「神奈川県 座間市 相武台」について
郵便番号 | 〒252-0011 |
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住所 | 神奈川県 座間市 相武台 |
読み方 | かながわけん ざまし そうぶだい |
この地域の 公式HP |
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地図 | |
地方公共 団体コード |
14216 |
最寄り駅 (基準:地域中心部) |
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周辺の施設、 ランドマーク等 |
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- 「神奈川県 座間市 相武台」の読み方は「かながわけん ざまし そうぶだい」です。
- 「神奈川県 座間市 相武台」の郵便番号は「〒252-0011」です。
- 「神奈川県 座間市」の地方公共団体コードは「14216」です。
- ■f03: 丁目を有する町域。
- 郵便番号を設定した町域(大字)が複数の小字を有しており、各小字毎に番地が起番されているため、町域(郵便番号)と番地だけでは住所が特定できない町域。
「相武台」の概要 from Wikipedia
相武台(そうぶだい)は、神奈川県座間市と相模原市南区にまたがる地名。
由来
1937年、陸軍士官学校が当時の高座郡座間村(現・座間市)に移転してきた(士官学校敷地・演習場は同郡新磯村、麻溝村<いずれも現・相模原市>にまたがる)。
同年12月20日に行われた同校卒業式に昭和天皇が行幸した際に天皇から同校に相武台の呼称が与えられた。
この命名について当時の陸軍大臣であった陸軍大将杉山元は、士官学校(現米軍キャンプ座間)正門内に建てられた「相武臺」の碑に次のように記している。
なお杉山の説明にある通り、7世紀に成立した相模国は古くは「さがむのくに」と読み、相武国造(さがむのくにのみやつこ)の領域をその前身の1つとする。地名としての相武台
陸軍士官学校の移転に際して、学校の敷地となる座間村と新磯村とで合併による町制の施行が構想された。しかし「座間町」へ吸収されることを恐れた新磯村側は合併に消極的で、結局座間村は士官学校への天皇行幸のあった1937年12月20日に単独で町制を施行して「座間町」となった。
新磯村では1938年2月になってようやく「座間」を「相武台」に改めることを条件とする合併案が村会で可決されたが、すでに単独で町制施行を行った座間町の受け入れるところとならず、この合併は成立しなかった。
1940年、相次ぐ陸軍施設の進出を背景に高座郡北部の9町村(座間町・新磯村・麻溝村・上溝町・田名村・大沢村・相原村・大野村・大和村)の合併による相模原軍都建設計画が持ち上がった。その際、合併によって発足する新しい市の名称候補の1つとして相武台市が挙がったが、陸軍士官学校側から「相武台」は天皇から士官学校に下賜された呼称であるから市名として使用することは認められないとの強い反対があり、1941年4月29日に8町村(大和村が離脱)の合併で発足した町(市制施行は内務省に認められなかった)は高座郡相模原町となった(なお、旧座間町の区域は戦後の1948年9月1日に分離独立して座間町が再置された)。
1941年1月1日、小田急線の「士官学校前駅」が「相武台前駅」と改称された。同日に「相模大野駅」と改称された「通信学校駅」とともに防諜上の理由からと説明される。同様に相模鉄道(現JR相模線)の「陸士前駅」も「相武台下駅」と改称された。
敗戦後、陸軍士官学校が解体されると「相武台」の名称は付近の地名として広く用いられるようになった。相模原市<1954年11月20日市制>と座間町<1971年11月1日に市制施行して座間市>の双方で相武台が公式の行政地名となっている。
座間町(→座間市)相武台/北緯35度29分55秒 東経139度24分38.3秒/1960年(昭和35年)7月 : 大字座間入谷、座間、栗原の各一部から各大字小字を統合し大字相武台が起立。
1974年(昭和49年)1月1日 : 町名変更を実施し相武台1丁目 - 4丁目となる。
※2013年(平成25年)10月15日、住居表示実施。
相模原市相武台/北緯35度30分1.6秒 東経139度24分22.9秒/1969年(昭和44年)7月1日 : 大字新戸、大字新磯野の一部で住居表示を実施し相武台一丁目-三丁目が起立。
1967年(昭和42年): 大字新磯野に神奈川県住宅供給公社によって相武台団地が竣工、入居開始。1969年(昭和44年)7月1日に住居表示を実施し相武台団地という町名になる。
2010年(平成22年): 相模原市の政令指定都市移行による区制実施により、同市南区の町名となる。
公共施設/相模原市相武台まちづくりセンター - 1970年(昭和45年)に相武台出張所として開設。2010年(平成22年)、政令指定都市施行に合わせ改称。
相模原市立相武台小学校 - 1968年(昭和43年)開校。
相模原市立北相武台小学校 - 1976年(昭和51年)開校。
相模原市立相武台中学校 - 1976年(昭和51年)開校。
座間市立相武台東小学校 - 1970年(昭和45年)開校。
神奈川県立相武台高等学校 - 百校計画により1979年(昭和54年)開校。県立高校改革推進計画により2011年(平成23年)3月神奈川県立新磯高等学校と共に廃校。同年4月統合し神奈川県立相模原青陵高等学校となったが、後期改革計画実施につき2020年(令和2年)3月廃校。神奈川県立弥栄高等学校と再度併合し、2020年(令和2年)4月より神奈川県立相模原弥栄高等学校となった(校舎は弥栄高等学校を利用)。
その他/座間市相武台と相模原市相武台は市境をはさんで隣接し、市街地が連続する。小田急相武台前駅は座間市相武台に属する。
座間市相武台だけでなく相模原市相武台も座間郵便局の管轄であり、郵便番号は座間市相武台が252-0011、相模原市相武台が252-0324。世帯数と人口
2020年(令和]]2年)10月1日現在(国勢調査)の世帯数と人口(総務省調べ)は以下の通り。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
学区
相模原市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2018年2月時点)。
事業所
2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通り。
事業者数の変遷
経済センサスによる事業所数の推移。
従業員数の変遷
経済センサスによる従業員数の推移。
世帯数と人口
2023年(令和5年)8月1日現在(座間市発表)の世帯数と人口は以下の通り。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2022年12月時点)。
事業所
2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通り。
事業者数の変遷
経済センサスによる事業所数の推移。
従業員数の変遷
経済センサスによる従業員数の推移。
主な施設
相武台公民館/フレサ
関連項目
相模台 - 同様に相模原・座間両市にまたがり隣接して存在する地名。ただし、座間市側は1981年(昭和56年)6月1日に「相模が丘」と改称した。
習志野 - 明治天皇によって命名された。
修武台 - 昭和天皇が命名した豊岡(現:入間市)にあった陸軍航空士官学校の事。
振武台 - 同じく昭和天皇が命名した朝霞にあった陸軍予科士官学校の事。
建武台 - 同じく昭和天皇が命名した市谷のち浅川(現:八王子市)にあった東京陸軍幼年学校の事。
市ヶ谷台 - 座間移転以前の陸軍士官学校所在地、また陸軍士官学校の通称。日本郵便
郵便番号と集配局は以下の通り。
出典
関連ページ
【参考】
町域名に「相武台」が含まれている住所一覧
都道府県 | 市区町村 | 町域. |
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14神奈川県 | さがみはらしみなみく相模原市南区 | そうぶだい相武台 |
14神奈川県 | さがみはらしみなみく相模原市南区 | そうぶだいだんち相武台団地 |
14神奈川県 | ざまし座間市 | そうぶだい相武台 |
- 同じ町域内で複数の郵便番号がある場合、別々にリスト表示しています。