「奈良県 桜井市」について
地方公共 団体名 |
桜井市(奈良県) |
---|---|
読み方 | さくらいし |
地方公共 団体コード |
29206(29206-1) |
公式HP | |
地図 |
- 「桜井市」の読み方は、「さくらいし」です。
- 「奈良県 桜井市」の団体コード(5桁)は、「29206」です。
※ チェックディジットコードを含めた6桁表現だと、「292061(29206-1)」となります。
「奈良県 桜井市」の町域一覧
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統計データ
「奈良県 桜井市」は、「桜井市」だけです。人口・世帯数・面積・人口密度
「桜井市」の人口は、55,508人、世帯数は、25,432戸、面積は、98.91km²、人口密度は、561人/km²です。
市町村名 | 人口 | 世帯数 | 面積 | 人口密度 |
---|---|---|---|---|
桜井市 | 55,508人 男性:26,319人 女性:29,189人 | 25,432戸 | 98.91km² | 561人/km² |
※「住民基本台帳に基づく人口・世帯数」より
※「国勢調査に基づく面積」より(2020年10月〈最新〉)
※「国勢調査に基づく面積」より(2020年10月〈最新〉)
「桜井市」の人口推移
※ 2013(平成25)年以降から、在留外国人も集計されています。
西暦/和暦 | 人数 | 前年差 |
---|---|---|
2024年(令和6年) | 54,878人 | -630人 |
2023年(令和5年) | 55,508人 | -252人 |
2022年(令和4年) | 55,760人 | -580人 |
2021年(令和3年) | 56,340人 | -444人 |
2020年(令和2年) | 56,784人 | -573人 |
2019年(令和元年) | 57,357人 | -587人 |
2018年(平成30年) | 57,944人 | -681人 |
2017年(平成29年) | 58,625人 | -420人 |
2016年(平成28年) | 59,045人 | -379人 |
2015年(平成27年) | 59,424人 | -398人 |
2014年(平成26年) | 59,822人 | -194人 |
2013年(平成25年) | 60,016人 | +119人 |
2012年(平成24年) | 59,897人 | -345人 |
2011年(平成23年) | 60,242人 | -295人 |
2010年(平成22年) | 60,537人 | -577人 |
2009年(平成21年) | 61,114人 | -174人 |
2008年(平成20年) | 61,288人 | -264人 |
2007年(平成19年) | 61,552人 | -148人 |
2006年(平成18年) | 61,700人 | -248人 |
2005年(平成17年) | 61,948人 | -233人 |
2004年(平成16年) | 62,181人 | -308人 |
2003年(平成15年) | 62,489人 | -472人 |
2002年(平成14年) | 62,961人 | -348人 |
2001年(平成13年) | 63,309人 | -507人 |
2000年(平成12年) | 63,816人 | -159人 |
1999年(平成11年) | 63,975人 | +83人 |
1998年(平成10年) | 63,892人 | +185人 |
1997年(平成9年) | 63,707人 | +159人 |
1996年(平成8年) | 63,548人 | +298人 |
1995年(平成7年) | 63,250人 | ---- |
■「桜井市」における在留外国人の人口推移
西暦/和暦 | 人口(人) | 前年差(人) |
---|---|---|
2022年(令和4年) | 789 | +74 |
2021年(令和3年) | 715 | +7 |
2020年(令和2年) | 708 | -28 |
2019年(令和元年) | 736 | +95 |
2018年(平成30年) | 641 | +59 |
2017年(平成29年) | 582 | +9 |
2016年(平成28年) | 573 | -26 |
2015年(平成27年) | 599 | -9 |
2014年(平成26年) | 608 | +13 |
2013年(平成25年) | 595 | -10 |
2012年(平成24年) | 605 | ---- |
※「e-Stat : 在留外国人統計(旧登録外国人統計)」より
「桜井市」の地域情報
…(312文字)
桜井市(さくらいし)は、奈良県中部、中和地域に位置する市。
縄文時代や弥生時代の土器の欠片が一般の畑などでも見られるなど歴史の深さを窺わせる。また、弥生時代や古墳時代の前方後円墳などの古墳が多く今日まで残る。そのためヤマト王権の中心的な地域であったと考えられ、その前期は三輪王権とも言われるが、今日の三輪地域を指しているとされる。
日本で最も古い神社の一つともいわれる三輪の大神神社、初瀬の長谷寺、多武峰の談山神社、等弥神社などの由緒ある社寺も数多く見られる。宗教的にも歴史が深く古代信仰の形体を知る上でも重要な地区。また、土舞台(現桜井公園)は日本芸能発祥の地と言われ、“万葉のあけぼのの地”などと呼称されることもある。