「福岡県 中間市」について
地方公共 団体名 |
中間市(福岡県) |
---|---|
読み方 | なかまし |
地方公共 団体コード |
40215(40215-0) |
公式HP | |
地図 |
- 「中間市」の読み方は、「なかまし」です。
- 「福岡県 中間市」の団体コード(5桁)は、「40215」です。
※ チェックディジットコードを含めた6桁表現だと、「402150(40215-0)」となります。
「福岡県 中間市」の町域一覧
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統計データ
「福岡県 中間市」は、「中間市」だけです。人口・世帯数・面積・人口密度
「中間市」の人口は、39,912人、世帯数は、20,452戸、面積は、15.96km²、人口密度は、2,501人/km²です。
市町村名 | 人口 | 世帯数 | 面積 | 人口密度 |
---|---|---|---|---|
中間市 | 39,912人 男性:18,789人 女性:21,123人 | 20,452戸 | 15.96km² | 2,501人/km² |
※「住民基本台帳に基づく人口・世帯数」より
※「国勢調査に基づく面積」より(2020年10月〈最新〉)
※「国勢調査に基づく面積」より(2020年10月〈最新〉)
「中間市」の人口推移
※ 2013(平成25)年以降から、在留外国人も集計されています。
西暦/和暦 | 人数 | 前年差 |
---|---|---|
2024年(令和6年) | 39,458人 | -454人 |
2023年(令和5年) | 39,912人 | -436人 |
2022年(令和4年) | 40,348人 | -644人 |
2021年(令和3年) | 40,992人 | -433人 |
2020年(令和2年) | 41,425人 | -640人 |
2019年(令和元年) | 42,065人 | -378人 |
2018年(平成30年) | 42,443人 | -441人 |
2017年(平成29年) | 42,884人 | -398人 |
2016年(平成28年) | 43,282人 | -403人 |
2015年(平成27年) | 43,685人 | -641人 |
2014年(平成26年) | 44,326人 | -243人 |
2013年(平成25年) | 44,569人 | +22人 |
2012年(平成24年) | 44,547人 | -463人 |
2011年(平成23年) | 45,010人 | -596人 |
2010年(平成22年) | 45,606人 | -600人 |
2009年(平成21年) | 46,206人 | -534人 |
2008年(平成20年) | 46,740人 | -551人 |
2007年(平成19年) | 47,291人 | -504人 |
2006年(平成18年) | 47,795人 | -299人 |
2005年(平成17年) | 48,094人 | -431人 |
2004年(平成16年) | 48,525人 | -133人 |
2003年(平成15年) | 48,658人 | -224人 |
2002年(平成14年) | 48,882人 | -342人 |
2001年(平成13年) | 49,224人 | -204人 |
2000年(平成12年) | 49,428人 | -353人 |
1999年(平成11年) | 49,781人 | -129人 |
1998年(平成10年) | 49,910人 | -220人 |
1997年(平成9年) | 50,130人 | -127人 |
1996年(平成8年) | 50,257人 | -16人 |
1995年(平成7年) | 50,273人 | ---- |
■「中間市」における在留外国人の人口推移
西暦/和暦 | 人口(人) | 前年差(人) |
---|---|---|
2022年(令和4年) | 384 | +51 |
2021年(令和3年) | 333 | -11 |
2020年(令和2年) | 344 | +10 |
2019年(令和元年) | 334 | +74 |
2018年(平成30年) | 260 | +48 |
2017年(平成29年) | 212 | +16 |
2016年(平成28年) | 196 | -7 |
2015年(平成27年) | 203 | -10 |
2014年(平成26年) | 213 | -13 |
2013年(平成25年) | 226 | +4 |
2012年(平成24年) | 222 | ---- |
※「e-Stat : 在留外国人統計(旧登録外国人統計)」より
「中間市」の地域情報
中間市(なかまし)は、福岡県の北部にある市。
筑豊炭田の一角をなし、エネルギー革命による炭坑の閉山等で一時人口が大きく落ち込んだが、その後北九州都市圏のベッドタウンとして再生した。