「青森県 弘前市 馬屋町」について
郵便番号 | 〒036-8357 |
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住所 | 青森県 弘前市 馬屋町 |
読み方 | あおもりけん ひろさきし まやちょう |
この地域の 公式HP |
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地図 | |
地方公共 団体コード |
02202 |
最寄り駅 (基準:地域中心部) |
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周辺の施設、 ランドマーク等 |
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- 「青森県 弘前市 馬屋町」の読み方は「あおもりけん ひろさきし まやちょう」です。
- 「青森県 弘前市 馬屋町」の郵便番号は「〒036-8357」です。
- 「青森県 弘前市」の地方公共団体コードは「02202」です。
「馬屋町」の概要 from Wikipedia
馬屋町(まやちょう)は、江戸期から現在にかけての青森県弘前市の地名。郵便番号は036-8357。2017年6月1日現在の人口は212人、世帯数は110世帯。
地理
青森県道3号弘前岳鰺ケ沢線(新坂)を下った場所に位置し、青森県立弘前工業高等学校の裏手に弘前城の西の郭が接している。当地は主に住宅地として機能する。町域の北部から東部にかけて下白銀町、南東部は上白銀町、南部は新町、西部は鷹匠町に接する。
歴史
天和2年 - 岩木川堀替え工事が未完成で、西部に隣接する鷹匠町とも通じていなかったことから、弘前城の西外の郭とされていた(津軽弘前城史)。
正保3年 - 町名は無く、当地は堀と樋ノ口川に囲まれ、侍屋敷と馬屋が見える(津軽弘前城之絵図)。
慶安2年 - 当地の西側は御馬屋町と見え、御馬屋3軒。東側は本百石町と見え、侍屋敷35軒(うち空家4軒)があり、川沿いに材木場が設置される(弘前古御絵図)。
万治2年・寛文13年 - 当地の西側に馬場が設けられ、その西側に馬役、青沼藤兵衛ら3人の屋敷がある(弘前中惣屋敷絵図)。
貞亨3年 - 上白銀町とを結ぶ坂道(新坂)が作られる(奥富士日記)。
元禄13年 - 当地の西側に馬廻馬場と馬屋3軒。東側に侍屋敷が35軒あり、馬屋町・馬屋中町・馬屋前町・馬屋後町の4区画に分かれている(弘前侍町屋敷割)。
寛政5年 - 寛政の改革による藩士土着令で当地の藩士が在方へ移住し、御家中潰町の1つに数えられる。当地には御目見以下、諸組諸支配の藩士の屋敷が給される(平山日記)。
寛政12年 - 馬屋町に武家屋敷17軒、馬屋南小路(前町)に武家屋敷6軒、馬屋中町に武家屋敷9軒のほかに御馬飼育所があり、馬場の西側に武家屋敷3軒がある(分間弘前大絵図)。
明治初年 - 戸数28(国誌)。
1935年(昭和10年)8月22日 - 集中豪雨のため町内全戸、床上もしくは床下浸水。沿革
江戸期 - 弘前城下の一町。
慶安2年 - 当地の西側は御馬屋町、東側は本百石町と称される。
元禄13年 - 馬屋町・馬屋中町・馬屋前町・馬屋後町の4区画に分かれて称される。
明治初年〜明治22年 - 弘前を冠称。
1889年(明治22年) - 弘前市に所属。地名の由来
当地に馬屋があったことから。
教育
青森県立弘前工業高等学校
商業
高木学習社/アキモト製麺/嶽開発本社ビル
その他
馬屋町渋川記念福祉会館
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。
交通
弘南バス/工業高校前(弘前駅 - 工業高校経由 - 藤代営業所線)停留所。
参考文献
角川日本地名大辞典 2 青森県(角川書店)