「青森県 弘前市 北横町」について
郵便番号 | 〒036-8046 |
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住所 | 青森県 弘前市 北横町 |
読み方 | あおもりけん ひろさきし きたよこちょう |
この地域の 公式HP |
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地図 | |
地方公共 団体コード |
02202 |
最寄り駅 (基準:地域中心部) |
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周辺の施設、 ランドマーク等 |
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- 「青森県 弘前市 北横町」の読み方は「あおもりけん ひろさきし きたよこちょう」です。
- 「青森県 弘前市 北横町」の郵便番号は「〒036-8046」です。
- 「青森県 弘前市」の地方公共団体コードは「02202」です。
「北横町(弘前市)」の概要 from Wikipedia
北横町(きたよこちょう)は、江戸期から現在にかけての青森県弘前市の地名。郵便番号は036-8046。2017年6月1日現在の人口は253人、世帯数は122世帯。
地理
町域の北部を土淵川が流れる。北部は田茂木町・田町、東部は野田、南部から西部にかけて和徳町、北西部は山王町に接する。
歴史
延宝5年 - 東長町七丁目・八丁目間(現:和徳町)を境に北は東長町北横町、そして南は東長町南横町(現:南横町)として町割りがされ、当地を指す東長町北横町は屋敷41(弘前惣御絵図)。
宝永4年 - 郭内武家屋敷の郭外移転により、改めて屋敷割りが行われ、同時に当地から八幡宮まで現在の田町が成立(平山日記)。
宝暦6年 - 町屋が91軒(弘前町惣屋鋪改大帳)。
文政年間 - 当地は一丁目から四丁目に分かれて構成され、すべて町屋(和徳町絵図)。
天保8年 - 町屋が96軒(弘前絵図)。
幕末 - 町屋と武家屋敷の入り交じった町となる。
1897年(明治30年) - 陸軍第8師団の設置に伴い、北川端町にあった遊廓が当地に移転。当時当地の西南(現:和徳町)に和徳小学校があり、学区民の反対運動があったが、和徳小学校が現在の代官町に移転したことにより、遊廓は当地から移転することなく、当地は弘前を代表する遊廓地となる。
1927年(昭和2年) - 当地の遊廓から出火した火災が和徳町・南横町・萱町・植田町・代官町まで燃え広がり、438戸を焼く大火となる。
1957年(昭和32年) - 売春防止法が施行されたことにより、遊廓は旅館になる。
現在 - その他に残っていた遊廓の建物も、現在までに姿を消し、工場、商社のビルが建ち、著しく変化。沿革
江戸期 - 弘前城下の一町。
明治初年~明治22年 - 弘前を冠称。
1899年(明治22年) - 弘前市に所属。医療
あづま内科(閉院)/三上内科医院/ほくおう歯科医院
福祉
社会福祉法人弘前草右会
商業
木村建具製作所
公共
北横町会館/土淵川北横町緑地
その他
天理教弘森分教会
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。
交通
弘南バス/横町入口(弘前 - 五所川原線 復路)停留所。
横町入口、健生病院前(弘前バスターミナル - 神田線、小栗山 - 清原・安原 - 神田線)停留所。参考文献
角川日本地名大辞典 2 青森県(角川書店)
関連ページ
【参考】
町域名に「北横町」が含まれている住所一覧
- 同じ町域内で複数の郵便番号がある場合、別々にリスト表示しています。