「群馬県 前橋市 下長磯町」について
郵便番号 | 〒379-2151 |
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住所 | 群馬県 前橋市 下長磯町 |
読み方 | ぐんまけん まえばしし しもながいそまち |
この地域の 公式HP |
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地図 | |
地方公共 団体コード |
10201 |
最寄り駅 (基準:地域中心部) |
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周辺の施設、 ランドマーク等 |
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- 「群馬県 前橋市 下長磯町」の読み方は「ぐんまけん まえばしし しもながいそまち」です。
- 「群馬県 前橋市 下長磯町」の郵便番号は「〒379-2151」です。
- 「群馬県 前橋市」の地方公共団体コードは「10201」です。
「下長磯町」の概要 from Wikipedia
下長磯町(しもながいそまち)は、群馬県前橋市の地名。郵便番号は379-2151。2013年現在の面積は0.65km2。
地理
桃ノ木川右岸に位置している。
河川
桃ノ木川
歴史
江戸時代頃からある地名であり、前橋藩領だった。もとは上長磯村と一村で「長磯村」と称した。
年表
戦国時代 - 「大胡庄之内・・・長安村」の名が山内上杉氏所領として「上州之内 持分之事」(「彦部文書」)に見える。
天正18年(1590年) - 平岩親吉が前橋城主となり、以後下長磯は江戸時代を通じて前橋藩領だった。
元禄15年(1702年) - 元禄郷帳に上長磯村と下長磯村が別に記述されている。寛文8年(1668年)の「上野国郷帳」では長磯村として記述されるため、この間に分村されたとみられる。
明治22年(1889年)4月1日 - 町村制施行により、下長磯村は天川大島村、上大島村、女屋村、上長磯村、東上野村、野中村、小島田村、小屋原村、下大島村、笂井村、上増田村、下増田村、駒形新田と合併し南勢多郡木瀬村が成立する。
明治29年(1896年)4月1日 - 南勢多郡と東群馬郡が統合し勢多郡となる。
昭和32年(1957年)/1月20日 勢多郡木瀬村、荒砥村が合併し城南村が成立する。
10月10日 城南村の一部(大字下長磯、小島田)が前橋市へ編入される。そのため前橋市下長磯町となる。地名の由来
昔、この辺りを利根川が流れていた頃、川岸の磯であったからという。
世帯数と人口
2017年(平成29年)8月31日現在の世帯数と人口は以下の通り。
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。
鉄道
鉄道駅はない。
道路
国道は国道50号が通っており、県道は通っていない。
施設
下長磯稲荷神社 - 旧社格は村社。4月15日に拝殿で奉納される式三番叟は、江戸時代中期にまで遡り、「下長磯の式三番」として記録作成等の措置を講ずべき無形文化財に指定、「下長磯あやつり式三番 附人形3個」として群馬県指定重要無形文化財に指定されている。
参考文献
「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 10 群馬県』角川書店、1988年7月8日。ISBN 4-04-001100-7。 /木瀬村誌編纂委員会『木瀬村誌』1995年9月20日(原著1995年9月20日)。doi:10.24484/sitereports.101883。 NCID BN1378655X。https://sitereports.nabunken.go.jp/101883。 /勢多郡誌編纂委員会『勢多郡誌』勢多郡誌編纂委員会、1958年3月30日。 /前橋市史編さん委員会『前橋市史』 2巻、前橋市、1973年8月1日。