「神奈川県 横浜市 港北区 岸根町」について
郵便番号 | 〒222-0034 |
---|---|
住所 | 神奈川県 横浜市 港北区 岸根町 |
読み方 | かながわけん よこはましこうほくく きしねちょう |
この地域の 公式HP |
※「横浜市」は、政令指定都市です。
|
地図 | |
地方公共 団体コード |
14109 |
最寄り駅 (基準:地域中心部) |
|
周辺の施設、 ランドマーク等 |
|
- 「神奈川県 横浜市 港北区 岸根町」の読み方は「かながわけん よこはましこうほくく きしねちょう」です。
- 「神奈川県 横浜市 港北区 岸根町」の郵便番号は「〒222-0034」です。
- 「神奈川県 横浜市港北区」の地方公共団体コードは「14109」です。
「岸根町」の概要 from Wikipedia
岸根町(きしねちょう)は、神奈川県横浜市港北区の町名。丁番を持たない単独町名。住居表示未実施区域。
地理
港北区南部に位置する。北で新横浜一丁目、鳥山町、東で篠原町、南で神奈川区六角橋、西で三枚町、片倉五丁目と隣接する。学校用地及び公園用地が面積の半ばを占め、他は小規模の商店及び住宅が占める。
歴史
岸根町(自治体)は1889年(明治22年)4月1日に町村制施行で橘樹郡小机村(後に城郷村に改称)大字岸根となる。1927年(昭和2年)10月1日に横浜市に編入され、岸根町(町丁)として新設された。
地名の由来
『新編武藏風土記稿』の「岸根村」の項に“古は、此邉(このへん)すべて沼なるによってしかりと云(いふ)。當(とう)所は、其沼の岸にそひたる根なりしゆへ、この名を得たる”の記録がある。
沿革
江戸時代は、幕府領・岸之根村であった。
1871年(明治4年) 11月14日 - 全域が神奈川県の管轄となる。1878年(明治11年)、郡区町村編制法により行政区画としての橘樹郡が編成され、岸根村として編入された。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、岸根村、小机村、鳥山村(現横浜市港北区)、下菅田村、羽沢村、三枚橋村、片倉村、六角橋村、神代寺村(現横浜市神奈川区)が合併し、小机村となる。
1902年(明治35年))2月5日 - 小机村が城郷村に町名変更された。
1927年(昭和2年)4月1日 - 城郷村が横浜市に編入され、横浜市岸根町となる。
1927年(昭和2年)10月1日 - 横浜市が区制を施行し、神奈川区を設置、横浜市神奈川区岸根町となる。
1939年(昭和14年)4月1日 - 港北区が新設され岸根町は港北区に編入され、横浜市港北区岸根町となる。
1965年(昭和40年)7月1日 - 住居表示の実施に伴い、神奈川区六角橋町の一部を編入し、岸根町の一部を神奈川区六角橋六丁目に編入する。
1975年(昭和50年)11月6日 - 土地区画整理事業の施行に伴い、岸根町の一部を新横浜一丁目、新横浜二丁目に編入。
2003年(平成15年)10月27日 - 住居表示の実施に伴い、神奈川区片倉町の一部を編入する。世帯数と人口
2024年(令和6年)4月30日現在(横浜市発表)の世帯数と人口は以下の通り。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2023年4月時点)。
事業所
2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通り。
事業者数の変遷
経済センサスによる事業所数の推移。
従業員数の変遷
経済センサスによる従業員数の推移。
鉄道
東部に横浜市営地下鉄ブルーライン(3号線)の岸根公園駅(所在地は篠原町となっている)がある。
岸根公園駅付近で東海道貨物線(相鉄・JR直通線が通る)が交差する。また北部に相鉄新横浜線が通る。いずれも駅はない。道路
神奈川県道12号横浜上麻生線が中央を通っている。
北端に環状2号線(岸根交差点)、/南東に横浜市主要地方道85号鶴見駅三ツ沢線(西岸根交差点:その名に反し岸根町の東端である)が通る。バス
横浜市営バス39系統の岸根、岸根谷戸、岸根山王下の各停留所および同じ横浜市営バス291系統の岸根公園前停留所がある。
施設
神奈川県立岸根高等学校/緑道・公園/岸根公園/身近な公園/岸根山王山公園/岸根大堀公園/スポーツ関連施設/神奈川県立武道館/岸根公園軟式野球場/保育園/岸根保育園(私立)/神社・仏閣/岸根杉山神社/貴雲寺/その他/山王山遺跡(現岸根高校敷地)
日本郵便
郵便番号 : 222-0034(集配局:港北郵便局)
警察
町内の警察の管轄区域は以下の通り。
参考文献
“横浜市町区域要覧” (PDF). 横浜市市民局 (2016年6月). 2022年9月6日閲覧。
脚注