郵便番号 013-0105
住所 秋田県 横手市 平鹿町浅舞
読み方 あきたけん よこてし ひらかまちあさまい
この地域の
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地方公共
団体コード
05203
最寄り駅
(基準:地域中心部)
周辺の施設、
ランドマーク等
  • 平鹿郵便局《郵便局》
  • 横手市消防署平鹿分署《消防分署、出張所》
  • 横手市役所平鹿庁舎《市役所・東京23区の区役所》
  • 北都銀行沼館支店《地方銀行》
  • 北都銀行浅舞支店《地方銀行》
  • 横手市立平鹿図書館《公共図書館》
  • 浅舞感恩講保育園《保育所》
  • コメリハード&グリーン平鹿店《ホームセンター》
  • 薬王堂横手平鹿店《ドラッグストア》
  • マックスバリュ平鹿町店《スーパーマーケット》
  • エネオス浅舞SS《ガソリンスタンド》
  • 秋田県 横手市 平鹿町浅舞」の読み方は「あきたけん よこてし ひらかまちあさまい」です。
  • 秋田県 横手市 平鹿町浅舞」の郵便番号は「013-0105」です。
  • 秋田県 横手市」の地方公共団体コードは「05203」です。
補足事項
■f02: 小字毎に番地が起番されている町域。

「平鹿町浅舞」の概要 from Wikipedia

…(4,785文字)

平鹿町浅舞(ひらかまちあさまい)は、秋田県横手市の大字。郵便番号は013-0105。人口は3,738人、世帯数は1,184世帯(2020年10月1日現在)。住居表示は全域で未実施。旧平鹿郡平鹿町浅舞、旧平鹿郡浅舞町大字浅舞、旧平鹿郡浅舞村大字浅舞、旧平鹿郡浅舞村に相当する。

地理

平鹿地域の中央西部に位置しており、平鹿地域局などが置かれる平鹿地域(旧平鹿町)の行政の中心地となっている。中世には小野寺氏の拠点として浅舞城が築かれ、浅舞はその城下町として機能した。また、旧平鹿郡の中央部に位置する地勢から、郡内支配の拠点的役割を担った。このため、当初は陣屋が、のちには御役屋が置かれている。御役屋が置かれた町の中心部には、県指定の天然記念物である浅舞のケヤキ(槻の木)がある。また、市街地南部の浅舞公園は、通称・あやめ公園と呼ばれ、毎年浅舞公園あやめまつりが開催される。
全域が都市計画区域に含まれるが、区域区分非設定区域となっている。都市計画法上の用途地域では準工業地域、近隣商業地域、第一種中高層住居専用地域、第一種住居地域に指定されている。

地名の由来

かつては「浅前」や「朝前」、「浅廻(あさまわり)」とも称され、地下水位の高い地勢に由来するとされる。一方で、菅江真澄の『雪の出羽路 平鹿郡』では、近世に藩主佐竹義隆が当地で鷹狩をしていた際、鶴が舞い飛ぶ様子を見て地名を命名したとされる。しかし「浅舞」という地名は中世にはすでに存在していたとされ、後世において縁起の良い由来が創作されたものと推定されている。

小字

2024年(令和6年)10月5日時点での「横手市(秋田地方法務局大曲支局)登記所備付地図データ」、デジタル庁公表の「アドレス・ベース・レジストリ」の「秋田県 横手市 町字マスター(フルセット) データセット」、横手市公表のオープンデータによれば、平鹿町浅舞の小字は以下の通り。

歴史

浅舞では、小勝田川沿いに縄文時代の平沢Ⅰ・Ⅱ遺跡、西小泉遺跡、大清水Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ遺跡、浅舞Ⅰ遺跡などの遺跡群がある。このうち大清水Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ遺跡では、大清水Ⅱ遺跡から遺構として竪穴建物跡1棟、掘立柱建物跡(柱穴410基)、土坑32基、溝跡14条、遺物として縄文土器、石器、土偶、土師器、須恵器が出土している。また、大清水Ⅲ遺跡からは竪穴建物跡2棟、掘立柱建物跡(柱穴115基)、土坑35基、溝跡2条、遺物として縄文土器、土師器、須恵器、石器、水晶切子玉が出土している。大清水Ⅱ・Ⅲ遺跡の竪穴建物跡はいずれも平安時代のものとされる。
中世には小野寺氏の支城として浅舞城が置かれ、この頃にはすでに町割りが形成されていたと推定される。浅舞城は現在の字館廻のあたりに位置したとされ、町割りは城の東方にかけて発達した。周辺には壕跡と推定される「新堀」や「堀ノ内」、城郭に包摂された「郭町」から転じたと思われる「覚町」といった地名が残されており、名残を留めている。また、周辺には浅舞城主が開基と伝えられる龍泉寺や玄福寺、大宮寺が所在する。太閤検地での一揆が伝えられており、蔵入地に指定、菅氏が城代を務めた。戦国時代には浅舞形部、元禄から慶長は小野寺義道の子である左京が城主であったと伝えられており、元和8年(1622年)に一国一城令によって破却された。
佐竹氏の入部後、農村支配を進めるため、初代藩主の佐竹義宣により、元和元年(1615年)に平鹿郡支配の拠点として陣屋が設置された。陣屋は寛文3年(1663年)に建て替えられ、天和2年(1682年)には御鷹柵が新築されるなどしたが、享保5年(1720年)に解体された。その後、佐竹義和の藩政改革のうち一つとして郡奉公制が復活、農村支配を強化するため寛政7年(1795年)に御役屋が置かれた。平鹿郡内では浅舞のほか、増田および角間川にも設置された。浅舞は平鹿郡の中心部に位置し、農業に適した好適地で農村集落が発達していたことから、この地に設けられたとされる。御役屋は、明治元年(1868年)の火災により焼失、その後、明治4年(1871年)の廃藩置県によって御役屋は廃止された。
浅舞では定期市が開かれており、その歴史は江戸時代にまで遡る。その起源については判然としないが、菅江真澄の『雪の出羽路 平鹿郡』によれば、「元和元年巳年(1617年)に六日町が始まりたり」とあり、まず六日町に市が立ったと推定される。さらに、市神様が祀られ、信仰を集めていたという。開催日については、享保15年(1730年)の『六郡郡邑記』では「1・4・6の九斎市」、江戸時代の『雪の出羽路』では、「市日朔日、四日、六日、十一日、十四日、十六日、二十一日、二十四日、二十六日也」とある。1892年(明治25年)制定の「市場取締令」にれば「毎月陰暦一日、四日、六日、八日の付く日で月十二回」とあり、1959年(昭和34年)制定の「平鹿町営朝市広場の設置並びに使用料徴収条例」によれば、「毎月一日、四日、六日、八日、十一日、十四日、十六日、十八日、二十一日、二十四日、二十六日、二十八日」とある。場所については、当初は六日町・覚町を中心とする役場通り(国道大船渡本荘線、旧街道)にて解説されていたが、道路交通法の規制により、1962年に覚町の西裏の道路へと移動した。
『六郡郡邑記』では、浅舞村は枝郷として、加羽4ヶ村(新堀村・蒋沼村・酌子村・井野岡谷地村)と、豊前谷地村・蛭野村・本新平川村・大中嶋村・上中野村・下中野村・高口村・高野村・五味川村・沼下村・道川村がある。

沿革

天平12年(740年) - 浅舞八幡神社が建立。
元和元年(1615年) - 陣屋が設置される。
元和8年(1622年) - 浅舞城が破却。
寛政7年(1795年) - 御役屋が設置される。
慶応3年(1867年) - 浅舞大火により、77軒が焼失。
1872年(明治5年)2月 - 秋田県第14大区第6小区に属する。
1873年(明治6年)7月 - 秋田県第6大区第5小区に属する。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、浅舞村・下鍋倉村が合併し、浅舞村となる。〈旧〉浅舞村は浅舞村大字浅舞となる。
1895年(明治28年)7月25日 - 町制施行し、浅舞町となる。浅舞町大字浅舞となる。
1956年(昭和31年)9月20日 - 浅舞町と吉田村が合併し、平鹿町となる。平鹿町大字浅舞となる。
1957年(昭和32年) - 平鹿町営浅舞陸上競技場が、字道川南19番地に完成。
1967年(昭和42年) - 平鹿町中央公民館(現・浅舞地区交流センター)が、字蒋沼65番地に開館。
1975年(昭和50年) - 平鹿町民体育館が、字覚町後131番地2に開館。
1980年(昭和55年)6月 - 浅舞公園の一角に、平鹿農村文化伝承館が開館。
2005年(平成17年)10月1日 - 〈旧〉横手市と平鹿町を含む平鹿郡5町2村が合併し、横手市となる。横手市平鹿町浅舞となる。
2017年(平成29年)11月1日 - 横手市役所平鹿地域局、横手市立平鹿図書館、横手市消防署平鹿分署の機能を統合した複合公共施設が開所。

世帯数と人口

2020年(令和2年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通り。

人口・世帯数の推移

以下は国勢調査による1995年(平成7年)以降の人口の推移。
以下は国勢調査による1995年(平成7年)以降の世帯数の推移。

小・中学校の学区

市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる。

鉄道

域内に駅はない。最寄り駅は■奥羽本線の醍醐駅。
1971年まで、横荘線の東浅舞駅、浅舞駅、豊前駅が所在した。

道路

国道107号/秋田県道48号横手東由利線(主要地方道)/秋田県道117号野崎十文字線/秋田県道270号浅舞醍醐線/秋田県道271号植田平鹿線

バス

羽後交通/横手市コミュニティバス

神社・寺

浅舞八幡神社(字蒋沼125番地)/祭神:八幡大神(応神天皇)、祭日:6月1日(春祭り)、9月敬老の日直前の土日(秋祭り)/社伝によれば、天平12年(740年)、浅舞村の開拓が始まった際、水利牧民の地を定め、村内の農民・武士・商人らが村の北西に社殿を建立し、八幡大神を守護神として祀ったという。天明年間以降、周辺住民が市中に移り住んだため、社殿は田園の中に孤立することとなり、雨天時の参拝の不便や取締上の不都合が生じた。このため、寛政12年(1800年)に現在地へ移転した。近代社格制度により、明治5年(1872年)に郷社、明治19年(1889年)に県社に列せられた。
龍泉寺(字浅舞286番地)/山号:長雲山、宗派:曹洞宗、本尊:阿弥陀如来/浅舞城主・小野寺左京亮友光が元亀から天正年間にかけて開基したと伝えられている。浅舞城の築城に際し、祖先菩提のため古城近くにあった浄土宗の草庵を移し、永禄年間に遷化した増田満福寺三世・梅翁正倫和尚を開山に迎えたとされる。
玄福寺(字浅舞142番地)/山号:市中山、宗派:真宗大谷派、本尊:阿弥陀如来/古くは「照井山」と称した。寺は東本願寺の末寺で、開祖は岩手県和賀郡出身の照井助之進藤原武重の次男・助四郎高重。高重は出家して浄賢坊と号し、文禄元年(1592年)春、浅舞城主・小野寺孫十郎義道の要請に応じて浅舞本町に建立した。寛永9年(1632年)に現在地の四ツ関に、葬場を諏訪野へ移転した。また、明治中期に深井街道が新道となったため、墓地と寺が分離し、境内の中央を道路が通るようになった。

公共

横手市役所 平鹿庁舎(平鹿地域局、横手市立平鹿図書館、字覚町後138番地)/横手市浅舞地区交流センター〈平鹿農村環境改善センター〉(字覚町後140番地)/横手市平鹿体育館(字覚町後131番地2)/横手市平鹿町ゆとり館(字蒋沼289番地)/横手市農村体験学習施設アイリスハウス(字蒋沼291番地)/横手市浅舞スポーツセンター(字野々助80番地2)/横手市平鹿防災センター(字野々助158番地3)

公園

浅舞公園(字上蒋沼)/横手市平鹿相撲場(字上蔣沼22番地)/横手市平鹿農村文化伝承館(字蒋沼25番地)/十五野公園(字十六石野ほか)/横手市平鹿野球場〈十五野公園野球場〉(字十六石野61番地)/横手市浅舞陸上競技場(字道川南19番地1)

教育

横手市立浅舞小学校(字八幡小路18番地)/横手市立平鹿中学校(字一関向3番地1)/平鹿自動車学校(字返諏訪204番地)/浅舞感恩講保育園(字浅舞221番地1)

事務所・出先機関

横手警察署 平鹿駐在所(字覚町後244番地1)/北都銀行 浅舞支店(字浅舞245番地)/平鹿郵便局(字浅舞198番地1)/JA秋田ふるさと 平鹿支店(字中東160番地)/ヤマダフーズ 遊心庵(字中東144番地)

名所・旧跡

琵琶沼/御役屋門/浅舞のケヤキ(県指定天然記念物)

祭事・イベント

秋田スカイフェスタ/浅舞公園あやめまつり/浅舞八幡神社祭典/槻の木光のファンタジー

参考文献

「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 5(秋田県)、角川書店、1980年3月。全国書誌番号:80016503。 /平凡社地方資料センター 編『日本歴史地名大系』 5(秋田県の地名)、平凡社、1980年6月。全国書誌番号:80028503。 /平鹿町史編纂委員会『平鹿町史』平鹿町、1984年。 /ぬめひろし『地名譚』 12巻、秋田文化出版社〈民俗選書〉、1988年7月。全国書誌番号:89015213。

関連項目

秋田県の廃止市町村一覧

外部リンク

横手市公式サイト

関連ページ