「青森県 弘前市 親方町」について
郵便番号 | 〒036-8191 |
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住所 | 青森県 弘前市 親方町 |
読み方 | あおもりけん ひろさきし おやかたまち |
この地域の 公式HP |
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地図 | |
地方公共 団体コード |
02202 |
最寄り駅 (基準:地域中心部) |
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周辺の施設、 ランドマーク等 |
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- 「青森県 弘前市 親方町」の読み方は「あおもりけん ひろさきし おやかたまち」です。
- 「青森県 弘前市 親方町」の郵便番号は「〒036-8191」です。
- 「青森県 弘前市」の地方公共団体コードは「02202」です。
「親方町」の概要 from Wikipedia
親方町(おやかたまち)は、江戸期から現在にかけての青森県弘前市の地名。郵便番号は036-8191。2017年6月1日現在の人口は76人、世帯数は53世帯。
地理
青森県道28号岩崎西目屋弘前線の終点で、土手町・新鍛冶町から元長町にかけての筋道の町で、元長町にかけて坂になっている。町域の北部は元寺町・一番町、北東部は土手町、東部は新鍛冶町、南部は鍛冶町・本町、西部は元長町に接する。
歴史
弘前城築城時 - 現在の下白銀町・元大工町の間に東西に走る町並みがあり、当時当地の主要部であった。
正保3年 - 町屋として町割り(津軽弘前城之絵図)。
慶安2年 - 築城時の町並みを含めた親方町が見え、屋号をもつ商家が集住し、屋敷が39軒(弘前古御絵図)。
延宝5年9月 - 当地からあがった火の手が塩分町まで広がり、当地と塩分町を全焼。侍屋敷10軒、町年寄・町屋85軒が焼失(国日記)。また、家屋160軒が焼失ともある(元禄日記)。
貞享3年 - 大手町とも称していた(津軽史)。
元禄6年 - 大店のある商人町(平山日記)。
享保4年頃 - 下白銀町・元大工町との町並みは無くなり、現在の町域となる。町内には絵師・鎚屋・商家など31軒と御用屋敷が置かれている(町屋数円)。
宝暦6年 - 武家屋敷が姿を消し、町屋が33軒(弘前町惣屋鋪改大帳)/明治初年 - 町の状況は茶店・燕脂屋・餅屋等があった(国誌)。沿革
江戸期 - 弘前城下の一町。
明治初年~明治22年 - 弘前を冠称。
1899年(明治22年) - 弘前市に所属。地名の由来
現在の下白銀町の追手門付近に町年寄松井・松山両家があり、町年寄を町親方と称したので、それにちなむものと思われる。
医療
征木内科医院
商業
オザキフローリスト/株式会社コーナン/弘前倉庫株式会社 農業事業部/株式会社大周/弘前損保株式会社/ローソン弘前親方町店/成田書店/有限会社パール堂/白十字砂糖株式会社
金融
青森銀行親方町支店・土手町支店
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。
交通
弘南バス/青森銀行前(弘前駅 - 金属団地・桜ヶ丘線、他)停留所。
関連項目
佐藤紅緑
参考文献
角川日本地名大辞典 2 青森県(角川書店)