」について
| 郵便番号 | 〒931-8358 |
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| 住所 | 富山県 富山市 東岩瀬町 |
| 読み方 | とやまけん とやまし ひがしいわせまち |
| この地域の 公式HP |
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| 地図 | |
| 地方公共 団体コード |
16201 |
| 最寄り駅 (基準:地域中心部) |
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| 周辺の施設、 ランドマーク等 |
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- 「富山県 富山市 東岩瀬町」の読み方は「とやまけん とやまし ひがしいわせまち」です。
- 「富山県 富山市 東岩瀬町」の郵便番号は「〒931-8358」です。
- 「富山県 富山市」の地方公共団体コードは「16201」です。
「東岩瀬町」の概要 from Wikipedia
東岩瀬町(ひがしいわせまち)は、かつて富山県上新川郡にあった町。
地理
北側は富山湾に面する。
歴史
三津七湊のひとつである岩瀬湊として知られ、江戸時代には北前船の寄港地として栄えた。
沿革
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、上新川郡東岩瀬町、東岩瀬村及び西宮村の区域をもって、上新川郡東岩瀬町が発足する。町役場は当初、東岩瀬町151番地の民家を借り上げていた。
1898年(明治31年)5月17日 - 大町木谷焼(大火)が発生、町役場も類焼。
1899年(明治32年)12月31日 - 木造2階建ての庁舎を新築。
1932年(昭和7年) - この年から翌1933年(昭和8年)にかけて大広田村との合併論議が起こったが、大広田村が町村税率の高い東岩瀬町に合併する事に反対したため、実現しなかった。また、1938年(昭和13年)7月7日にも合併の機運が起き、大広田村と合併についての懇談をしたが、不調に終わっている。
1940年(昭和15年)9月1日 - 上新川郡東岩瀬町が富山市に編入する。農業
『大日本篤農家名鑑』によれば東岩瀬町の篤農家は、「岩田健一郎、山本勇次、酒井平二、成瀬一郎、古市藤太郎、青木辰次郎、杉本安平、畠山小兵衛、森正太郎」などがいた。
漁業
砂浜である海岸では漁業が行われていた。神通川河口は水産物の集散地となっていた。
工業
絹織物、製薬工場のほか、近代化学工場も建設されていた。
歴代戸長・町長
個別に出典が提示されていない箇所の出典→/内山良連(戸長、1884年7月23日 - 1886年12月29日)/馬場道久(戸長、1886年12月29日 - 1889年11月1日)/森正太郎(以下、町長、1889年12月17日 - 1889年12月21日)/沢辺清太郎(1890年3月5日 - 1894年6月24日)/岩田忠益(1894年10月15日 - 1900年11月17日)/岩田建一郎(1900年5月10日 - 1907年10月)/山本勇次(1908年1月10日 - 1917年1月18日)/岩上政寛(1917年1月27日 - 1918年9月23日)/佐野国実(1918年12月28日 - 1922年12月27日)/米田元吉郎(1923年7月6日 - 1923年12月26日)/石原拓(1923年12月28日 - 1925年7月22日)/高見之通(1926年1月15日 - 1926年11月27日)/畠山小兵衛(1927年1月10日 - 1931年1月9日)/佐渡伝二(1931年4月6日 - 1937年7月22日)/宮城彦次郎(1938年1月18日 - 1940年4月27日)/米田元吉郎(1940年5月23日 - 1940年9月1日)
娯楽
岩瀬東映歌舞伎座 - 劇場・映画館。
みなと劇場 - 劇場・映画館(1974年までに廃止)。参考文献
大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。関連項目
富山県の廃止市町村一覧