「千葉県 印西市 竹袋」について
郵便番号 | 〒270-1325 |
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住所 | 千葉県 印西市 竹袋 |
読み方 | ちばけん いんざいし たけふくろ |
この地域の 公式HP |
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地図 | |
地方公共 団体コード |
12231 |
最寄り駅 (基準:地域中心部) |
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周辺の施設、 ランドマーク等 |
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- 「千葉県 印西市 竹袋」の読み方は「ちばけん いんざいし たけふくろ」です。
- 「千葉県 印西市 竹袋」の郵便番号は「〒270-1325」です。
- 「千葉県 印西市」の地方公共団体コードは「12231」です。
「竹袋」の概要 from Wikipedia
竹袋(たけふくろ)は、千葉県印西市の大字。郵便番号は270-1325。
地理
北は木下、北東は木下東、東は平岡、南は別所、南西は滝、西は大森、北西は木下南に隣接している。
飛び地が点在していており、茨城県利根町布川、栄町西、平岡、木下東、木下、本埜小林、小林、小林北、滝、別所に隣接している小字
小字は以下の通り。
大森境(おおもりさかえ)/呑内(のみうち)/木戸脇(きどわき)/皿沼(さらぬま)/寺脇(てらわき)/弥治右ヱ門(やじえもん)/台(だい)/稲荷峠(いなりとうげ)/川崎(かわさき)/新堀込(にいぼりこみ)/鍛冶屋下(かじやした)/氏神前(うじがみまえ)/根切(ねぎり)/天神台(てんじんだい)/井の内作(いのうちざく)/五ノ神台(ごのかみだい)/三ノ割(さんのわり)/中割(なかわり)/鳴沢(なるさわ)/下鳴沢(しもなるさわ)/石神前(いしがみまえ)/上中埜原(かみなかやわら)/下埜原(しもやわら)歴史
江戸時代は竹袋村であり、下総国印旛郡のうち。印西領、印西筋に属す。もと竹渓村、1616年(元和2年)から竹袋村となったともいう。
1663年(寛文3年)から幕府領、1698年(元禄11年)から旗本阿部氏・三枝氏の相給、1701年(元禄14年)から佐倉藩領、1723年(享保8年)から淀藩領。村高は、「元禄郷帳」547石余、「天保郷帳」「旧高旧領」ともに535石余。1723年(享保8年)「淀領郷村帳」によれば、小物成として夫役1貫254文余・百姓林銭永1貫730文・船役銭12貫254文・木下河岸運上永10貫文・糠藁代永250文・山銭鐚12貫374文を上納(田辺家文書)。1772年(明和9年)指出帳写によれば、反別田33町1反余・畑屋敷9町2反余・新田14町7反余・新畑18町9反余、ほかに山畑20町3反余・百姓林34町余、米積場・諸荷物附揚附下場があり、茶船20・小船12・酒屋通船1・渡場馬渡船1など、家数191・人数708、馬70(吉岡家文書/県史料下総)。また木下河岸では銚子方面から鮮魚が陸あげされ、江戸へ向けて輸送された。1679年(延宝7年)からは、鹿島・香取・息栖の三社参詣に、同河岸からの木下茶船が活躍した。1873年(明治6年)千葉県に所属。神社は稲荷神社など。寺院は天台宗三宝院(印旛郡誌)。
1889年(明治22年)木下村の大字となる。年表
1873年(明治6年) - 千葉県に所属。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行し竹袋村、別所村、宗甫新田、平岡村、小林村が合併し木下町が発足。木下町大字竹袋になる。木下町役場所在地。
1954年(昭和29年)12月1日 - 木下町、大森町、船穂村、永治村の一部が合併し印西町が発足。印西町竹袋になる。
1957年(昭和32年) - 一部が木下となる。
1996年(平成8年)4月1日 - 印西町が市制施行し、印西市になる。印西市竹袋になる。世帯数と人口
2017年(平成29年)10月31日現在の世帯数と人口は以下の通り。
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。
施設
印西市総合福祉センター/印西地区消防組合印西消防署/竹袋稲荷神社/三寶院/千葉県水道局木下取水場/豊作稲荷神社
鉄道
地内に鉄道駅はない。木下にある成田線木下駅が利用できる。
道路
国道/国道356号/都道府県道/千葉県道4号千葉竜ヶ崎線/千葉県道59号市川印西線
脚注