郵便番号 437-1414
住所 静岡県 掛川市 国包
読み方 しずおかけん かけがわし くにかね
この地域の
公式HP
地図

地図を表示

地方公共
団体コード
22213
最寄り駅
(基準:地域中心部)
周辺の施設、
ランドマーク等
  • 橋場屋旅館《旅館》
  • 掛川市役所大東支所《役所/役場》
  • エネオス大東町SS《ガソリンスタンド》
  • 静岡県 掛川市 国包」の読み方は「しずおかけん かけがわし くにかね」です。
  • 静岡県 掛川市 国包」の郵便番号は「437-1414」です。
  • 静岡県 掛川市」の地方公共団体コードは「22213」です。

「国包 (掛川市)」の概要 from Wikipedia

…(1,063文字)

国包(くにかね)は、静岡県掛川市の地名。

地名の由来

郷土雑誌によると、当地に住んでいた鍛冶の名にちなむ。

地理

菊川平野の南部の牛淵川が菊川に合流する地点の南に位置する。

歴史

江戸時代から1889年(明治22年)まで城東郡国包村として存在した。江戸時代には横須賀藩に属していた。石高は「元禄高帳」によると293石余であり、「天保郷帳」「旧高旧領」によると411石余であった。「遠淡海地志」によれば戸数40戸であった。1832年(天保2年)〜1847年(弘化3年)まで東海道掛川宿代助郷であった。稲作を中心に五穀のほかダイコン・からし菜・シロウリ・ウリ・トウガン・スイカ・ナス・サトウキビ・木綿などを栽培した。用水は牛淵川を利用した。鎮守は鹿島大明神で、ほかに寺社は春日大明神社・天神社・天王社・天白社・臨済宗竜泉寺があった。1868年(明治元年)に、駿府藩領(同2年静岡藩と改称)、同4年静岡県、浜松県を経て同9年再び静岡県に所属した。1889年(明治22年)千浜村の大字となる。1891年(明治24年)の戸数は、48戸、人口289人、船数2船であった。

沿革

1832年(天保2年)〜1847年(弘化3年) 東海道掛川宿代助郷となる。
1868年(明治元年) 駿府藩領となる。
1876年(明治 9年) 静岡県に属する。
1889年(明治22年)4月1日  町村制施行に伴い城東郡千浜村の大字となる。
1896年(明治29年)4月1日  郡の統合により小笠郡の所属となる。
1956年(昭和31年)8月1日  小笠郡大浜町の大字となる。
1973年(昭和48年)4月1日  小笠郡大東町の大字となる。
2005年(平成17年)4月1日  掛川市の大字となる。

世帯数と人口

2018年(平成30年)11月30日現在の世帯数と人口は以下の通り。

小・中学校の学区

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。

交通

鉄道/鉄道は通っていない。
バス/しずてつジャストライン掛川大東浜岡線国安バス停が最寄。
道路/地域内ではないが、静岡県道372号線、静岡県道247号線が付近を走る。

施設

国包集会場/掛川市役所大東支所(三俣)

日本郵便

郵便番号 : 437-1414(集配局:遠江大東郵便局)。

警察

町内の警察の管轄区域は以下の通り。

参考文献

編纂委員会編 (1982). 角川日本地名大辞典. 22 静岡県. 角川書店. p. 382. ISBN 978-4040012209

外部リンク

掛川市役所

関連ページ

【参考】
町域名に「国包」が含まれている住所一覧

検索ヒット数:2件
都道府県 市区町村 町域.
22静岡県 かけがわし掛川市 くにかね国包
28兵庫県 かこがわし加古川市 かみそうちょうくにかね上荘町国包
  • 同じ町域内で複数の郵便番号がある場合、別々にリスト表示しています。