「兵庫県 宝塚市 中筋山手」について
郵便番号 | 〒665-0875 |
---|---|
住所 | 兵庫県 宝塚市 中筋山手 |
読み方 | ひょうごけん たからづかし なかすじやまて |
この地域の 公式HP |
|
地図 | |
地方公共 団体コード |
28214 |
最寄り駅 (基準:地域中心部) |
|
周辺の施設、 ランドマーク等 |
|
- 「兵庫県 宝塚市 中筋山手」の読み方は「ひょうごけん たからづかし なかすじやまて」です。
- 「兵庫県 宝塚市 中筋山手」の郵便番号は「〒665-0875」です。
- 「兵庫県 宝塚市」の地方公共団体コードは「28214」です。
- ■f03: 丁目を有する町域。
- 郵便番号を設定した町域(大字)が複数の小字を有しており、各小字毎に番地が起番されているため、町域(郵便番号)と番地だけでは住所が特定できない町域。
「中筋山手」の概要 from Wikipedia
中筋山手(なかすじやまて)は兵庫県宝塚市の地名。一丁目から七丁目がある。2022年(令和4年)7月31日現在の人口は4164人。国勢調査に基づく2020年現在の面積は0.4944070km2。郵便番号は、665-0875。
全域が第一種低層住居専用地域(建物の高さが10mまで)に指定されているため、大部分が低層住宅。地理
中筋山手は宝塚市の南部、市街地の北側に位置する。勅使川が地区の西側、天神川が東側を流れている。
歴史
中筋山手は町村制施行前は中筋村の一部であった。1889年に町村制施行により兵庫県川辺郡長尾村の一部になった。1955年、長尾村が宝塚市に編入合併され、現在の中筋山手となった。
沿革
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により兵庫県川辺郡長尾村上中筋となる。
1955年(昭和30年)3月10日 - 長尾村が宝塚市に編入合併され、兵庫県宝塚市中筋山手となる。世帯数と人口
2022年(令和4年)7月31日現在の世帯数と人口は以下の通り。
人口の変遷
総数 [戸数または世帯数: 、人口: ]
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。
路線バス
現在、中筋山手には阪急バスが乗り入れており、山手四丁目バス停と中筋山手二丁目バス停がある。
施設
中筋山手自治会館/市営中筋山手住宅/市営中筋住宅団地/県営宝塚中筋高層住宅
古墳
中筋山手には、天神川と砺使川に挟まれた地区に分布する諸古墳を含む中筋山手古墳群が存在する。特にその中でも中筋山手丘陵の東南麓の天神川右岸のものを中筋山手東古墳群という。中筋山手東古墳群は4基が現存する。1~3号墳は住宅街の中にあり、2号墳は、市の史跡として指定されており、1976年(昭和51年)に発掘調査が行われ、副葬品として土師器、須恵器の土器類と耳環8点が出土している。また、出土状態から4人が葬られていたと考えられている。
中筋山手古墳群は、石室形態、出土品などから1~3号墳、6号墳、7号墳、東1~4号墳の9基は6世紀後半から末頃、4号墳は6世紀末から7世紀初頭、5号墳が7世紀前半に形成されたと考えられている。7号墳は、有高稲荷神社社殿の裏にある。有高稲荷神社
古来より「小池稲荷」と称し、明治時代末期または大正時代初期から「有高稲荷」と称されて来た。建立は宝永年間(1704年~1710年)に土地の大酒造業、地主、金融業を持って知られた小池道林が旅先での一夜夢のお告げとして稲荷大明神に「汝法華教を持って我を信奉する時、土地五穀豊穣、住民の安穩疑い無し」と告げられ勧請したと伝わる。
主祭神は倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)、例祭日は10月26日。1873年(明治6年)に無格社に加列された。住宅街の中にある30の鳥居が特徴。参考文献
関西学院大学考古学研究会「長尾山の古墳群(Ⅰ)ー中筋山手古墳群ー」『関西学院考古』第4巻、1978年2月、1-19頁、doi:10.24484/sitereports.68108。
関連項目
宝塚市