「愛知県 安城市 和泉町北大木」について
郵便番号 | 〒444-1223 |
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住所 | 愛知県 安城市 和泉町北大木 |
読み方 | あいちけん あんじょうし いずみちょうきたおおぎ |
この地域の 公式HP |
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地図 | |
地方公共 団体コード |
23212 |
最寄り駅 (基準:地域中心部) |
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周辺の施設、 ランドマーク等 |
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- 「愛知県 安城市 和泉町北大木」の読み方は「あいちけん あんじょうし いずみちょうきたおおぎ」です。
- 「愛知県 安城市 和泉町北大木」の郵便番号は「〒444-1223」です。
- 「愛知県 安城市」の地方公共団体コードは「23212」です。
- ■f01: 一町域が二以上の郵便番号で表される。
- 町域のみでは郵便番号が特定できず、丁目、番地、小字などにより番号が異なる町域。
「和泉町(安城市)」の概要 from Wikipedia
和泉町(いずみちょう)は、愛知県安城市の町名。
地理
高浜川水系の半場川流域に位置する。江戸時代に油ヶ淵が湖沼化する前は、衣浦湾に面する入り江となっていた。国道23号、愛知県道299号南中根小垣江線が町域を縦断している。
中世以前
弥生時代中期の中本郷貝塚、弥生時代中期・後期の八斗蒔遺跡(はっとまきいせき)や惣山古墳などがあったが、いずれも後に壊滅した。現在は弥厚公園となっている北本郷古墳を残すのみ。
鎌倉時代の13世紀初頭には伊勢神宮の神領地に指定され、泉御園と呼ばれたことが名称の由来の一説。石川丈山邸の藪の中に湧き出ていた泉が由来とされることもある。江戸時代には一文字で泉と表記されることも多かった。近世
元和4年(1618年)には五ケ野原をめぐって桜井村と争いを起こし、和泉村の久津名七右衛門が殺されたとされる。この頃には五ケ野原が桜井村、小川村、和泉村、城ケ入村、中根村の5か村による入会地となる慣例が確立したとされる。寛永20年(1643年)から元禄13年(1700年)にかけても城ケ入村との間で土地の帰属を巡る争いが起こった。
江戸時代の初めは甘縄藩領であり、元禄16年(1703年)に旗本の松平万次郎と江戸幕府の相給村となった。松平氏の知行は明治維新期まで存続したが、天領分は宝永7年(1710年)に刈谷藩領となった。寛政2年(1790年)に刈谷藩領で寛政一揆が発生したことで領地替えの処罰を受け、寛政4年(1792年)には刈谷藩領分が福島藩領となった。1869年(明治2年)にはこの福島藩飛び地が重原藩領として独立した。
村高は『寛永高附』によると573石余、『元禄郷帳』によると622石余、『天保郷帳』や『旧高旧領』によると774石余だったが、油ヶ淵に近かったことから水害による損害も大きかった。17世紀後半には綿作が発展し、延宝8年(1680年)以後の年貢割付状には木綿畑が登場する。18世紀初頭には畑高の半分以上が綿畑高だった。
和泉村の豪農としては都築弥厚がおり、文化9年(1812年)からは松平家の代官を務めた。都築弥厚は天保3年(1833年)には石高2070石、酒造株4160石余を有していたが、天保年間の和泉村には9軒以上の酒造家があったうえ、特産品として和泉そうめんがあった。近代
1888年(明治21年)の町村制施行に伴い、1889年(明治22年)には碧海郡和泉村が発足した。1891年(明治24年)の戸数は312、人口は1601だった。
1906年(明治39年)5月1日、米津村、西端村、東端村、根崎村、城ヶ入村、榎前村の一部が合併して淵辺村が発足し、5月7日には明治村に改称した。明治村の大字として和泉が設置されている。現代
太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)1月13日には三河地震が起こり、明治村和泉にあった約400戸のうち約300戸が倒壊、83人の死者を出す甚大な被害があった。合同葬の最中に空襲警報が発令されたことで、火葬できずに埋葬したとされる。
1955年(昭和30年)4月1日、明治村が分割されて安城市・碧南市・西尾市に編入され、この地は安城市に編入された。安城市の大字として和泉が設置されている。1956年(昭和31年)には安城市に和泉町が設置された。1968年(昭和43年)の和泉町の世帯数は534、工場数は25、商店数は24。1970年(昭和45年)の世帯数は566、人口は2,908。施設
安城市立丈山小学校/安城市立和泉保育園/明治郵便局/和泉町公民館/和泉公園/弥厚公園 - 都築弥厚を顕彰する公園。
明祥プラザ/安城市マーメイドパレス/碧海信用金庫和泉支店/アイシン辰栄和泉工場/ニッセイ/いずみ製菓名所・旧跡・観光スポット
北本郷古墳 - 古墳時代中期の円墳。内行花文鏡などの出土物は和泉八剱神社に保管されている。
和泉八剱神社 - 和泉町の鎮守。
本龍寺 - 真宗大谷派の寺院。承安4年(1174年)開創。明治村役場が一時的に置かれた。都築弥厚の墓がある。
丈山苑 - 石川丈山が晩年を過ごした詩仙堂を模した日本庭園。
丈山文庫 - 石川丈山が晩年に書斎とした学甫堂を移築した建物。
和泉の大地蔵 - 日清戦争や日露戦争の戦没者供養などのために1907年(明治40年)建立。寄木造の天井が珍しいとされる。
旧明治郵便局局舎および官舎 - 1911年(明治43年)開局。三等郵便局の局舎と官舎が揃って残っている点が珍しいとされる。1967年(昭和42年)閉局。2009年(平成21年)修復。安城市指定文化財。交通
国道23号(名豊道路知立バイパス)/和泉IC/愛知県道45号安城碧南線/愛知県道299号南中根小垣江線
出身者
石川丈山 - 武将・文人。
都築弥厚 - 代官。新田開発・用水開削計画者。後世の明治用水につながる計画を立てた。参考文献
「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年/『日本歴史地名大系 23 愛知県の地名』平凡社、1981年
関連項目
安城市の町名