郵便番号 088-1104
住所 北海道 厚岸郡 厚岸町 大黒島
読み方 ほっかいどう あっけしぐんあっけしちょう だいこくじま
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地方公共
団体コード
01662
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  • 大黒島《島》
  • 北海道 厚岸郡 厚岸町 大黒島」の読み方は「ほっかいどう あっけしぐんあっけしちょう だいこくじま」です。
  • 北海道 厚岸郡 厚岸町 大黒島」の郵便番号は「088-1104」です。
  • 北海道 厚岸郡厚岸町」の地方公共団体コードは「01662」です。

「大黒島 (厚岸町)」の概要 from Wikipedia

…(2,753文字)

大黒島(だいこくじま)は、日本の北海道厚岸郡厚岸町に属する島。以前は厚岸道立自然公園であったが2021年3月30日より「厚岸霧多布昆布森国定公園」に指定された。

概要

島の面積は1.08km2、標高は105m。島名は、 寛政2年1790年の最上徳内の「蝦夷草紙」の付図「蝦夷・加頼多・骨奈誌利・月多六福・猟虎島写図」(蝦夷地図)に「大黒島」の名前が載っている。おそらくこれが和名の「大黒島」の初出だろう。その目的は1792年に、漂流民・大黒屋光太夫を帰国させるため、ロシア使節のアダム・ラクスマンが根室に来航するのに合わせたものだと思われる。
ラクスマンは根室で松前藩の藩医・加藤肩吾の地図(1791年頃の作製で大黒島が載っている)を筆写したといわれているのだが、その時加藤肩吾が地名を教えたと言われる。そのラクスマンの測量図(1793年)には「大黒島」の名前が載っている。
1791年と言えば最上徳内が蝦夷地に渡ってクナシリ、エトロフ、ウルップまで達し、帰りに厚岸に「神明宮」を建立し、「東蝦夷道中記」を著した年。ここで加藤肩吾に地図に大黒島の名前を記入するように指示した可能性がある。最上徳内は、ロシアが千島の南下策を取って次々とロシア人が蝦夷地に現れていたことに対抗して1785年と1786年にかけ国後島、択捉島、得撫島まで出向きロシア人等に日本領土であると主張して来た。1798年には近藤重蔵と共に択捉島に「大日本恵登呂府」の標柱を建てた。
ロシアがアイヌと交易を行いこれを取り込んで植民地化してしまえば、アイヌの居住地はロシア領だ、と主張する重要な根拠になるだろう。そこで厚岸湾入り口の島にはアイヌ語名(モシリカまたはホロモシリ)を避けようという判断があって和名の「大黒島」に改名したと思われる。
最上徳内は老中・田沼意次が蝦夷調査団を派遣する際に、本田利明が弟子の最上徳内を推薦したことにより選ばれた。田沼意次の失脚によりそれに係る文書類は全て焼却されたと言われており、最上徳内がその地図に大黒島の名前を書き入れた経緯は分からない。
大黒島のアイヌ語名はモシリカ、ホロモシリなどだった。モシリカ(mosir/島。 i/その。 ka/上。→「島の上」)。アイヌは漁民でもあったから、この島の上に古代からコタン(居住地)を作っていたのは間違いないだろう。それでモシリカ・コタン(島の上の居住地)を指して「モシリカ」と呼ばれていたのかもしれない。また、カ・kaには「岸」という意味もある。大黒島にある砂の崎を指してモシリカ「島の岸」と呼んでいたのかもしれない。
ホロモシリ(ポロモシリ)は「親島」という意味で、ポンモシリ「子島」(隣にある現在「小島」と呼ばれている島)に対応した名前。
大黒島には湾月町の昆布漁師一軒が昆布漁期の間だけ滞在していたが、十数年前から行っていない。したがって無人島。もちろん郵便が配達されることはない。自然保護の観点から勝手に上陸することも許されていない。小島の方には現在も昆布漁期だけ数件が滞在している(2022年、地元情報 )。
1960年には人口47名を数えたが、その後減少が続き1970年代前半に無人化。往時は小学校もあったが、大黒島が完全無人化する前に閉校している。校舎は1950年、厚岸町立小島中学校(1975年閉校)に移転された。
日本郵便から交通困難地に指定されていたが、2022年現在は非掲載。

大黒島と厚岸湾の自然

本島が所在する厚岸湾周辺では、暖流と寒流の交流が行われるため、大量のプランクトンの発生を促し、豊かな生態系を生み出す環境が確立されている。また、暖流の影響からか水温は比較的暖かく、ダケカンバやサルオガセなども見られる。近隣の仙鳳趾にある仙鳳寺には、道東では稀な杉が植栽されている。
オオセグロカモメやアホウドリ科など北方系の海鳥の大繁殖地および回遊域であり、国内で現存する数少ないウミウやウトウの繁殖地の一つでもある。とりわけ百万羽以上が棲息するコシジロウミツバメにいたっては日本唯一の繁殖地であることから、1951年(昭和26年)6月9日に「大黒島海鳥繁殖地」として国の天然記念物に指定され、1972年(昭和47年)11月1日に国指定大黒島鳥獣保護区(集団繁殖地)に指定されている(面積107ヘクタール、全域が特別保護地区)。また、現在では稀だがエトピリカやケイマフリなどの貴重な鳥類もかつては少数繁殖していた。島で確認された鳥類は59種を数え、チシマウガラス、オジロワシ、オオタカ、ハヤブサ、ウミガラスなどの国内希少野生動植物種も棲息が確認され、オジロワシの繁殖も行われている。東梅には厚岸水鳥観察館が設立されている。
哺乳類ではエゾヤチネズミが棲息する。海岸は100頭を超えるゼニガタアザラシの繁殖地としても知られ、ゴマフアザラシやトドも現れるほか、厚岸湾ではラッコの確認例もある。ラッコもかつてこの地に豊富に存在していた事は歴史的に示唆されている。 その他の鰭脚類ではクラカケアザラシや/ワモンアザラシ、キタオットセイなどの棲息の可能性もあるニホンアシカやニホンカワウソもかつては棲息していたと思われ、平成9年には別寒牛川にてカワウソらしき動物を見たとの報告もある。 /鯨類では本島から霧多布岬などにかけてミンククジラやシャチ、カマイルカやイシイルカ、ネズミイルカなどが沿岸域を通過し、シャチも時には湾内部の尻羽岬などでも見られる事がある。その他、ツチクジラなども現れる可能性があり、マッコウクジラなどが漂着する事もある。また、セミクジラが1960年代までは見られており、他にもナガスクジラやザトウクジラなど、かつては大型の鯨類もよく見られたと思われる。
厚岸湾東部にはアイニンカップ岬があり、北方では貴重なアマモ場が数ヘクタール広がっている。オオアマモが湾内に広く分布し、厚岸湖中にもアマモ、 コアマモ、カワツルモが棲息する。湾岸の子野日公園近辺にはラムサール条約指定の東梅海岸があり、アッケシソウもここで発見された。

歴史

大黒島は、周囲がタラやコンブの好漁場であることから、文化年間(1804年 - 1818年)には、番屋が置かれ季節移住があったという。1890年(明治23年)に南部の高台に厚岸灯台が設置され11月25日より点灯している。第二次世界大戦の時には、日本軍の基地が置かれたため、全島民が立ち退いたこともあり、現在でも高射砲陣地跡や旧海軍の特攻艇を格納した横穴などの戦争遺跡が残る。

外部リンク

大黒島海鳥繁殖地 - 文化遺産オンライン(文化庁)/大黒島海鳥繁殖地 - 国指定文化財等データベース(文化庁)

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