「東京都 練馬区 関町東」について
| 郵便番号 | 〒177-0052 |
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| 住所 | 東京都 練馬区 関町東 |
| 読み方 | とうきょうと ねりまく せきまちひがし |
| この地域の 公式HP |
※「東京都練馬区」は、東京特別区です。
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| 地図 | |
| 地方公共 団体コード |
13120 |
| 最寄り駅 (基準:地域中心部) |
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| 周辺の施設、 ランドマーク等 |
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- 「東京都 練馬区 関町東」の読み方は「とうきょうと ねりまく せきまちひがし」です。
- 「東京都 練馬区 関町東」の郵便番号は「〒177-0052」です。
- 「東京都 練馬区」の地方公共団体コードは「13120」です。
- ■f03: 丁目を有する町域。
- 郵便番号を設定した町域(大字)が複数の小字を有しており、各小字毎に番地が起番されているため、町域(郵便番号)と番地だけでは住所が特定できない町域。
「関町東」の概要 from Wikipedia
関町東(せきまちひがし)は、東京都練馬区の町名。現行行政地名は関町東一丁目および二丁目。住居表示実施済み区域。
地理
練馬区の西部に位置する。東部は練馬区上石神井、南部は青梅街道を境に練馬区関町南、西部は練馬区関町北、北部は石神井川を境に練馬区石神井台とそれぞれ接している。主に住宅地として利用される。
河川
石神井川
地価
住宅地の地価は、2024年(令和6年)7月1日の地価調査によれば、関町東1-14-2の地点で43万8000円/m2となっている。
地名の由来
「関町」の由来については、次の二説がある。
室町時代後期、この地域を支配していた豊島氏が石神井城を居城としていた頃に、この地に関所を置いたことから。
現在の武蔵関公園内にある「富士見池」付近にかつて堰があったことから。沿革
江戸時代は武蔵国豊島郡関村の小名本村に相当。
1889年(明治22年)5月1日 - 町村制施行により関村は東京府北豊島郡石神井村大字関甲となり、関町東は字地蔵裏にほぼ相当する。
1932年(昭和7年)10月1日 - 東京府東京市板橋区石神井関町二丁目の一部となる。
1947年(昭和22年)8月1日 - 板橋区から練馬区が分区したことに伴い、東京都練馬区石神井関町二丁目となる。
1949年(昭和24年) - 地番整理により東京都練馬区関町二丁目となる。
1985年(昭和60年)6月1日 - 関町二丁目の大部分に(旧)上石神井一丁目を合わせた区域に住居表示が実施され、東京都練馬区関町東一・二丁目となる。世帯数と人口
2025年(令和7年)4月1日現在(練馬区発表)の世帯数と人口は以下の通り。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2022年7月現在)。
鉄道
鉄道は、町域のほぼ中央を西武新宿線が東西に横断するが駅はなく、隣接する関町北にある武蔵関駅や、上石神井にある上石神井駅が最寄り駅の範囲にある。
バス
西武バス上石神井営業所が存在。
関東バス青梅街道営業所が存在。
バス利用は隣接する武蔵関駅付近のバス停を利用するか、町域南側境界の青梅街道を走るバスの利用となる。道路
東京都道4号東京所沢線・東京都道5号新宿青梅線(青梅街道)
事業所
2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通り。
事業者数の変遷
経済センサスによる事業所数の推移。
従業員数の変遷
経済センサスによる従業員数の推移。
施設
日本カトリック神学院東京キャンパス/練馬区関保健相談所
ゆかりの人物
松本清張(作家) - 1957年から1961年にかけて一丁目1番地に居住。関町東で『点と線』が完結し、また『ゼロの焦点』『砂の器』『黒い画集』などの作品が執筆された。
日本郵便
郵便番号 : 177-0052(集配局 : 石神井郵便局)。
外部リンク
練馬区