「神奈川県 横浜市 金沢区 釜利谷町」について
郵便番号 | 〒236-0041 |
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住所 | 神奈川県 横浜市 金沢区 釜利谷町 |
読み方 | かながわけん よこはましかなざわく かまりやちょう |
この地域の 公式HP |
※「横浜市」は、政令指定都市です。
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地図 | |
地方公共 団体コード |
14108 |
最寄り駅 (基準:地域中心部) |
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周辺の施設、 ランドマーク等 |
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- 「神奈川県 横浜市 金沢区 釜利谷町」の読み方は「かながわけん よこはましかなざわく かまりやちょう」です。
- 「神奈川県 横浜市 金沢区 釜利谷町」の郵便番号は「〒236-0041」です。
- 「神奈川県 横浜市金沢区」の地方公共団体コードは「14108」です。
「釜利谷町」の概要 from Wikipedia
釜利谷町(かまりやちょう)は、神奈川県横浜市金沢区の町名。地名は、鎌形の谷に由来しているとみられている。本項では、隣接する釜利谷西(かまりやにし)についてもあわせて述べる。住居表示は釜利谷町が未実施区域、釜利谷西が実施済み区域。
釜利谷西
一-三丁目は夏山団地、四-六丁目は野村不動産金沢文庫住宅として、一戸建て中心の住宅地として開発された。
釜利谷町
町の大部分が金沢動物園や金沢市民の森などの緑地で占められ、居住人口はゼロ。
面積
面積は以下の通り。
地価
住宅地の地価は、2023年(令和5年)1月1日の公示地価によれば、釜利谷西1-43-21の地点で13万8000円/m2となっている。
沿革
1873年(明治5年) - 赤井学舎(釜利谷小学校の前身)開校。
1889年(明治22年) - 町村制施行により、久良岐郡釜利谷村が、同三分村とともに久良岐郡六浦荘村の一部となった。
1936年(昭和11年)10月1日 - 六浦荘村が横浜市磯子区に編入。
1941年(昭和16年)4月1日 - 海軍航空技術廠支廠開設。
1947年(昭和22年)11月15日 - 横浜市立富岡中学校が海軍航空技術廠跡地に移転、金沢中学校に改称。
1948年(昭和23年)5月15日 - 金沢区が磯子区から分区。釜利谷は金沢区の一部となった。
1954年(昭和34年)11月20日 - 東洋化工横浜工場で爆発事故(東洋化工爆発事故)が発生。
1964年(昭和39年)12月1日 - 横浜釜利谷郵便局開設。
1973年(昭和48年)11月7日 - 釜利谷市民の森開園。
1975年(昭和50年)3月31日 - 磯子区氷取沢とを結ぶ、笹下釜利谷道路二本松トンネル開通。
1975年(昭和50年)9月1日 - 横浜市立釜利谷西小学校開校。
1979年(昭和54年)4月2日 - 横浜市立釜利谷東小学校開校。
1979年(昭和54年)4月5日 - 金沢文庫駅と洋光台駅・京急富岡駅とを結ぶ路線バス運行開始。
1981年(昭和56年)4月1日 - 横浜市立西金沢中学校開校。
1984年(昭和59年)4月1日 - 神奈川県立釜利谷高等学校開校。
1986年(昭和61年)4月1日 - 横浜市立釜利谷中学校開校。
1989年(平成元年)4月 - 横浜市立釜利谷南小学校開校。
1992年(平成4年)10月19日 - 釜利谷東の新設に伴い、釜利谷町の一部を釜利谷東へ編入。
1993年(平成5年)10月18日 - 釜利谷西と釜利谷南が新設され、住居表示を実施。世帯数と人口
2023年(令和5年)3月31日現在(横浜市発表)の世帯数と人口は以下の通り。なお、釜利谷町の人口は0人。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2021年8月時点)。
事業所
2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通り。
事業者数の変遷
経済センサスによる事業所数の推移。なお、数字は釜利谷西と釜利谷町の合算となる。
従業員数の変遷
経済センサスによる従業員数の推移。なお、数字は釜利谷西と釜利谷町の合算となる。
交通
最寄駅は京急本線金沢文庫駅であり、同駅より野村住宅南口や関東学院大学金沢文庫キャンパスなど町内各方面を結ぶ京浜急行バスが運行されている。
釜利谷西
横浜釜利谷西郵便局/横浜市立義務教育学校西金沢学園
日本郵便
集配担当する郵便局と郵便番号は以下の通り。
脚注