「神奈川県 鎌倉市 佐助」について
郵便番号 | 〒248-0017 |
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住所 | 神奈川県 鎌倉市 佐助 |
読み方 | かながわけん かまくらし さすけ |
この地域の 公式HP |
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地図 | |
地方公共 団体コード |
14204 |
最寄り駅 (基準:地域中心部) |
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周辺の施設、 ランドマーク等 |
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- 「神奈川県 鎌倉市 佐助」の読み方は「かながわけん かまくらし さすけ」です。
- 「神奈川県 鎌倉市 佐助」の郵便番号は「〒248-0017」です。
- 「神奈川県 鎌倉市」の地方公共団体コードは「14204」です。
- ■f03: 丁目を有する町域。
- 郵便番号を設定した町域(大字)が複数の小字を有しており、各小字毎に番地が起番されているため、町域(郵便番号)と番地だけでは住所が特定できない町域。
「佐助」の概要 from Wikipedia
佐助(さすけ)は神奈川県鎌倉市鎌倉地域にある大字。現行行政地名は佐助一丁目及び佐助二丁目。住居表示実施済み区域。かつては佐介ガ谷、あるいは佐助ガ谷と呼ばれていた。
地名の由来には諸説がある。
源頼朝が佐殿と呼ばれていたとき、平氏の追及を逃れてこの地の隠れ里に潜んだところ、地主神である宇賀神が現れて佐殿を助けたから。
源頼朝麾下の三浦介義澄、上総介広常、千葉介常胤の三人の介の館があり、三介ガ谷と呼んだものが訛ったから。歴史
吾妻鏡によると宝治元年(1247年)の記述に北条時盛の「佐介亭」がある。時盛の子孫もこの地に住んだため、この系統は佐介流北条氏と呼ばれる。九条頼経、頼嗣、宗尊親王ら京都から招聘した将軍が更迭される際には、佐介亭に宿泊していた。
材木座の光明寺の前身とされる蓮華寺が建立された。
上杉禅秀の乱では佐介ガ谷から前浜にかけて激しい戦闘がなされた。
昭和40年(1965年)および昭和42年(1967年)に住居表示に伴い佐助一丁目-二丁目となった。地価
住宅地の地価は、2023年(令和5年)1月1日の公示地価によれば、佐助1-1-11の地点で36万3000円/m2となっている。
世帯数と人口
2023年(令和5年)9月1日現在(鎌倉市発表)の世帯数と人口は以下の通り。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2017年7月時点)。
事業所
2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通り。
事業者数の変遷
経済センサスによる事業所数の推移。
従業員数の変遷
経済センサスによる従業員数の推移。
寺社・旧跡
銭洗弁天/佐助稲荷神社
その他
東京国税局 鎌倉税務署
日本郵便
郵便番号 : 248-0017(集配局 : 鎌倉郵便局)。
参考文献
奥富敬之 『鎌倉史跡事典』 新人物往来社 1999/三浦勝男編 『鎌倉の地名由来辞典』 東京堂出版 2005/河井恒久 等編 編「巻之五 佐介谷」『新編鎌倉志』 第5冊、大日本地誌大系刊行会〈大日本地誌大系〉、1915年、98−99頁。NDLJP:952770/64。
脚注