「新潟県 加茂市」について
地方公共 団体名 |
加茂市(新潟県) |
---|---|
読み方 | かもし |
地方公共 団体コード |
15209(15209-9) |
公式HP | |
地図 |
- 「加茂市」の読み方は、「かもし」です。
- 「新潟県 加茂市」の団体コード(5桁)は、「15209」です。
※ チェックディジットコードを含めた6桁表現だと、「152099(15209-9)」となります。
「新潟県 加茂市」の町域一覧
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統計データ
「新潟県 加茂市」は、「加茂市」だけです。人口・世帯数・面積・人口密度
「加茂市」の人口は、25,052人、世帯数は、10,115戸、面積は、133.72km²、人口密度は、187人/km²です。
市町村名 | 人口 | 世帯数 | 面積 | 人口密度 |
---|---|---|---|---|
加茂市 | 25,052人 男性:12,220人 女性:12,832人 | 10,115戸 | 133.72km² | 187人/km² |
※「住民基本台帳に基づく人口・世帯数」より
※「国勢調査に基づく面積」より(2020年10月〈最新〉)
※「国勢調査に基づく面積」より(2020年10月〈最新〉)
「加茂市」の人口推移
※ 2013(平成25)年以降から、在留外国人も集計されています。
西暦/和暦 | 人数 | 前年差 |
---|---|---|
2024年(令和6年) | 24,569人 | -483人 |
2023年(令和5年) | 25,052人 | -573人 |
2022年(令和4年) | 25,625人 | -512人 |
2021年(令和3年) | 26,137人 | -580人 |
2020年(令和2年) | 26,717人 | -553人 |
2019年(令和元年) | 27,270人 | -487人 |
2018年(平成30年) | 27,757人 | -466人 |
2017年(平成29年) | 28,223人 | -478人 |
2016年(平成28年) | 28,701人 | -515人 |
2015年(平成27年) | 29,216人 | -432人 |
2014年(平成26年) | 29,648人 | -210人 |
2013年(平成25年) | 29,858人 | -297人 |
2012年(平成24年) | 30,155人 | -353人 |
2011年(平成23年) | 30,508人 | -351人 |
2010年(平成22年) | 30,859人 | -385人 |
2009年(平成21年) | 31,244人 | -354人 |
2008年(平成20年) | 31,598人 | -364人 |
2007年(平成19年) | 31,962人 | -263人 |
2006年(平成18年) | 32,225人 | -350人 |
2005年(平成17年) | 32,575人 | -309人 |
2004年(平成16年) | 32,884人 | -322人 |
2003年(平成15年) | 33,206人 | -188人 |
2002年(平成14年) | 33,394人 | -328人 |
2001年(平成13年) | 33,722人 | -163人 |
2000年(平成12年) | 33,885人 | -217人 |
1999年(平成11年) | 34,102人 | -136人 |
1998年(平成10年) | 34,238人 | -91人 |
1997年(平成9年) | 34,329人 | -117人 |
1996年(平成8年) | 34,446人 | -175人 |
1995年(平成7年) | 34,621人 | ---- |
■「加茂市」における在留外国人の人口推移
西暦/和暦 | 人口(人) | 前年差(人) |
---|---|---|
2022年(令和4年) | 111 | +9 |
2021年(令和3年) | 102 | +3 |
2020年(令和2年) | 99 | -10 |
2019年(令和元年) | 109 | +14 |
2018年(平成30年) | 95 | -1 |
2017年(平成29年) | 96 | +8 |
2016年(平成28年) | 88 | -5 |
2015年(平成27年) | 93 | +5 |
2014年(平成26年) | 88 | +3 |
2013年(平成25年) | 85 | -3 |
2012年(平成24年) | 88 | ---- |
※「e-Stat : 在留外国人統計(旧登録外国人統計)」より
「加茂市」の地域情報
加茂市(かもし)は、新潟県の中央部に位置する市。中越地方に属しており東西に細長い市域。
市街地は三方を山に囲まれ、加茂川が貫流している。都市の起源は平安時代に遡り、青海神社の鳥居前町として栄えたのが始まり。古くから京都との関わりがあった事や中心街の落ち着いた町並みから「北越の小京都」「越後の小京都」とも呼ばれる。