」について

地方公共
団体名
児湯郡 高鍋町(宮崎県)
読み方 こゆぐん たかなべちょう
地方公共
団体コード
45401(45401-0)
公式HP
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  • 児湯郡 高鍋町」の読み方は、「こゆぐん たかなべちょう」です。
  • 宮崎県 児湯郡 高鍋町」の団体コード(5桁)は、「45401」です。
    ※ チェックディジットコードを含めた6桁表現だと、「45401045401-0)」となります。

「宮崎県 児湯郡 高鍋町」の町域一覧

検索ヒット数:6件
市町村 町域 郵便番号
児湯郡 高鍋町 うわえ上江 884-0006
児湯郡 高鍋町 かぐちうら蚊口浦 884-0004
児湯郡 高鍋町 きたたかなべ北高鍋 884-0002
児湯郡 高鍋町 たかなべまち高鍋町 884-0001
児湯郡 高鍋町 みなみたかなべ南高鍋 884-0003
児湯郡 高鍋町 もちだ持田 884-0005

統計データ

「宮崎県 児湯郡」には、6つの町村があります。

人口・世帯数・面積・人口密度

「児湯郡 都農町」の人口は、10,262、世帯数は、4,778、面積は、102.11km²、人口密度は、100人/km²です。

市町村名 人口 世帯数 面積 人口密度
児湯郡 高鍋町19,729
男性:9,378
女性:10,351
9,61143.80km²450人/km²
児湯郡 新富町16,888
男性:8,308
女性:8,580
7,97261.53km²274人/km²
児湯郡 西米良村1,073
男性:552
女性:521
544271.51km²4人/km²
児湯郡 木城町4,908
男性:2,289
女性:2,619
2,233145.96km²34人/km²
児湯郡 川南町15,095
男性:7,178
女性:7,917
7,06090.12km²167人/km²
児湯郡 都農町10,262
男性:4,884
女性:5,378
4,778102.11km²100人/km²
※「住民基本台帳に基づく人口・世帯数」より
※「国勢調査に基づく面積」より(2020年10月〈最新〉)

「児湯郡 高鍋町」の人口推移

※ 2013(平成25)年以降から、在留外国人も集計されています。

西暦/和暦 人数 前年差
2023(令和5年) 19,729 -249
2022(令和4年) 19,978 -163
2021(令和3年) 20,141 -142
2020(令和2年) 20,283 -165
2019(令和元年) 20,448 -230
2018(平成30年) 20,678 -241
2017(平成29年) 20,919 -187
2016(平成28年) 21,106 -197
2015(平成27年) 21,303 -87
2014(平成26年) 21,390 +84
2013(平成25年) 21,306 +40
2012(平成24年) 21,266 -113
2011(平成23年) 21,379 -149
2010(平成22年) 21,528 -314
2009(平成21年) 21,842 -112
2008(平成20年) 21,954 -114
2007(平成19年) 22,068 -42
2006(平成18年) 22,110 -60
2005(平成17年) 22,170 -109
2004(平成16年) 22,279 -229
2003(平成15年) 22,508 -13
2002(平成14年) 22,521 -61
2001(平成13年) 22,582 +28
2000(平成12年) 22,554 +53
1999(平成11年) 22,501 +142
1998(平成10年) 22,359 -59
1997(平成9年) 22,418 -2
1996(平成8年) 22,420 -124
1995(平成7年) 22,544
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■「児湯郡 高鍋町」における在留外国人の人口推移

西暦/和暦 人口(人) 前年差(人)
2022(令和4年) 69 +6
2021(令和3年) 63 -12
2020(令和2年) 75 -21
2019(令和元年) 96 +39
2018(平成30年) 57 +5
2017(平成29年) 52 -12
2016(平成28年) 64 -4
2015(平成27年) 68 +23
2014(平成26年) 45 +10
2013(平成25年) 35 -3
2012(平成24年) 38 ----
※「e-Stat : 在留外国人統計(旧登録外国人統計)」より

「高鍋町」の地域情報

高鍋町(たかなべちょう)は、宮崎県の中央にある町で、児湯郡に属する。
江戸時代に秋月氏の治める高鍋藩の城下町として栄え、全寮制の藩校・明倫堂で人材育成に力を注いだ教育の藩であった。古くは「財部」と呼び、江戸時代に「高鍋」と改称された。
近代以降も児湯地方の中心として発展し続け、県内一面積の小さい自治体ながら、県や国の出先機関、高校、大学などさまざまな施設が集中している。