「和歌山県 海南市 下津町塩津」について
郵便番号 | 〒649-0131 |
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住所 | 和歌山県 海南市 下津町塩津 |
読み方 | わかやまけん かいなんし しもつちょうしおつ |
この地域の 公式HP |
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地図 | |
地方公共 団体コード |
30202 |
最寄り駅 (基準:地域中心部) |
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周辺の施設、 ランドマーク等 |
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- 「和歌山県 海南市 下津町塩津」の読み方は「わかやまけん かいなんし しもつちょうしおつ」です。
- 「和歌山県 海南市 下津町塩津」の郵便番号は「〒649-0131」です。
- 「和歌山県 海南市」の地方公共団体コードは「30202」です。
「下津町塩津」の概要 from Wikipedia
下津町塩津(しもつちょうしおつ)は、和歌山県海南市の町丁。2012年10月1日現在の人口は614人。郵便番号は649-0131。本項ではかつて同区域に存在した海部郡・海草郡塩津村(しおつむら)についても記す。
地理
海南市の南西部、紀勢本線・冷水浦駅 - 加茂郷駅間の紀伊水道沿岸にあたる。東部の沿岸を同線と国道42号が通過する。
歴史
幕末 - 海部郡塩津浦が存在。「旧高旧領取調帳」の記載によると和歌山藩領。
明治4年7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により和歌山県の管轄となる。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、近世以来の塩津浦が単独で自治体を形成して塩津村が発足。
1896年(明治29年)4月1日 - 塩津村の所属郡が海草郡に変更。
1955年(昭和30年)2月1日 - 塩津村が下津町・大崎町・加茂村・仁義村と合併し、改めて下津町が発足。同町大字塩津となる。
2005年(平成17年)4月1日 - 下津町が海南市と合併し、改めて海南市が発足。同市下津町塩津となる。産業
農業/『大日本篤農家名鑑』によれば、塩津村の篤農家は橋本、榎本姓の人物がいた。
商工業/塩津村の商工業者は、1894年出版の『和歌山県名誉家及商工人名録』によれば、肥料商の石橋、中山、穀物問屋商の九鬼、穀物商の中山、材木商の硲、荒物並びに肥物商の小山、旅人宿の中野、穀物酒類商の丸谷などがいた。
1921年出版の『和歌山県実業参考録』によれば、万荒物商の堺、肥料商の峰野、肥料商蜜柑問屋業の九鬼、柑橘屋業の井田、柑橘問屋業の中崎、酢醤油商の二ツ井、醤油醸造業の中山、海産物商の札場、吉田、船舶艀取扱い並びに海産業の中野、米穀雑貨金物商の中村、回漕業の森山などがいた。
かつて存在した企業/石橋合名会社 - 目的は1動産・不動産及び有価証券を所有し、これより生じる利益を収得、2各種事業の投資。設立の年は1921年。
四十三銀行塩津支店鉄道
区域内を西日本旅客鉄道の紀勢本線が通過するが、駅は所在しない。
バス
海南市コミュニティバス/戸坂線/加茂郷駅 - 塩津口 - 塩津 - 戸坂
道路
国道42号
施設
海南市立塩津小学校/塩津郵便局/蛭子神社/極楽寺/妙石寺/教徳寺
出身・ゆかりのある人物
石橋八九郎(米穀商、肥物商、紀州銀行、南陽肥料各取締役)/石橋八九郎(綿ネル商、石橋合名会社代表社員、四十三銀行、紀伊貯蓄銀行各取締役)/石橋八九郎(石橋合名会社代表社員、内外除虫菊、和歌山産業各取締役、内外除虫菊、四十三銀行各監査役)
参考文献
大橋謙之助編『和歌山県名誉家及商工人名録』報道館、1894年。
『日本現今人名辞典』日本現今人名辞典発行所、1903年。
大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
大蔵省印刷局編『官報 1921年06月27日』日本マイクロ写真、1921年。
松本作蔵、安中荘太郎編『和歌山県実業参考録』実業公益社、1921年。
『角川日本地名大辞典 30 和歌山県』。
旧高旧領取調帳データベース関連項目
和歌山県の廃止市町村一覧
外部リンク
海南市