「長野県 長野市 茂菅」について
郵便番号 | 〒380-0874 |
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住所 | 長野県 長野市 茂菅 |
読み方 | ながのけん ながのし もすげ |
この地域の 公式HP |
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地図 | |
地方公共 団体コード |
20201 |
最寄り駅 (基準:地域中心部) |
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周辺の施設、 ランドマーク等 |
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- 「長野県 長野市 茂菅」の読み方は「ながのけん ながのし もすげ」です。
- 「長野県 長野市 茂菅」の郵便番号は「〒380-0874」です。
- 「長野県 長野市」の地方公共団体コードは「20201」です。
「茂菅」の概要 from Wikipedia
茂菅(もすげ)は、長野県長野市の市街地北西の山間部に位置する地区(大字)。郵便番号は、380-0874。
全域が、長野市役所(本庁直轄)第一地区に属する。概要
地区の中央部に頼朝山(638m)、北部に葛山(812m)がそびえ、西部から南部にかけて裾花川が蛇行している。南よりを国道406号が東西に走り、中央部で長野県道76号長野戸隠線が分かれ北に向かう。
周囲は以下の大字・町丁と接する。
中山間地の集落であるが、善光寺の西方2kmほどのところに位置し、長野市の前身である旧長野町への合併も1889年(明治22年)の町村制施行時とかなり早期。
芋井・戸隠方面に向かう県道76号、鬼無里方面に向かう国道406号、小田切・七二会方面に向かう県道401号が分かれる、長野市西部山間部への入口にあたる地区。集落は地区南部の旧国道406号と県道76号との交点付近の本郷、その南側の裾花川沿いに位置する外茂菅と、地区北部の頼朝山中腹にある静松寺の周辺の横棚がある。
外茂菅には1936年(昭和11年)〜1944年(昭和19年)にかけて走っていた善光寺白馬電鉄の茂菅駅があり、現在でもホーム跡が残る。この善光寺白馬電鉄の隧道内には、松代大本営計画の中で武器庫などに活用され、善光寺温泉に皇族住居が移される予定だった。
地区西部の裾花川沿いの谷である仁棚では古くから草生水(原油)を産し、日本初の石油会社である長野石油会社は1873年(明治6年)から掘削を試みたが、石油井の開発は進まず、1881年(明治14年)に会社は倒産した。
地区内の人口および世帯数は、153世帯 384人(令和5年3月1日現在)。沿革
1557年(弘治3年) - 武田氏が村内の葛山城・頼朝山城を攻め、いずれも落城/江戸時代 - 水内郡茂菅村は松代藩領であった/1879年(明治12年)1月4日 - 郡区町村編制法施行。茂菅村は上水内郡に属する/1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行。上水内郡茂菅村、同郡長野町・西長野町・南長野町・鶴賀町(七瀬・居町を除く)と合併し、上水内郡長野町となる。旧茂菅村域は、大字茂菅となる/1897年(明治30年)4月1日 - 長野町が市制施行。長野市となる/長野市茂菅の歴史/1936年(昭和11年)11月22日 - 善光寺白馬電鉄が開通し、地区南部を通過する。地区内に茂菅駅が置かれる。のち、1944年(昭和19年)1月10日休止、1969年(昭和44年)7月9日廃止/1945年(昭和20年)7月26日 - 松代大本営「チ」号倉庫の工事命令が出されるが、着手前に終戦を迎える/2009年(平成21年)4月26日 - 国道406号百瀬〜茂菅バイパス開通。地区内の集落を頼朝山トンネル(L=572m)でバイパスする
交通
路線バス/地区内の国道406号旧道・長野県道76号長野戸隠線を走る、アルピコ交通(川中島バス)の以下の系統が利用できる。
アルピコ交通(川中島バス)/73 長野バスターミナル - 長野駅 - 戸隠中社/74 長野バスターミナル - 長野駅 - 鬼無里/75急 長野バスターミナル - 長野駅 - 奥裾花自然園(季節運行)/79 長野バスターミナル - 長野駅 - 滝屋施設
旧善光寺白馬電鉄 茂菅駅跡/飯縄神社 - 茂菅の産土神。祭礼には明治末期から花火が献納されている。
頼朝山静松寺/葛山城跡外部リンク
茂菅村(図) - 信州デジタルコモンズ