郵便番号 252-0328
住所 神奈川県 相模原市 南区 麻溝台
読み方 かながわけん さがみはらしみなみく あさみぞだい
この地域の
公式HP
※「相模原市」は、政令指定都市です。
地図

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地方公共
団体コード
14153
最寄り駅
(基準:地域中心部)
  • 下溝駅(JR在来線)
     …距離:2.7km(徒歩33分)
  • 小田急相模原駅(小田急電鉄)
     …距離:2.8km(徒歩35分)
  • 原当麻駅(JR在来線)
     …距離:3.1km(徒歩39分)
周辺の施設、
ランドマーク等
  • 南消防署麻溝台分署《消防分署、出張所》
  • 相模原市立若草小学校《小学校》
  • 小僧寿し麻溝台店《寿司》
  • 回転寿し活鮮麻溝台店《ファミリーレストラン》
  • クリエイトエス・ディー相模原麻溝台店《ドラッグストア》
  • セブンイレブン相模原麻溝台店《コンビニ》
  • 神奈川県 相模原市 南区 麻溝台」の読み方は「かながわけん さがみはらしみなみく あさみぞだい」です。
  • 神奈川県 相模原市 南区 麻溝台」の郵便番号は「252-0328」です。
  • 神奈川県 相模原市南区」の地方公共団体コードは「14153」です。
補足事項
■f03: 丁目を有する町域。
郵便番号を設定した町域(大字)が複数の小字を有しており、各小字毎に番地が起番されているため、町域(郵便番号)と番地だけでは住所が特定できない町域。

「麻溝台」の概要 from Wikipedia

…(2,541文字)

麻溝台(あさみぞだい)は、神奈川県相模原市南区の町名および大字名。住居表示実施区域の麻溝台一丁目〜八丁目よび未実施の地番区域(大字)からなる。
「麻溝台」という地名は、この区域がかつて所属していた高座郡麻溝村に由来する。「麻溝村」という旧村名は、同村の前身である当麻(たいま)村と下溝村からの合成地名。

地理

相模原市南区の中央部北寄りに位置する。北は県道52号を境に北里一・二丁目および大野台四丁目に接し、東は西大沼五丁目と双葉一丁目、南は双葉二丁目と相模台七丁目および大字新磯野(あらいその)、西は大字下溝と隣接する。
相模川左岸に上・中・下3段の河岸段丘からなる相模原台地の「上段」に位置し、西側に南の磯部方面へ続く細長いヤト(谷戸)が伸び、ほぼ中央部を目久尻川の源流につながる浅い谷が南北に貫通するほかはほとんど平坦な台地上に広がる。
後述の通り、元は陸軍士官学校の演習地が再開墾された農地が広がっていたが、日産自動車の進出とともにこれを核とした工業団地が形成された。また農業でも市街地から離れていることから1960年代以降、大規模な養鶏場の建設が相次いだ。一方、1970年代に入るとこの地域にも宅地化の波が及び、特に南部では市街化が進行している。宅地化による新住民の流入とともに鶏舎からの悪臭が問題となり、2000年頃をピークにこの地域での養鶏は急速に衰退しつつある。
1989年(平成元年)7月に、これらの工業団地や市街化の進行した区域を含めた県道507号(通称:村富線)以東の区域で住居表示が実施され、麻溝台一丁目〜八丁目が新設されたが、この県道以西の区域はその大部分が市街化調整区域に指定され、地番区域(大字麻溝台)として残存している。地番区域の多くは現在も農地として利用されているが、耕作放棄されている農地も少なくなく、一時的に産業廃棄物等の置き場として利用されている場所も多い。地番区域には市の南清掃工場があり、西側のヤトの一部は一般廃棄物最終処分場として利用されている。

地価

住宅地の地価は、2023年(令和5年)1月1日の公示地価によれば、麻溝台6-7-10の地点で13万円/m2となっている。

歴史

元は相模国高座郡下溝村(一部は当麻村)の一部。1889年(明治22年)の町村制施行のための明治の大合併で下溝村と当麻村が合併して高座郡麻溝村となると同村の大字下溝および大字当麻(飛地)のそれぞれ一部となった。明治初期までは「相模野」と呼ばれた広大な原野の一部で、このことから1882年(明治15年)には全国的な地図作成のための測量の起点となる一等三角点が設置された(相模野基線北端:現・麻溝台四丁目)。原野の開墾は1884年(明治17年)の下溝村からの入植に始まるとされ(コウタシンケエ、下溝新開:現・麻溝台六丁目付近)、大正期には周辺地域での養蚕業の発展とともに桑畑と雑木林が交錯する土地利用となっていた。しかし、1937年(昭和12年)に陸軍士官学校の座間への移転に合わせて麻溝村から南隣の新磯村にかけての台地上の土地の大部分が陸軍に買収されて士官学校の演習場とされた。
敗戦後、士官学校の旧軍用地が開放され、海外からの引揚者による開拓(再開墾)が行われた。その多くは1945年(昭和20年)から1947年(昭和22年)にかけて入植し、1948年(昭和23年)には開拓農業協同組合が設立されて、当区域には「麻溝台」や「豊原」など5つの組合があった。開拓に際しては新たな地割が行われたため、この区域には陸軍による買収以前、たとえば江戸時代の道路等の痕跡は一部を除いて残っていない。
この間、麻溝村は新磯村などとともに1941年(昭和16年)に高座郡相模原町の一部となった。1951年(昭和26年)1月、相模原町は旧麻溝村の区域内の旧軍用地に大字麻溝台を起立した(同時に、旧新磯村の旧軍用地に大字新磯野を起立)。1954年(昭和29年)11月20日に相模原町は市制を施行して相模原市となる。1979年(昭和54年)7月1日、相模原市は県道52号以北の区域で住居表示を実施し、相模原ゴルフクラブの敷地を既存の大野台四丁目に編入した上で、残りの区域に北里一丁目・二丁目を新設した。1989年(平成元年)7月1日に県道507号(村富線)以東の区域で住居表示を実施、麻溝台一丁目〜八丁目を新設した。2010年(平成22年)4月1日、相模原市の政令指定都市移行により同市の南区に所属。

世帯数と人口

2020年(令和2年)10月1日現在(国勢調査)の世帯数と人口(総務省調べ)は以下の通り。

人口の変遷

国勢調査による人口の推移。

世帯数の変遷

国勢調査による世帯数の推移。

学区

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2018年2月時点)

事業所

2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通り。

事業者数の変遷

経済センサスによる事業所数の推移。

従業員数の変遷

経済センサスによる従業員数の推移。

鉄道

区域内を通過する鉄道はない。

道路

神奈川県道52号相模原町田線/神奈川県道507号相武台相模原線(通称:村富線)

施設

行政/相模原市消防局南消防署麻溝台分署/相模原市南清掃工場/教育/中学校/相模原市立麻溝台中学校/高等学校/区域内にはないが隣接する北里二丁目(旧大字麻溝台)に神奈川県立麻溝台高等学校がある。
大学/女子美術大学相模原キャンパス/公園・スポーツ施設等/神奈川県立相模原公園 - 旧陸軍士官学校射撃場、在日米軍座間小銃射撃場跡地。
相模原市立相模原麻溝公園 - 県立相模原公園と一体のものとして整備されている。
相模原市立総合体育館/市民健康文化センター/病院/相模原友愛温泉病院/福祉施設/神奈川県立さがみ緑風園/工業/麻溝台工業団地/日産自動車相模原部品センター/その他/横浜水道、水道みち緑道

日本郵便

郵便番号 : 252-0328(集配局 : 座間郵便局)。

参考文献

『相模原市史 現代図録編』 相模原市、2004年/『地名調査報告書』 相模原市教育委員会、1984年

脚注

関連ページ