「東京都 世田谷区 豪徳寺」について
郵便番号 | 〒154-0021 |
---|---|
住所 | 東京都 世田谷区 豪徳寺 |
読み方 | とうきょうと せたがやく ごうとくじ |
この地域の 公式HP |
※「東京都世田谷区」は、東京特別区です。
|
地図 | |
地方公共 団体コード |
13112 |
最寄り駅 (基準:地域中心部) |
|
周辺の施設、 ランドマーク等 |
|
- 「東京都 世田谷区 豪徳寺」の読み方は「とうきょうと せたがやく ごうとくじ」です。
- 「東京都 世田谷区 豪徳寺」の郵便番号は「〒154-0021」です。
- 「東京都 世田谷区」の地方公共団体コードは「13112」です。
- ■f03: 丁目を有する町域。
- 郵便番号を設定した町域(大字)が複数の小字を有しており、各小字毎に番地が起番されているため、町域(郵便番号)と番地だけでは住所が特定できない町域。
「豪徳寺」の概要 from Wikipedia
豪徳寺(ごうとくじ)は、東京都世田谷区豪徳寺二丁目にある曹洞宗の寺院。元は臨済宗。山号は大谿山(だいけいざん)。一説には招き猫発祥の地とされる。
歴史
本寺付近は、中世の武蔵吉良氏が居館とし、天正18年(1590年)の小田原征伐で廃城となった世田谷城の主要部だったとされる。
文明12年(1480年)、世田谷城主・吉良政忠が伯母で頼高の娘である弘徳院のために「弘徳院」と称する庵を結んだ。当初は臨済宗に属していたが、天正12年(1584年)に曹洞宗に転じる。
寛永10年(1633年)、彦根藩主・井伊直孝が井伊家の菩提寺として伽藍を創建し整備した。寺号は直孝の戒名である「久昌院殿豪徳天英居士」による。
平成18年(2006年)に猫の彫り物が施された三重塔が新たに建立された。文化財
彦根藩主井伊家墓所(国の史跡)/清凉寺(滋賀県彦根市)・永源寺(東近江市)の墓所と共に指定。
井伊直弼墓(東京都指定史跡)/仏殿(世田谷区指定有形文化財)/井伊直孝の娘・掃雲院が直孝の菩提を弔うため、延宝5年(1677年)に建立。
仏殿木像5躯(世田谷区指定有形文化財)/仏殿同様、延宝5年(1677年)、仏師・松雲元慶の作。
大権修利菩薩像/弥勒菩薩像/釈迦如来像/阿弥陀如来像/達磨大師像/梵鐘(世田谷区指定有形文化財)/延宝7年(1679年)、近江大掾藤原正次の作。その他の施設
墓地/井伊直安の墓(井伊家墓所外)/櫻田殉難八士之碑(桜田門外の変にて井伊直弼を警護して殉死した彦根藩士8名の慰霊碑)/岡本黄石の墓/日下部鳴鶴の墓/河手主水(武節貫治)の墓(彦根藩士)/葦原金次郎の墓(無縁となり、墓所は改修されて現存はしない)/吉江喬松の墓/中村吉蔵の墓/衛藤即応の墓/中島健蔵の墓/中島泰蔵の墓/堀悌吉の墓/香取秀真の墓/木俣修の墓/大岡蔦枝(家政・料理・教育学者、小説家・大岡昇平の叔母で小説『叔母』のモデル)の墓/秋山邦彦(競技バイクレーサー、松竹映画『妻の勲章』で高橋貞二のスタント担当中に事故死)の墓/八木岡春山(日本画家、昭和10年(1935年)、高松宮妃に日本画を進講)の墓
招き猫伝説
招き猫発祥の地とする説がある。井伊直孝が猫により門内に招き入れられ、雷雨を避け、和尚の法談を聞くことができたことを大いに喜び、後に井伊家御菩提所としたという。
豪徳寺では「招福猫児(まねぎねこ)」と称し、招猫観音(招福観世音菩薩、招福猫児はその眷属)を祀る「招猫殿」を置く。招猫殿の横には、願が成就したお礼として、数多くの招福猫児が奉納されている。ちなみに、招福猫児は右手を上げており、小判などを持たない素朴な白い招き猫。交通アクセス
小田急小田原線 豪徳寺駅から徒歩で約10分。
東急世田谷線 宮の坂駅から徒歩で約5分。参考文献
斎藤長秋 編「巻之三 天璣之部 豪徳寺」『江戸名所図会』 2巻、有朋堂書店〈有朋堂文庫〉、1927年、200-204頁。NDLJP:1174144/105。 /「世田ヶ谷村 豪徳寺」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ48荏原郡ノ10、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763982/8。
関連項目
招き猫/ひこにゃん/タマ (猫の名前) - 日本における猫の名前の定番。豪徳寺の招き猫の名前に由来するという説がある/世田谷代官屋敷 - 井伊氏世田谷領代官屋敷/尾澤醫院/天寧寺 (彦根市) - 井伊直弼供養塔や、井伊直弼が駕籠の中で敷いていた駕籠敷物を所蔵
外部リンク
大谿山 豪徳寺