「神奈川県 横浜市 港北区 大豆戸町」について
郵便番号 | 〒222-0032 |
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住所 | 神奈川県 横浜市 港北区 大豆戸町 |
読み方 | かながわけん よこはましこうほくく まめどちょう |
この地域の 公式HP |
※「横浜市」は、政令指定都市です。
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地図 | |
地方公共 団体コード |
14109 |
最寄り駅 (基準:地域中心部) |
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周辺の施設、 ランドマーク等 |
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- 「神奈川県 横浜市 港北区 大豆戸町」の読み方は「かながわけん よこはましこうほくく まめどちょう」です。
- 「神奈川県 横浜市 港北区 大豆戸町」の郵便番号は「〒222-0032」です。
- 「神奈川県 横浜市港北区」の地方公共団体コードは「14109」です。
「大豆戸町」の概要 from Wikipedia
大豆戸町(まめどちょう)は、日本の神奈川県横浜市港北区の町名。丁番を持たない単独町名。住居表示未実施区域。
地理
町内は菊名七丁目に分断されており、東西に飛び地となっている。
両飛び地の間と南側で菊名に接している。東部の東側では師岡町と鶴見区上の宮に、両飛び地の北側で大倉山に接している。西部の西側では北新横浜と新横浜に、南側で篠原町と篠原北に接している。同町の真ん中の辺りには、東海道新幹線が通っている。地名の由来
師岡熊野神社に大豆を奉納していたからだとされる。
このほか、地形由来の「真間処」(ままど、くぼんだ場所の意)に「豆」の字を当てたとする説もある。
文字の上では難読ではないが、「大豆」を「まめ」と読むため、馴染みがないと正しく読むことができない。この読み方は当地だけではなく、日本全国に見られる。歴史
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制が施行されたのに伴い、江戸期の大豆戸村は橘樹郡大綱村の大字「大豆戸」となった。
1927年(昭和2年)4月1日 - 大綱村が横浜市に編入され、横浜市大豆戸町となる。
1927年(昭和2年)10月1日 - 区制施行により神奈川区が発足し、横浜市神奈川区大豆戸町となる。
1939年(昭和14年)4月1日 - 港北区の新設に伴い、横浜市港北区大豆戸町となる。
1969年(昭和44年)4月1日 - 行政区の再編に伴い、港北区が再設置され改めて港北区大豆戸町となる。
1971年(昭和46年)7月5日 - 住居表示の実施に伴い、大豆戸町の一部を篠原北二丁目に編入、篠原町の一部を大豆戸町に編入。
1974年(昭和49年)8月19日 - 住居表示の実施に伴い、鶴見区北寺尾町の一部を編入。
1975年(昭和50年)11月6日 - 土地区画整理事業の施行に伴い、大豆戸町の一部を新横浜三丁目に編入。
1980年(昭和55年)7月28日 - 住居表示の実施に伴い、大豆戸町の一部を菊名五丁目、菊名六丁目、菊名七丁目に編入。
1994年(平成6年)11月6日 - 行政区の再編に伴い、港北区が再設置され改めて港北区大豆戸町となる。
2009年(平成21年)10月19日 - 住居表示の実施に伴い、大豆戸町の一部を大倉山七丁目に編入。世帯数と人口
2024年(令和6年)4月30日現在(横浜市発表)の世帯数と人口は以下の通り。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2023年4月時点)。
事業所
2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通り。
事業者数の変遷
経済センサスによる事業所数の推移。
従業員数の変遷
経済センサスによる従業員数の推移。
主な企業
アマノ本社/ケルヒャージャパン本社
施設
東地区/港北区総合庁舎/港北区役所/横浜市港北公会堂/横浜市消防局港北消防署/西地区/横浜市交通局港北営業所/港北警察署/神奈川税務署/港北年金事務所/横浜市港北スポーツセンター/横浜市資源循環局港北事務所/横浜市立大豆戸小学校
出身・ゆかりのある人物
磯野庸幸(神奈川県多額納税者、ラジオ関東社長、貴族院議員) - 上郎清助の弟。
上郎清助(神奈川県多額納税者、資産家、貴族院議員) - 旧姓は吉田。
椎橋宗輔(神奈川県会議員、大綱村村長)/椎橋淳一(医師、椎橋家第8代当主)/椎橋仁助(地主、農業、椎橋家第7代当主)/椎橋量平(酒商)/吉田三郎兵衛(醤油製造業)日本郵便
郵便番号 : 222-0032(集配局:港北郵便局)
警察
町内の警察の管轄区域は以下の通り。
参考文献
“横浜市町区域要覧” (PDF). 横浜市市民局 (2016年6月). 2022年9月6日閲覧。
参考文献
交詢社編『日本紳士録 第36版』交詢社、1932年。
交詢社編『日本紳士録 第44版』交詢社、1940年。
交詢社編『日本紳士録 第47版』交詢社、1944年。