郵便番号 206-0021
住所 東京都 多摩市 連光寺
読み方 とうきょうと たまし れんこうじ
この地域の
公式HP
地図

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地方公共
団体コード
13224
最寄り駅
(基準:地域中心部)
  • 聖蹟桜ケ丘駅(京王電鉄)
     …距離:1.5km(徒歩18分)
  • 中河原駅(京王電鉄)
     …距離:2.2km(徒歩27分)
  • 京王永山駅(京王電鉄)
     …距離:2.6km(徒歩33分)
周辺の施設、
ランドマーク等
  • 関戸公園野球場《野球場(スタンド完備無)》
  • 大谷戸川緑地《都市緑地・緑道》
  • 清水渓緑地《都市緑地・緑道》
  • 桜ケ丘社会事業協会桜ケ丘記念病院《病院》
  • 多摩市立多摩第一小学校《小学校》
  • 多摩市立連光寺小学校《小学校》
  • キッズガーデンかわせみ《保育所》
  • 多摩市立多摩中学校《中学校》
  • 桜ヶ丘カントリークラブ《ゴルフ場》
  • 東京都 多摩市 連光寺」の読み方は「とうきょうと たまし れんこうじ」です。
  • 東京都 多摩市 連光寺」の郵便番号は「206-0021」です。
  • 東京都 多摩市」の地方公共団体コードは「13224」です。
補足事項
■f03: 丁目を有する町域。
郵便番号を設定した町域(大字)が複数の小字を有しており、各小字毎に番地が起番されているため、町域(郵便番号)と番地だけでは住所が特定できない町域。

「連光寺」の概要 from Wikipedia

…(3,095文字)

連光寺(れんこうじ)は、東京都多摩市にある地名。地番整理施行地区(連光寺一丁目~六丁目)と未施行地区(連光寺)があるが、本項目では両方取り上げる。郵便番号は連光寺一丁目~六丁目、連光寺共に206-0021。

地理

地域内は地番整理施行地区(連光寺一丁目~六丁目)と地番整理未施行地区(連光寺)に分かれる。連光寺(地番整理未施行地区)は全域がゴルフ場(桜ヶ丘カントリークラブ、米軍多摩ゴルフ場)となっており、連光寺一・二・三・四・六丁目は主に住宅街、連光寺五丁目は、ほぼ全域が都立桜ヶ丘公園、多摩市立連光寺公園、多摩市立大谷戸公園などの公園施設となっている。また、一丁目に多摩市立連光寺小学校、桜ヶ丘記念病院がある。
東は一ノ宮・稲城市大丸、西は桜ヶ丘・馬引沢、南は聖ヶ丘・稲城市若葉台、北は関戸・多摩川を挟んで府中市南町と接している。

地価

住宅地の地価は、2014年(平成26年)1月1日の公示地価によれば、連光寺1丁目21番6の地点で17万2000円/m2となっている。

連か蓮か

かつて連光寺の「連」の字は、草かんむりをつけて「蓮」と書いた。鎌倉時代の吾妻鏡や江戸時代の新編武蔵風土記稿は、当地について「蓮光寺」と記している。旧村社の春日神社の灯篭にも「蓮光寺村」という文字が彫られている。
政府の公文書では、1882年の明治天皇地行幸に関する宮内省上申書が「蓮光寺村」の文字を用いており、この時点では蓮光寺と表記していたことが知れる。その3年後の1885年には侍従らの出張届け公文書に「連光寺村」とあり、草かんむりが取れている。この間、1883年1月に蓮光寺村周辺の明治天皇御遊猟場が「連光寺村御猟場」と命名されている。この命名を機に草かんむりが取れたかは分からない。1881年の明治天皇行幸に随行して当地を訪れた山岡鉄舟は、連光寺村御猟場命名後の1884年に当地を「蓮光寺村」と書いている。
大正時代になっても「蓮光寺」と表記されることがあり、近隣の府中町青年会が編纂した『武蔵国府名蹟誌』や、府中町で出版された『武蔵野みやげ 名勝案内』では「蓮光寺」と表記されていた。2020年現在においても馬引沢二丁目(もと連光寺)にセブンイレブン多摩蓮光寺店が所在する。
一説には江戸時代以前には「連光寺」で、江戸時代には「蓮光寺」を用いるようになったが、近代は元に還って「連光寺」が正しいとして公式に用いているという。しかし江戸時代以前の吾妻鏡には「蓮光寺」とある。

地名の由来

かつて江戸幕府が編纂した新編武蔵風土記稿は、蓮光寺という寺院について次のような説を述べていた。蓮光寺という寺院があった場所は分からないが、村内に下屋舗という小名があり、その辺りに寺坂と称する坂があって、恐らくはその辺りが寺の旧跡なのだろうといわれる。下屋舗という小名は村の東の山丘の処にある。丘の上は平らで、古い墳墓が大小様々50~60基も散在している。戦死者の墳墓だという説もあるが、ここが蓮光寺の跡だという説もある。寺の廃絶時期については、吾妻鏡に蓮光寺が地名として現れているようであるから、鎌倉時代には既に廃寺となっていたと考えられる。以上が新編武蔵風土記稿の説。
昭和戦前期に連光寺の聖蹟化に関わった人物は、1930年の著書で、連光寺は寺院の名のようであって寺院はなく、連光寺の地名の由緒は不明である、と述べている。
多摩市役所が2015年に広報誌に掲載し公式ウェブサイトにも転載している記事は、連光寺という寺院について、上記の新編武蔵風土記稿の説を一部引用しつつ、「確かなことは不明」とぼかしている。また、寺坂や仏道(ほとけみち)などの地名が高西寺(連光寺一丁目)の近くにあったと述べているが、それが蓮光寺という寺院に関連する地名なのかを明言していない。

歴史

多摩ニュータウン開発に伴う区画整理事業などが行われ、一部が聖ヶ丘、諏訪、馬引沢などに分離した。

沿革

1868年(明治元年) 武蔵県知事の管轄となる。
8月17日(旧暦6月29日) 韮山県の管轄となり、韮山県多摩郡蓮光寺村村となる。
1871年(明治4年)旧暦11月 神奈川県の管轄となり、神奈川県多摩郡蓮光寺村となる。
1873年(明治6年)5月1日 区番組制により、第八大区九番組となる。
1874年(明治7年)4月15日 大区小区制により、第八大区八小区となる。
1878年(明治11年)/7月22日 郡区町村制施行。神奈川県多摩郡蓮光寺村となる。
11月18日 多摩郡が、東多摩郡、西多摩郡、南多摩郡、北多摩郡に分離し、神奈川県南多摩郡蓮光寺村となる。
1894年(明治17年)6月30日 連合戸長役場制により、連光寺を含む現在の多摩市(落川を除く)の連合戸長役場を関戸村に設置。
1889年(明治22年)4月1日 一ノ宮村、落合村、貝取村、乞田村、関戸村、東寺方村、和田村、及び落川村飛地、百草村飛地と合併し、南多摩郡多摩村大字連光寺となる。
1893年(明治26年)4月1日 神奈川県のうち、東多摩郡、西多摩郡、南多摩郡、北多摩郡を東京府に編入。東京府南多摩郡多摩村大字連光寺となる。
1943年(昭和18年)7月1日 東京都制により、東京都南多摩郡多摩村大字連光寺となる。
1955年(昭和30年)連光寺北部多摩川内の小字、下川原、中島が府中市に編入。
1964年(昭和39年)4月1日 町制施行により、多摩町大字連光寺となる。
1971年(昭和46年)4月1日 市制施行により、多摩市連光寺となる。

小字

ここでは、かつての連光寺の小字と現地名との対照を示す。
本村(ほんむら)連光寺一丁目~三丁目、聖ヶ丘一丁目/大谷戸(おおのやと)連光寺二・三・五丁目、聖ヶ丘一・二丁目/打越(うちこし)連光寺二・五丁目、聖ヶ丘一丁目/南田(みなみだ)聖ヶ丘一丁目、連光寺二丁目/諏訪坂(すわのさか)聖ヶ丘一・二丁目、馬引沢一・二丁目/諏訪越(すわのこし)諏訪一丁目、馬引沢一丁目/馬引沢(まひきざわ)諏訪一・三・四丁目、馬引沢一・二丁目、聖ヶ丘二~四丁目/沖谷戸(おきのやと)諏訪三・五・六丁目/乗越(のりごえ)諏訪四・六丁目、聖ヶ丘三~五丁目/中尾根(なかおね)聖ヶ丘一~三丁目、連光寺五丁目/天井返(てんじょうがえし)聖ヶ丘三丁目~五丁目、連光寺五丁目/山ノ越(やまのこし)連光寺三~五丁目/向の岡(むかいのおか)連光寺一・三・四丁目/中島(なかじま)関戸三丁目/下川原(しもがわら)府中市南町四丁目付近、多摩川東端。
二子沢(ふたござわ)ゴルフ場。稲城市との市境付近。
大水上(おおみずあがり)桜ヶ丘カントリークラブ。
瓦ヶ谷(かわらがや)連光寺三・四丁目、米軍多摩ゴルフ場。
船ヶ台(ふながだい)米軍多摩ゴルフ場、連光寺五・六丁目、聖ヶ丘三・四丁目

世帯数と人口

2018年(平成30年)1月1日現在の世帯数と人口は以下の通り。

小・中学校の学区

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。

施設

多摩市立連光寺小学校/農業者大学校多摩校舎/多摩森林科学園連光寺実験林/都立桜ヶ丘公園/多摩市立連光寺公園/多摩市立大谷戸公園/桜ヶ丘記念病院/多摩中央病院/桜ヶ丘カントリークラブ/多摩サービス補助施設(米軍多摩ゴルフ場)/永山中継局(多摩ガバナーステーション内)

関連項目

多摩ニュータウン/聖蹟桜ヶ丘

参考文献

多摩市の町名(市制施行20周年記念)1992年 多摩市/角川日本地名大辞典 13 東京都(角川書店)

関連ページ