「神奈川県 横浜市 港北区 日吉本町」について
郵便番号 | 〒223-0062 |
---|---|
住所 | 神奈川県 横浜市 港北区 日吉本町 |
読み方 | かながわけん よこはましこうほくく ひよしほんちょう |
この地域の 公式HP |
※「横浜市」は、政令指定都市です。
|
地図 | |
地方公共 団体コード |
14109 |
最寄り駅 (基準:地域中心部) |
|
周辺の施設、 ランドマーク等 |
|
- 「神奈川県 横浜市 港北区 日吉本町」の読み方は「かながわけん よこはましこうほくく ひよしほんちょう」です。
- 「神奈川県 横浜市 港北区 日吉本町」の郵便番号は「〒223-0062」です。
- 「神奈川県 横浜市港北区」の地方公共団体コードは「14109」です。
- ■f03: 丁目を有する町域。
- 郵便番号を設定した町域(大字)が複数の小字を有しており、各小字毎に番地が起番されているため、町域(郵便番号)と番地だけでは住所が特定できない町域。
「日吉本町」の概要 from Wikipedia
日吉本町(ひよしほんちょう)は、神奈川県横浜市港北区の町名。現行行政地名は日吉本町一丁目から日吉本町六丁目。住居表示実施済区域。
地理
港北区の北部に位置し、東に日吉、南東に箕輪町、南に綱島西、西に高田東、北に下田町と接している。
地価
住宅地の地価は、2024年(令和6年)1月1日の公示地価によると、日吉本町一丁目5-10の地点で645,000円/m²、日吉本町三丁目36-6の地点で342,000円/m²、日吉本町五丁目42-13の地点で301,000円/m²となっている。
沿革
かつてはこの場所は概ね橘樹郡駒林村であった。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い橘樹郡日吉村大字駒林となる。
1937年(昭和12年)4月1日 - 日吉村が横浜市に編入し、横浜市神奈川区日吉本町となる。
1939年(昭和14年)4月1日 - 港北区の新設により、横浜市港北区日吉本町となる。
1947年(昭和22年)3月12日 - 耕地整理により、高田町との境界を変更。
1949年(昭和24年)3月1日 - 耕地整理により、日吉本町の一部を綱島町へ編入、北綱島町、南綱島町の各一部を日吉本町に編入、箕輪町との境界を変更。
1969年(昭和44年)10月1日 - 行政区の再編成に伴い、港北区を再配置。横浜市港北区日吉本町となる。
1977年(昭和52年)3月6日 - 土地区画整理事業の施行に伴い、日吉本町の一部を高田町へ編入。
1977年(昭和52年)8月1日 - 住居表示の実施に伴い、日吉本町の一部を日吉一丁目、日吉四丁目へ編入。
1977年(昭和52年)11月21日 - 土地区画整理事業の施行に伴い、高田町との境界を変更。
1984年(昭和59年)7月23日 - 住居表示の実施に伴い、日吉本町の一部を下田町一丁目、下田町四丁目、下田町五丁目へ編入。
1987年(昭和62年)7月20日 - 住居表示の実施に伴い、日吉本町の一部から日吉本町三丁目、日吉本町四丁目を新設し、日吉本町の一部を高田町、箕輪町へ編入。
1988年(昭和63年)7月25日 - 住居表示の実施に伴い、日吉本町の一部から日吉本町一丁目、日吉本町二丁目、日吉本町五丁目、日吉本町六丁目を新設、残部を箕輪町へ編入し、日吉本町を廃止。
1994年(平成6年)11月6日 - 行政区の再編成に伴い、港北区を再配置。横浜市港北区日吉本町一丁目〜六丁目となる。世帯数と人口
2024年(令和6年)4月30日現在(横浜市発表)の世帯数と人口は以下の通り。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2023年4月時点)。
事業所
2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通り。
事業者数の変遷
経済センサスによる事業所数の推移。
従業員数の変遷
経済センサスによる従業員数の推移。
鉄道
横浜市交通局 横浜市営地下鉄グリーンライン(4号線)/日吉本町駅
施設
横浜市立駒林小学校/横浜市立日吉台小学校/横浜市立日吉台中学校/横浜市立日吉台西中学校/横浜南日吉郵便局/港北警察署 下田交番
日本郵便
郵便番号 : 223-0062(集配局:綱島郵便局)
警察
町内の警察の管轄区域は以下の通り。
主な出身著名人
武藏山武 - 第33代横綱/岡野雅行 - 元サッカー日本代表/飯島直子 - タレント
関連項目
日吉 (横浜市)
参考文献
“横浜市町区域要覧” (PDF). 横浜市市民局 (2016年6月). 2022年9月6日閲覧。
脚注