「群馬県 前橋市 下大島町」について
郵便番号 | 〒379-2152 |
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住所 | 群馬県 前橋市 下大島町 |
読み方 | ぐんまけん まえばしし しもおおしままち |
この地域の 公式HP |
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地図 | |
地方公共 団体コード |
10201 |
最寄り駅 (基準:地域中心部) |
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周辺の施設、 ランドマーク等 |
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- 「群馬県 前橋市 下大島町」の読み方は「ぐんまけん まえばしし しもおおしままち」です。
- 「群馬県 前橋市 下大島町」の郵便番号は「〒379-2152」です。
- 「群馬県 前橋市」の地方公共団体コードは「10201」です。
「下大島町(前橋市)」の概要 from Wikipedia
下大島町(しもおおしままち)は、群馬県前橋市の地名。郵便番号は379-2152。2013年現在の面積は1.24km2。大島梨の生産で知られる。
地理
前橋市の南部、広瀬川流域に位置しており、JR両毛線と駒形バイパス、広瀬川が平行して走っている。
河川
広瀬川
隣接地区
北は天川大島町、上大島町、下長磯町に、東は小屋原町に、南は山王町、駒形町に、西は広瀬町に接している。
歴史
江戸時代頃からある地名であり、前橋藩領だった。もとは上大島村・天川大島村と一村で「大島村」と称されたと考えられている。
年表
戦国時代 - 「大胡庄之内・・・大嶋村」の名が山内上杉氏所領として「上州之内 持分之事」(「彦部文書」)に見える。
天正18年(1590年) - 平岩親吉が前橋城主となり、以後下大島は江戸時代を通じて前橋藩領だった。
元禄15年(1702年) - 元禄郷帳に上大嶋村、下大嶋村と天川大嶋村が別に記述されている。寛文8年(1668年)の「上野国郷帳」では大嶋村として記述されるため、この間に分村されたとみられる。
明治22年(1889年)4月1日 - 町村制施行により、下大島村は駒形新田、天川大島村、上大島村、女屋村、上長磯村、東上野村、野中村、下長磯村、小屋原村、笂井村、上増田村、下増田村と合併し南勢多郡木瀬村が成立する。
明治29年(1896年)4月1日 - 南勢多郡と東群馬郡が統合し勢多郡となる。
昭和32年(1957年)1月20日 - 勢多郡木瀬村、荒砥村が合併し城南村が成立する。
昭和42年(1967年)5月1日 - 城南村が前橋市へ編入される。そのため前橋市下大島町となる。
昭和54年(1979年)9月25日 - 町内のメッキ工場からシアン化合物を含む溶液約1000リットルが韮川へ流出。下流の利根川本流の水量が多かったため被害は無し。
昭和55年(1980年) - 一部が山王町1-2丁目となる。
平成20年(2008年)1月1日 - 城南地区から永明地区へ移管される。地名の由来
昔この辺りを利根川が流れていた頃、島だった場所であるからとされる。
世帯数と人口
2017年(平成29年)8月31日現在の世帯数と人口は以下の通り。
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。
鉄道
鉄道駅はない。
道路
国道は通っていない。県道は群馬県道2号前橋館林線駒形バイパスが通っている。
施設
医療機関/上毛病院(精神科・神経科・心療内科・外科・内科・消化器科・小児科)/下大島医院(内科・呼吸器科)/村上皮フ科医院(皮膚科)/池医院/各種団体/群馬県学童保育連絡協議会/群馬県計量協会/群馬県トラック事業協同組合/寺院/来迎寺 - 天台宗、雲林山延明院来迎寺。
出身者
関口安太郎 - 県会議員、衆議院議員。
参考文献
「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 10 群馬県』角川書店、1988年7月8日。ISBN 4-04-001100-7。 /木瀬村誌編纂委員会『木瀬村誌』1995年9月20日(原著1995年9月20日)。doi:10.24484/sitereports.101883。 NCID BN1378655X。https://sitereports.nabunken.go.jp/101883。 /勢多郡誌編纂委員会『勢多郡誌』勢多郡誌編纂委員会、1958年3月30日。 /前橋市史編さん委員会『前橋市史』 2巻、前橋市、1973年8月1日。
外部リンク
前橋市 HP/大島梨 下大島果樹組合
関連ページ
【参考】
町域名に「下大島町」が含まれている住所一覧
- 同じ町域内で複数の郵便番号がある場合、別々にリスト表示しています。