「神奈川県 川崎市 幸区 遠藤町」について
郵便番号 | 〒212-0006 |
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住所 | 神奈川県 川崎市 幸区 遠藤町 |
読み方 | かながわけん かわさきしさいわいく えんどうまち |
この地域の 公式HP |
※「川崎市」は、政令指定都市です。
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地図 | |
地方公共 団体コード |
14132 |
最寄り駅 (基準:地域中心部) |
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周辺の施設、 ランドマーク等 |
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- 「神奈川県 川崎市 幸区 遠藤町」の読み方は「かながわけん かわさきしさいわいく えんどうまち」です。
- 「神奈川県 川崎市 幸区 遠藤町」の郵便番号は「〒212-0006」です。
- 「神奈川県 川崎市幸区」の地方公共団体コードは「14132」です。
「遠藤町」の概要 from Wikipedia
遠藤町(えんどうまち)は、神奈川県川崎市幸区の町名。丁目の設定がない単独町名。住居表示は実施されていない。面積は7.31 ha。
地理
幸区の東部に位置する、三角形の町。北端を国道409号(府中街道)が、西端を国道1号(第二京浜国道)が通過している。北西の角には川崎市立御幸小学校が位置している。なお、上述のように正式な読みは「えんどうまち」であるが、一般には「えんどうちょう」と読まれる。
遠藤町は北端で府中街道を挟んで戸手と、南端で河原町と、西端で紺屋町と接する。これらの町域は幸区に属しており、遠藤町は区境・市境に接さない。地価
住宅地の地価は2024年(令和6年)1月1日時点の公示地価によれば遠藤町41-4の地点322,000円/m²となっている。
歴史
江戸時代の当地は一面の水田であった。その頃には、現在の地名で言えば川崎区観音にある石観音堂が栄えていたが、周囲の地名が「遠藤野」であり、遠方からの参拝客は「遠藤耕地」であった当地と混乱したという。
地名の由来
戸手の小字であった遠藤耕地に由来するが、それ以上のことはわかっていない。なお、遠藤町は遠藤耕地だけでなく、下河原耕地も一部が含まれる。
沿革
江戸時代 - 当地は戸手村の一部であった。
1873年(明治6年)- のちの川崎市立御幸小学校が開校。
1889年(明治22年)- 町村制施行により御幸村が成立。当地は御幸村戸手の一部となる。
1924年(大正13年)- 御幸村・川崎町・大師町の合併で川崎市が成立。当地は川崎市戸手の一部となる。
1928年(昭和3年)- 耕地整理により、遠藤町が設置される。
1945年(昭和20年)- 川崎大空襲により被害を受ける。
1972年(昭和47年)- 川崎市が政令指定都市に移行。川崎市幸区遠藤町となる。
1976年(昭和51年)- 一部が戸手に編入される。
1999年(平成11年)- 川崎信金猟銃強盗殺人事件が発生。世帯数と人口
2024年(令和6年)9月30日現在(川崎市発表)の世帯数と人口は以下の通り。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2023年4月時点)。
事業所
2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通り。
事業者数の変遷
経済センサスによる事業所数の推移。
従業員数の変遷
経済センサスによる従業員数の推移。
路線バス
当地を経由するバスは、川崎市交通局が川崎駅西口北と上平間や武蔵小杉駅を結ぶ川71系統を、東急バスが川崎駅西口北と五反田駅を結ぶ反01系統を運行している。なお、両者ともバス停のよみを「えんどうちょう」としているほか、他の系統も合わせると川崎駅 - 小向交番前間の経路が3通りあり、遠藤町を通る系統については識別のために「遠藤町経由」と称されている。
道路
当地の北端を国道409号(府中街道)が、西端を国道1号(第二京浜国道)が通り、両者は遠藤町交差点で交差している。
施設
川崎信用金庫遠藤町支店 - 川崎信金猟銃強盗殺人事件が発生した。
川崎市立御幸小学校日本郵便
郵便番号 : 212-0006(集配局 : 川崎港郵便局)
警察
町内の警察の管轄区域は以下の通り。
参考文献
『川崎の町名』日本地名研究所 編、川崎市、1995年。 /『角川日本地名大辞典 14 神奈川県』角川書店、1984年。 /『川崎地名辞典(上)』日本地名研究所 編、川崎市、2004年。