郵便番号 637-1106
住所 奈良県 吉野郡 十津川村 谷瀬
読み方 ならけん よしのぐんとつかわむら たにぜ
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地方公共
団体コード
29449
最寄り駅
(基準:地域中心部)
周辺の施設、
ランドマーク等
  • 杉の原《民宿》
  • 谷瀬橋《橋・トンネル》
  • 奈良県 吉野郡 十津川村 谷瀬」の読み方は「ならけん よしのぐんとつかわむら たにぜ」です。
  • 奈良県 吉野郡 十津川村 谷瀬」の郵便番号は「637-1106」です。
  • 奈良県 吉野郡十津川村」の地方公共団体コードは「29449」です。

「谷瀬」の概要 from Wikipedia

…(3,097文字)

谷瀬(たにぜ)は、奈良県吉野郡十津川村の大字。国勢調査に基づく2020年(令和2年)10月1日現在の世帯は41世帯、人口は70人。面積は12013904.397㎡、郵便番号は637-1106。

地理

十津川村の北東端に位置し、東を宇宮原、西を五條市、南は上野地、北は長殿に接する。村内では中野村区に属する。集落は十津川右岸の宇宮原下流側の斜面に立地し、大字内を流れる小河川によって台地状に分けられた平地、上地、中切、西坊の集落に分けられる。
「谷瀬の吊り橋」によってその地名はよく知られているが、観光客のアクセスの中心的な存在である国道168号が走る十津川左岸とは対岸に位置する集落。
川 - 十津川(熊野川)

小・中学校の学区

公立の小・中学校に通学する場合、谷瀬全域が十津川第一小学校・十津川中学校の学区となる。

沿革

かつては十津川筋上ノ地村の上流に立地しており、寛永郷帳に初めてその村名が見られる。その際の村高は128.249石、幕府領。元禄郷帳では村高87.5石。安政四年(1857年)の産物取り調べ調(十津川宝蔵文書)によると、谷瀬村では杉、檜、椴栂松、煙草、割菜、茶、楮、さくら、当帰が生産されていた。
。寛永6年の合薬製法取り締まり書(1853年)(十津川宝蔵文書)には、村内での硝石製造について記述されており,幕末には鉄砲用の硝石合薬の製造を風屋村・野尻村などと共に行っていたことが分かる.また,谷瀬の吊り橋を渡った先には,大塔宮護良親王が潜居した黒木御所跡(後述)がある。
谷瀬とその対岸の上野地を行き来する上で障害となる十津川を渡る手段はかつては河原に渡された丸木橋のみであったが,洪水のたびに流される丸木橋ではなく吊り橋を架けたいという希望が谷瀬の住民から起こり、1954年に集落の財産である共有林の林木の売却や住民の支出によって谷瀬の吊り橋が建設された。

 谷瀬の集落づくりプロジェクト 

2013年よりNPO法人スローライフ・ジャパン野口智子氏をコーディネーターとして、集落住民自らが地域資源を活かした取り組みを次々に発案し実践を続けている。2014年より奈良女子大学の室崎研究室と奈良県立大学の神吉研究室も参画し、集落と協働して活動を行っている。プロジェクト始動時に谷瀬総代であった北谷忠弘氏の「外の人も受け入れて一緒に集落づくりを進める」との決断が、様々な展開に繋がったと言える。

人口の変遷

1959年以降,大半の大字で世帯数が減少しているにも関わらず,重里と共にほぼ維持されている.一方,人口は1960年に186人であったものが1980年には107人,2020年には69人と他の大字同様激減しているものの,関西電力奥吉野発電所に関わる社員寮があるといった事情から,中野村区の他の集落と比較すると人口減少は抑えられている。

交通

谷瀬の吊り橋/長さ297 m、高さ54 mの、谷瀬と上野地を結ぶ吊り橋。1954年、生活用の橋として架けられた。現在は観光資源として活用されている。
ゆっくり散歩道 /最初の取り組みとして、吊り橋を渡ってきた観光客を谷瀬集落の中に招き入れる「ゆっくり散歩道」の整備が行われた。「ゆっくり散歩道」は、吊り橋を出発して、棚田・畑など集落内の生活の様子を感じながら歩き、小高い山の上から吊り橋を一望できる展望台に至る片道40分程度のコース。2014年4月にオープンした。展望台までの散歩道整備のための木の伐採や展望台の吊り橋の古材を用いたベンチの製作・設置も、集落住民の手で行われた。散歩道の案内看板は、2014年より大学生も担当して製作・設置している。学生が手書きしてラミネート加工したものを板に貼る。展望台より谷瀬の吊り橋を望む看板と、木製の看板の2種類がある。手書き看板の味のあるイラストは観光客や住民にも好評で沿道を楽しく演出している。この看板は1年程度で劣化するため、毎年入れ替わる学生が新たに書いて貼り換えることにより、学生自身が集落づくりへの関わりを実感する機会ともなっている。

施設

黒木御所跡 /大塔宮護良親王が元弘元年10月赤坂城を脱出し、高野山を経て十津川に逃れた際、十津川の豪族竹原八郎はこれを迎え入れ、 仮宮殿を建ててかくまったところと伝えられている。
明治22年の大水害までは、当時、宮及び従臣が弓術、馬術を練習したところ並びに竹原八郎の墳墓といわれる五輪の塔などがあったが、現在は河底に埋っている。なお、このところはかって天誅組が幕軍を迎えて決戦を試みようとしたところでもある。(以上現地案内による)/竹原八幡神社/通称「森山神社」と呼ばれているが、「竹原八幡神社」が正式の名称。江戸は天保9年、上谷瀬の氏神である八幡神社と下谷瀬の氏神である竹原神社が現在の地に合祀された。その頃の上谷瀬と下谷瀬の間では何かと争い事が多く、一つの村としてはうまくいっていなかった。事態を案じた村役達が相談を重ね、それぞれの氏神を新しく造営した一社に統合して、共通の氏神として祀り、共同のお祭りを村をあげて祝うことを決めた。
祭神は、武運の応神天皇を祀る八幡神と、南朝忠臣の竹原八郎入道となっている。(以上現地案内による)/こやすば /ゆっくり散歩道沿いにある築100年以上の伝統的十津川民家を借り上げ、集落住民と大学生が協働して掃除・整備を行い、2015年に「こやすば(小休場:山仕事の際に、ちょっと休憩する場所の意味)」と名付け、散歩道の休憩所として開放している。過去には、かつて使用されていた農機具類の展示や大学生が企画し、今と昔の集落の生活写真をパネル化して展示する「谷瀬の暮らし写真展」が開催されていた。現在は、3時間あたり1500円、1時間あたり3000円での利用が可能であり、展示会や観光客向けイベントなどの地域住民や観光客との交流の場として利用されている。
内装は和洋折衷の木造建築で,水洗トイレ・キッチン・エアコン等が整備されているほか、布団や冷蔵庫もおかれている。
つくりば /2019年3月に食品加工場「つくりば」が、谷瀬地区に完成。谷瀬集落の住民が使用できる施設で、特産品の加工作業に加え、小さい子連れでも子守しながら寄り合って作業、おしゃべりしながら作業できるコミュニティ拠点。

集落づくりにかかわる組織

谷瀬集落では事業内容ごとに3つの組合があり、吊り橋茶屋の運営は「吊り橋茶屋組合」、特産品ゆうべしの加工は「ゆうべし生産組合」が担う。他に、「松茸組合」がある。
「谷瀬の集落づくりプロジェクト」は大字で取り組んでいたが、2015年12月に谷瀬地域受入協議会を置き、集落の有志を構成員としてゆっくり散歩道・こやすばの運営を行う。谷瀬地域受入協議会は、村の2015年度補助金を受けて、「田舎体験ハウスたまおか」の備品整備と地域の暮らし方紹介冊子「谷瀬で暮らす」を制作するなど、移住希望者を視野に入れた 取り組みを展開している。

特産品

谷瀬集落では、ゆうべしやめはり寿司に使用する高菜漬けなど集落で特産品の生産に取り組んでいる。2015年1月の寄合で、谷瀬産の米でつくる日本酒を新たな特産品にしようと発案があり、その年に酒米を植え、稲刈りを行い、奈良県吉野町の美吉野醸造の仕込みにより純米酒「谷瀬」が誕生した。

参考文献

『十津川村史. 地理・自然編』十津川村史編さん委員会、2021年3月、36、166頁。 /『奈良県の地名』平凡社〈日本歴史地名大系30〉、1981年6月23日、900頁。

関連ページ

【参考】
町域名に「谷瀬」が含まれている住所一覧

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都道府県 市区町村 町域.
8茨城県 ゆうきし結城市 おおやぜ谷瀬
29奈良県 よしのぐんとつかわむら吉野郡十津川村 たにぜ谷瀬
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