郵便番号 437-1439
住所 静岡県 掛川市 大坪台
読み方 しずおかけん かけがわし おおつぼだい
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地方公共
団体コード
22213
最寄り駅
(基準:地域中心部)
周辺の施設、
ランドマーク等
  • 掛川市立土方小学校《小学校》
  • 掛川市立城東中学校《中学校》
  • 大東北運動場《スポーツ施設(小規模)》
  • 静岡県 掛川市 大坪台」の読み方は「しずおかけん かけがわし おおつぼだい」です。
  • 静岡県 掛川市 大坪台」の郵便番号は「437-1439」です。
  • 静岡県 掛川市」の地方公共団体コードは「22213」です。

「大坪台」の概要 from Wikipedia

…(1,562文字)

大坪台(おおつぼだい)は、静岡県掛川市にある大字。

地理

静岡県掛川市の南部に位置する。合併前の旧大東町においては北西部に位置していた。南北に細長い三角形状の大字。大坪台団地の大部分が含まれていることから北西には人家が多い。一方、南東は畑や山林がほとんどを占めている。なお、隣接する大字である上土方と西側で接しているが、その上土方との大坪台との間には、近隣の大字である上土方嶺向の飛び地が存在する。
大字としての住所表記では「大坪台」と記されるが、集落としては隣接する大字とともに纏めて「嶺向」として扱われることが多い。掛川市の自治区としては土方区に属している。

歴史

大坪台と呼ばれている地は、もともとは自然村である遠江国城東郡上土方村の一部であった。正保郷帳には上土方村として記載されている。その後、上土方村は落合村、向村、嶺村の3村に分割された。元禄郷帳には落合村、向村、嶺村はそれぞれ別々の村として記載されている。落合村は、当初は横須賀藩領であったが、天和2年に幕府領となり、貞享年間に旗本の室賀氏領となった。当初は青野家が庄屋を務めていたが、のちに高塚家と山崎家が庄屋を務めるようになった。内山真龍の『遠江国風土記伝』によれば、落合村の当時の石高は359石3斗3升7合であったとされている。また、華嚴院の寺田が5石、華嚴院の除地は6石とされている。農業が盛んであり、米をはじめとする五穀、蕎麦、胡麻、牛蒡、蕗、萵苣、藍、木綿などが栽培されていた。明治元年には駿府藩領となり、明治2年には静岡藩領となった。この落合村の一部がのちの大坪台に該当する。落合村は1875年(明治8年)に嶺向村、旦付新田と合併することになり、新たに上土方村が発足した。
町村制が施行された1889年(明治22年)時点では、この地は静岡県城東郡土方村の一部となっていた。その後、土方村は佐束村と合併することになり、1955年(昭和30年)1月1日に城東村が設置された。1956年(昭和31年)になると城東村の大字として上土方落合が設置された。1973年(昭和48年)4月よりこの地は大東町の一部となった。その後、上土方落合の一部が大坪台として分離独立した。さらに大東町が掛川市、大須賀町と合併することになり、2005年(平成17年)4月よりこの地は掛川市の一部となった。

沿革

1871年 - 城東郡が静岡県に移管。
1871年 - 城東郡が浜松県に移管。
1875年 - 浜松県城東郡落合村、嶺向村、旦付新田が合併して上土方村を設置。
1876年 - 城東郡が静岡県に移管。
1889年 - 静岡県城東郡下土方村、入山瀬村、今滝村、上土方村、川久保村の大部分、中村の一部が合併して土方村を設置。
1896年 - 静岡県佐野郡、城東郡が合併して小笠郡を設置。
1955年 - 静岡県小笠郡佐束村、土方村が合併して城東村を設置。
1973年 - 静岡県小笠郡大浜町、城東村が合併して大東町を設置。
2005年 - 静岡県掛川市、小笠郡大東町、大須賀町が合併して掛川市を設置。

世帯数と人口

2024年(令和6年)11月末日現在の世帯数と人口は以下の通り。

事業所

2021年(令和3年)現在の事業所数と従業員数は以下の通り。

小・中学校の学区

公立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。

施設

大坪台集会所/大坪台公園/大坪台団地

郵便

郵便番号:437-1439(集配局:遠江大東郵便局)

警察

警察の管轄区域は以下の通り。

消防

消防の管轄区域は以下の通り。

自衛隊

陸上自衛隊の管轄区域は以下の通り。

関連項目

土方村

外部リンク

大坪台集会所 - 掛川市家庭の避難計画 - 大坪台集会所を紹介する掛川市危機管理課の公式ページ

関連ページ