「新潟県 新潟市 東区 河渡」について
郵便番号 | 〒950-0024 |
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住所 | 新潟県 新潟市 東区 河渡 |
読み方 | にいがたけん にいがたしひがしく こうど |
この地域の 公式HP |
※「新潟市」は、政令指定都市です。
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地図 | |
地方公共 団体コード |
15102 |
最寄り駅 (基準:地域中心部) |
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周辺の施設、 ランドマーク等 |
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- 「新潟県 新潟市 東区 河渡」の読み方は「にいがたけん にいがたしひがしく こうど」です。
- 「新潟県 新潟市 東区 河渡」の郵便番号は「〒950-0024」です。
- 「新潟県 新潟市東区」の地方公共団体コードは「15102」です。
- ■f03: 丁目を有する町域。
- 郵便番号を設定した町域(大字)が複数の小字を有しており、各小字毎に番地が起番されているため、町域(郵便番号)と番地だけでは住所が特定できない町域。
「河渡(新潟市)」の概要 from Wikipedia
河渡(こうど)は、新潟県新潟市東区の町字。現行行政地名は河渡一丁目から河渡三丁目と大字河渡。住居表示は一丁目から三丁目が実施済み区域、大字が未実施区域。郵便番号は950-0024。
概要
1889年(明治22年)まであった河渡新田の区域。物見山砂丘の南麓、通船川の北岸に位置する。地名は、阿賀野川の渡河地点であったことに由来する。
隣接している町字
北から東回り順に、以下の町字と隣接する。
松園/小金町/藤見町/河渡本町/有楽/向陽地域
河渡 (こうど)/1980年(昭和55年)から現在の町名。はじめは1丁目から2丁目までだったが、1983年(昭和58年)から1丁目から3丁目になった。
河渡庚 (こうどかのえ)/河渡から南東にある大字。地図上では河渡と表示され、区域の大半は「マーケットシティ河渡」になっている。
河渡甲 (こうどこう)/新潟空港がある松浜町に隣接する大字。地図上では河渡と表示される。歴史
かつては沼垂町の一部で、沼垂町移転時に独立したという説もある。
1889年(明治22年)以後は松島村の大字となり、1898年(明治31年)に新松島村、1901年(明治34年)に大形村の大字となる。1929年(昭和4年)には宅地分譲が行われ、1935年から1945年(昭和10年代)には新潟人絹工場、昭和石油社宅、石井精密が設置された。
1943年(昭和18年)に新潟市の大字となり、それまでは河渡新田と称したが、新潟市への編入時に河渡に改称した。1950年(昭和25年)から1983年(昭和58年)にかけて、一部が平和町、船江町、浜谷町、河渡、河渡新町、河渡本町、幸栄、物見山、小金町、松和町、松園、有楽、白銀、藤見町に分立。1955年から1965年(昭和30年代)には砂丘地の宅地化が急速に進み、1964年(昭和39年)の新潟地震以後、住宅地に変わった。新潟市が政令市に移行した2007年(平成19年)以後、新潟市東区の大字となっている。分立した町字
1889年(明治22年)以後に、以下の町字が分立。
空港西 (くうこうにし)/1989年(平成元年)から2002年(平成14年)の間に分立した町字。
幸栄 (こうえい)/1980年(昭和55年)から、現在まである新潟市の町名。1丁目から3丁目がある。かつては松林だったが、1964年(昭和39年)の新潟地震後に宅地化された。
河渡新町 (こうどしんまち)/1983年(昭和58年)から現在の町名。1945年から1955年(昭和20年代)から人家ができ始め、河渡新町と俗称されていた。新潟地震以後に急速に開発が発展し、宅地化した。
河渡本町 (こうどほんちょう)/1983年(昭和58年)から現在の町名。町名は、河渡本来の集落があることに由来する。
小金台 (こがねだい)/1999年(平成11年)11月1日に分立した町字。
小金町 (こがねちょう)/1951年(昭和26年)から、現在まである新潟市の町名。
白銀 (しろがね)/1973年(昭和48年)から、現在まである新潟市の町名。1964年(昭和39年)の新潟地震後に宅地化された。
浜谷町 (はまやちょう)/1957年(昭和32年)から、現在まである新潟市の町名。町名の由来は、字浜谷内にちなむとされる。1945年から1955年(昭和20年代)に人家が建ち始めた地域で、以前は原野であった。
藤見町 (ふじみちょう)/1950年(昭和25年)から、現在まである新潟市の町名。町名は、藤が群生していたことにちなみ、王瀬の長者が藤を植えて藤見をした場所であるとされる。1988年(昭和63年)10月3日に住居表示を実施し、藤見町1丁目、藤見町2丁目となる。
船江町 (ふなえちょう)/1952年(昭和27年)から、現在まである新潟市の町名。1955年から1965年(昭和30年代)に県営住宅、市営住宅が建設されたが、新潟地震以後は砂丘を削って急速に開発が発展し、宅地化した。2000年(平成12年)11月27日に住居表示を実施し、河渡甲の一部を加えて船江町1丁目、船江町2丁目となる。
平和町 (へいわちょう)/1952年(昭和27年)から、現在まである新潟市の町名。町名は、この地にあった太平鉱業(現:三菱マテリアル)の「平」と、昭和石油の「和」を組み合わせたもの。太平鉱業は1936年(昭和11年)に新潟人絹工場として進出した後、新潟地震前に移転。昭和石油は1934年(昭和9年)に新油石油として進出していた。
松園 (まつぞの)/1980年(昭和55年)から、現在まである新潟市の町名。もとは河渡、小金町の一部で、かつては松林であった。現在は宅地化され、住宅地になっている。
松和町 (まつわちょう)/1980年(昭和55年)から、現在まである新潟市の町名。もとは河渡、物見山、小金町の一部。
物見山 (ものみやま)/1980年(昭和55年)から、現在まである新潟市の町名。もとは1960年(昭和35年)から1980年(昭和55年)まであった物見山町と河渡、浜谷町の一部で、1丁目から4丁目がある。町名は物見山砂丘にちなむ。
有楽 (ゆうらく)/1973年(昭和48年)から、現在まである新潟市の町名。かつては松林だった所で、新潟地震以後に急速に開発が発展し宅地化した。年表
1889年(明治22年)4月1日 : 合併により松島村の大字となる。
1898年(明治31年)2月4日 : 松島村が分離し、新松島村の大字となる。
1901年(明治34年)11月1日 : 合併により大形村の大字となる。
1943年(昭和18年)6月1日 : 合併により新潟市の大字となる。
2007年(平成19年)4月1日 : 新潟市の政令指定都市移行により、東区の大字となる。世帯数と人口
2018年(平成30年)1月31日現在の世帯数と人口は以下の通り。
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。
主な企業・施設
新潟河渡郵便局/原信マーケットシティ河渡/ケーズデンキ 新潟河渡店/コメリパワー 河渡店
交通
幹線道路山の下東港線が東西に走る。
バス/新潟交通 E3 河渡線/東区区バス 河渡ルート脚注
注釈/出典
参考文献
角川日本地名大辞典 編纂委員会『角川日本地名大辞典 15 新潟県』(株)角川書店、1989年10月8日。ISBN 4-04-001150-3。 /『新潟歴史双書 8 新潟の地名と歴史』新潟市、2004年3月31日。 /“市報にいがた 1127号2面”. 新潟市 (1988年10月2日). 2014年8月10日閲覧。
“市報にいがた 1705号1面”. 新潟市 (1999年10月31日). 2014年8月10日閲覧。
“市報にいがた 1761号1面”. 新潟市 (2000年11月26日). 2014年8月10日閲覧。関連項目
河渡
関連ページ
【参考】
町域名に「河渡」が含まれている住所一覧
都道府県 | 市区町村 | 町域. |
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2青森県 | かみきたぐんのへじまち上北郡野辺地町 | かみかどがしら上河渡頭 |
2青森県 | かみきたぐんのへじまち上北郡野辺地町 | しもかどがしら下河渡頭 |
15新潟県 | にいがたしひがしく新潟市東区 | こうど河渡 |
15新潟県 | にいがたしひがしく新潟市東区 | こうどかのえ河渡庚 |
15新潟県 | にいがたしひがしく新潟市東区 | こうどしんまち河渡新町 |
15新潟県 | にいがたしひがしく新潟市東区 | こうどほんちょう河渡本町 |
15新潟県 | にいがたしひがしく新潟市東区 | こうどこう河渡甲 |
21岐阜県 | ぎふし岐阜市 | ごうど河渡 |
21岐阜県 | ぎふし岐阜市 | にしごうど西河渡 |
- 同じ町域内で複数の郵便番号がある場合、別々にリスト表示しています。