」について

地方公共
団体名
東津軽郡 今別町(青森県)
読み方 ひがしつがるぐん いまべつまち
地方公共
団体コード
02303(02303-5)
公式HP
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  • 東津軽郡 今別町」の読み方は、「ひがしつがるぐん いまべつまち」です。
  • 青森県 東津軽郡 今別町」の団体コード(5桁)は、「02303」です。
    ※ チェックディジットコードを含めた6桁表現だと、「02303502303-5)」となります。

「青森県 東津軽郡 今別町」の町域一覧

検索ヒット数:10件
市町村 町域 郵便番号
東津軽郡 今別町 いまべつ今別 030-1502
東津軽郡 今別町 おおかわだい大川平 030-1505
東津軽郡 今別町 おおどまり大泊 030-1512
東津軽郡 今別町 おくたいらへ奥平部 030-1515
東津軽郡 今別町 すながもり砂ケ森 030-1514
東津軽郡 今別町 なべた鍋田 030-1504
東津軽郡 今別町 はまな浜名 030-1501
東津軽郡 今別町 ほろづき袰月 030-1513
東津軽郡 今別町 むらもと村元 030-1503
東津軽郡 今別町 やまざき山崎 030-1511

統計データ

「青森県 東津軽郡」には、4つの町村があります。

人口・世帯数・面積・人口密度

「東津軽郡 外ヶ浜町」の人口は、5,358、世帯数は、2,716、面積は、230.3km²、人口密度は、23人/km²です。

市町村名 人口 世帯数 面積 人口密度
東津軽郡 平内町10,187
男性:4,869
女性:5,318
4,803217.09km²47人/km²
東津軽郡 今別町2,311
男性:1,104
女性:1,207
1,335125.27km²18人/km²
東津軽郡 蓬田村2,581
男性:1,249
女性:1,332
1,13180.84km²32人/km²
東津軽郡 外ヶ浜町5,358
男性:2,556
女性:2,802
2,716230.30km²23人/km²
※「住民基本台帳に基づく人口・世帯数」より
※「国勢調査に基づく面積」より(2020年10月〈最新〉)

「東津軽郡 今別町」の人口推移

※ 2013(平成25)年以降から、在留外国人も集計されています。

西暦/和暦 人数 前年差
2023(令和5年) 2,311 -115
2022(令和4年) 2,426 -69
2021(令和3年) 2,495 -82
2020(令和2年) 2,577 -87
2019(令和元年) 2,664 -95
2018(平成30年) 2,759 -83
2017(平成29年) 2,842 -80
2016(平成28年) 2,922 -77
2015(平成27年) 2,999 -111
2014(平成26年) 3,110 -62
2013(平成25年) 3,172 -116
2012(平成24年) 3,288 -114
2011(平成23年) 3,402 -94
2010(平成22年) 3,496 -102
2009(平成21年) 3,598 -125
2008(平成20年) 3,723 -122
2007(平成19年) 3,845 -140
2006(平成18年) 3,985 -72
2005(平成17年) 4,057 -130
2004(平成16年) 4,187 -111
2003(平成15年) 4,298 -167
2002(平成14年) 4,465 -90
2001(平成13年) 4,555 -104
2000(平成12年) 4,659 -139
1999(平成11年) 4,798 -92
1998(平成10年) 4,890 -61
1997(平成9年) 4,951 -136
1996(平成8年) 5,087 -76
1995(平成7年) 5,163
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■「東津軽郡 今別町」における在留外国人の人口推移

西暦/和暦 人口(人) 前年差(人)
2022(令和4年) 3 +1
2021(令和3年) 2 -3
2020(令和2年) 5 +2
2019(令和元年) 3 -1
2018(平成30年) 4 +0
2017(平成29年) 4 +1
2016(平成28年) 3 +0
2015(平成27年) 3 -1
2014(平成26年) 4 -1
2013(平成25年) 5 -1
2012(平成24年) 6 ----
※「e-Stat : 在留外国人統計(旧登録外国人統計)」より

「今別町」の地域情報

今別町(いまべつまち)は青森県東津軽郡の北部に位置する町。津軽半島北端にあり、三厩湾に面している。
地名の由来は、伝承によると、源義経一行が北上する途中、当地付近の川に行き、大雨の後に川を見に行ったところ、大幅に水量が増加していたので、浅瀬が淵になったと驚き、この地を「今淵」(いまぶち)と命名したとされる(古い文献では「今淵」と表記されている)。この「今淵」(いまぶち)がのちに訛って「今別」(いまべつ)になったとされる。戦後からは、アイヌ語のイマ・ペッ(焼く川)が由来であるとの異説も提唱されている。